16



 高くファンファーレが鳴り響き、女王交代の儀が始まった。
 数々の偉業を為した前女王への感謝と、新たな可能性を秘めた新女王への希望を胸に、人々は祝福の歌を歌う。
 退位を宣言したアンジェリーク・リモージュは無邪気に笑い、その隣でロザリアは何事かを注意している。
 その様子を見ながらジュリアスは、我知らず微笑んだ。
 同時に淋しく感じている自分に気づく。

 今はもう前々女王となったアンジェリークとその補佐官ディア。
 さらにその先代の女王と補佐官。
 
 かつて仕えた至高の存在の、そして共に職務を果たしていた女性達はどのような人生を送ったのであろうか。
 幸福な生涯を送られたのだと、信じたい。
 そして願わくば、今正に聖地を去ろうとしている二人の女性もそうあってほしい。

 アンジェリーク・リモージュがこちらを向いた。
 いつの間にか凝視してしまっていたようだ。
 慌てて臣下の礼を取ると首を振り、笑顔を見せてくれた。

 この笑顔に勝手に意味を持たせるのは愚かだと思う心を捩伏せるほどの力強さで、この方は大丈夫だと確信する。
 宇宙のみならず、己自身も救われていたのだと、今になってようやく理解した。
『あと僅かでも構わない。でき得る限り長くこの方にお仕えしたかった』
 そんな想いが頭に浮かんだが、すぐにうち消した。
 宇宙を救い、導くという偉大な務めをようやく終わらせた方に、これ以上頼ろうと思うなど浅ましい。

 空には花びらが舞い上がっている。
 笑顔と涙が入り交じった宇宙を上げての大騒ぎは、式典が滞りなく済んだ後も続いていた。






 遠くで打ち上げられている花火の音が聞こえる。
 何度目かのその音と同時に、ロザリアは立ち上がった。
 過ぎ去った年月の中で彼の体温は思い出せなくなっていたが、それでも慕う気持ちは消えずに燻り続けている。
『わたくしのこれからのために、あの子とも約束したのですもの』
 冷たく遇われるのが当然だと言い聞かせて一歩を踏み出し、そのまま自室を出て真っ直ぐ歩く。
 馴染み深い顔に挨拶をしながら歩き慣れた廊下を進んでいくと、意外な人物の姿が見えた。
「あら、オスカー。ごきげんよう」
「補佐官殿!?…ではもうないんだな。ロザリア」
 オスカーの戸惑った顔が気になった。
「どうなさったの?…まさか後ろに女性でも隠してらっしゃるんじゃないでしょうね」
 軽く睨むと、少し情けない顔をされてしまった。
「全く君は…まあいい。忙しいとは思うが少し付き合ってくれないか?」

 一時は恋人であったこともある炎の守護聖だったが、時としてそのことを忘れてしまうほどに、良き同僚の関係を築き上げていた。
 オスカーと話したいことも当然ながら山のようにあるが、歩き出した足を止めたくはない。
「ごめんなさい。わたくし急いでおりますの。明日正式に最後のご挨拶に伺いますわ」
「大切な話があるんだ。…ゼフェルも知っている」
「ゼフェル様ですって!?今どちらにいらっしゃるかご存じ?ああ、てっきり執務室だとばかり思っていましたのに…どうしましょう」
「あいつに会いに行こうと思ってたんだな」
 確認するように言われて、思わず口に出してしまっていたことにようやく気づき、恥ずかしさで自然に俯いてしまう。
「あ…わたくしったら」
「君に伝言を頼もうとしたら断られたんだ。安心してくれ、今はまだ執務室にいる。会うなと言ったり会えと言ったり…まあ青少年のジレンマってやつなんだろうな」
「よくわかりませんけれど…わたくしへの伝言というのは何ですの?直接言って下さればいいのに。おかしな方ね」

 ロザリアを人目のつかない場所にいざないながら、オスカーは懐かしそうに口を開いた。
「もう昔のことだが、君を愛した時があった」
 今日まであの頃のことに触れずに来ていたから、ロザリアは突然の言葉に驚いた。
「そう言えば君ともこういう話をするのも初めてだな。話をしないまま…思い出になってしまった」
「…あの時はごめんなさいね」
 そう言うと、オスカーは苦笑を漏らした。
「止してくれよ。誰が悪いってわけでもないさ。君もわかっているんだろう?」
「え…?」
「誰のせいでもない。タイミングとかいうやつのせいだったんだろうさ。全てを誰かの…自分自身をも含めた誰かのせいだと思う時期は過ぎた。それでも誰が悪いと問うならば、それぞれが少しずつ悪かったんだろう」
「それをわたくしに?」
「いや、君がもし…あの頃のまま時を止めてしまっているのなら、それを溶かしてやりたくてな。台詞も用意していたんだが、必要なかったようだな」
「うふふ、親切ですわね。その台詞を教えて下さらない?」
「女性には幸せになってほしいからな」
 気障に笑ってからロザリアに向き直った。

「俺は運命の女性を見つけることができた。君は俺の運命の女性ではなかったようだ。だから君も君の幸せを見つけてくれ。でないと君に悪くて俺が幸せになれないからな。…といった感じだ」
 軽快な口調で付け加えて、笑った。
「オスカー…愛する方がいるのね!まあ、わたくしちっとも気付きませんでしたわ!」
「秘密にしていたんだ。然るべき時が来たらジュリアス様にもご報告するつもりだ」
「おめでとうオスカー。お幸せにね」
「…ありがとう。さあ、そろそろ行くんだ。俺にも君に祝いの言葉を言わせてほしいものだな」
 ロザリアは表情を固くして、静かに言った。
「ゼフェル様がわたくしのことなどなんとも思っていなくても、この想いを伝えることができれば幸せですわ」

 とにかく、伝えなければ…補佐官でなくなることができない。
 オスカーの笑顔を目に焼き付け、再び歩き出す。
 自然と口から感謝の言葉が漏れた。







 ロザリアが歩き行くのを見送っていたオスカーの肩に、手が置かれた。
「盗み聞きとは感心しないな」
「邪魔しなかったワタシの思慮深さに感謝してもらいたいね」
 派手な衣装をひらひらさせながら、オリヴィエは憎まれ口を叩いた。
「アンタさ…いい男だね」
「わかりきったことを言うな。しかし、事実でもお前が言うと気持ち悪いな。新しい発見だ」
「なーにが『然るべき時が来たら』さ。運命の女性だなんてさ、見つけてもないくせに」
 ほっといてくれ、と呟いて不敵に笑う。
「見つけだしてみせるさ。確定した未来を語っただけだ。嘘にならないだろう」
「それにしてもさ、アンタまさか、まだロザリアのこと好きだったのかい?」
 聞きにくいことをあっさり口にする同僚は、しかし笑ってはいなかった。
「まあ…未練がないとは言えないが、彼女が俺の運命の女性ではなかったというのは本当だ。彼女にさっきみたいなお節介をせずにいられないんだから、気持ちは残っちまってるんだろう。だが彼女が他の奴と幸せになるのが許せないほど愛しているわけではないさ」
 オスカーの表情に、影は全くない。
「しかし、ロザリアのアンバランスさには驚かされるな」
「どういう意味さ」
「年齢相応の恋愛観を身に付けているというのに、アイツに対してだけはまるであの頃から変わっていない」
「そうだね。アンタに必要以上の罪悪感は持ってなかったみたいだもんね」
 オスカーは、顔を顰めた。
「お前、本当にいつから聞いていたんだ」
 オリヴィエは、それには答えず続ける。
「これだけ時間が経ってて、状況も相手の気持ちも変わってることを思えば当たり前なんじゃないの」
 オスカーは、軽く両手を上げてから頷いた。
「自分を追いつめ過ぎることによって、周囲の人間までも追いつめてしまうようなところがあっただろう?」
「…そうだったのかもしれないね。ワタシにはそこまでわかんなかったけどね」
 僅かにオリヴィエは淋しそうな表情になり、それをすぐに消した。
「あの頃は、俺自身が追いつめられていたからそう思ってしまうのかもしれないがな。とにかく、先ほど彼女と話していてそれがなくなっているように感じた。だが、ゼフェルに対してだけはあの頃のままだ。好きな相手だからと言われれば、身も蓋もないが」
「…どうなるんだろうね」
「別離の時になって、ようやく二人の時間が動き始める、か。聞いている分にはドラマティックだがな。ゼフェルはどうでもいいが、ロザリアには幸せになってほしいものだ」
「なんかアンタ、本当に成長したね」
 感心したように呟いたオリヴィエに対しても、オスカーは嫌味を忘れない。
「お前も少しは落ち着いたらどうだ。いつまでそんな恰好をしているつもりなんだ」
「ワタシが続けたいと思う限りに決まってんだろ」
「…今日は長い夜になりそうだな。酒の相手がお前だというのがつまらんが」
 話しながら歩く二人の足は、自然と聖殿の外へ向かっていた。










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