誰でもいいから頼りたかった…こう言ってはランディに失礼だろうが、事実そうだった。心配だと言ってくれる優しさに甘えたかった。
 わたくしは途方にくれていた。優先順位もつけずに何もかもを欲しがる自分自身を理解できなくて、振り回されて、混乱しきっていた。
 だから、何か答えを示してほしかったのだ。何でも良かった。

 我に返ったのは、全てを彼に話した後だった。

「わからないな」
 彼の答えはこれ以上ないほどに簡潔で、思わず彼に失望した。
 わたくしは、恥ずかしさといたたまれなさの中でただ深く後悔した。
 悔しさからか悲しさからかはわからないが、溢れそうになる涙をこらえながら、ランディを憎んだ。自分勝手だと諌める声を無視して憎んだ。何を期待していたのかと、自分自身を罵っているうちに、先ほど無視したはずの声が胸に刺さった。
「顔色が悪いけど、ロザリア、大丈夫かい?」
 心配そうな声音が、わたくしを鞭打った。彼の視線を避けるために、質問に頷いたふりをして、そのまま顔を下げたままにした。 
 自分はどこまで堕ちていくのか。そう考えて寒気がした。
 健やかな精神を持つこの青年を、たとえひと時でも憎むことのできた自分の汚さに吐き気がしていた。…それも、どこまでも身勝手な理由で。
「つまらない話を聞かせてしまってごめんなさいね」
 早く部屋に帰らなければ、自分が何を言い出すかわからなかった。とにかく、一刻も早く一人にならなければならない。
「軽蔑して下さって構いませんわ。けれど、このことはどなたにもお話にならないようお願いします」
 せわしなく言いながら、わたくしは帰るために腰を浮かせた。
「違うよ、そうじゃない。君の気持ちはわかるから」
「わたくしの気持ちが…わかる?」
 どういう意味なのかを問う前に、今度はランディが急ぐように口を動かした。
「わかる、というのは傲慢かもしれないけど、君のその…ああ、とにかく腰を下ろしてくれないかな」
 落ち着いて話せないから、と言って照れたような笑顔を見せた。彼のその表情は、わたくしの心を少し落ち着かせてくれた。言われた通り、わたくしは再び椅子に腰掛けた。

「まず、君の持っている感情が、君が思うほど醜いものじゃないってことを理解してほしい」
 どう返していいかわからず、わたくしは続きを待った。
「俺は、君が特別欲深い人間だとは思わない。誰もが強欲なんだと思ってる」
 穏やかな声が心地よく耳に届く。この人はとても優しい人なのだ。
「わたくしには、そうは思えませんわ。正当ではない望みを持ってしまったとしても、みなはそれを自制して生きているのではないかしら」
 否定しながらも、わたくしは感謝の気持ちが胸に満ちていくのを感じていた。
 話を聞いて、彼は呆れたに違いない。それなのに、こうして優しい言葉をかけてくれるのだ。
 …わたくしも、ランディのような人間になりたい。
 この汚れた精神も含めて全てを消して、ランディのようになれたら。生まれ変われたら。

 この時、わたくしは天啓が降りた気がした。
 そうだ、消してしまえばいいのだ。
 自分の命を絶つことはできなくても、ゼフェルの傍から、彼とはとても釣り合わない醜いわたくしを消してしまうことならできるかもしれない。
 なにもかもをゼフェルに話して、彼に別れを告げよう。
 絶対に知られたくない人に、知られたくない内側を曝け出したその瞬間、その人だけではなく、自分自身も恋を続けることができない気持ちになるに違いない。
 失くして初めてわかった。自尊心がなくては生きてなどいられない。
 早くしないと、それこそ取り返しのつかないことになってしまうだろう。
 底なしの欲望は、親友も、自分自身の未来も、大切な人も飲み込んでしまうに違いない。だから……

「君は、自分以外の人間の心の奥を覗いたことがないんだね」
 その声は、本当にランディの声なのかと疑いたくなるほど低かった。
 ふわふわとした感覚が消え、夢から覚めたような気になった。そこで、自分が異常に高揚していたことに気づいた。
「ああ、気を悪くしないでほしい。それが君の美点なんだから」
 驚いて彼を見ると、思いつめたような視線にぶつかった。
「でも、それが君を追い詰めているんだよな」
「美点ですって?」
 場にそぐわない言葉に、わたくしは驚いた。
「慰めてくれているのに申しわけないけれど、どこからそんな言葉が出るのかわかりませんわ」
「俺はね、君が好きなんだ。…返事は要らないよ。ただ俺が話したいことを話しているだけだからね。少しだけ黙って聞いてくれないか」
 優しい口調で言われたその言葉より、彼の表情がわたくしを黙らせた。自嘲しているような、どこか投げやりな顔。ついでのように言われた愛の告白が、遅れて耳に届いた。
「君を好きな理由は、君が一生懸命生きているように俺には見えるから。楽しんで、喜んで、悩んで、悲しんで…どんな感情もそのまま受け入れて、そこに何の疑問も持たずに生きているから」
 歌うように言葉を紡ぐランディは、まるで知らない人のようだ。
「ゼフェルとは喧嘩ばかりしてた時もあったけど、嫌いじゃなかったんだ。自分勝手でわがままな奴だけど、いいところもあるし、もっと話をしてみたいと思ってた。…でも、嫌いになった。嫌いというより、憎いという方が近いかな。もちろん、君を好きになったからだよ」
 柔らかそうな茶色の髪も、澄んだ空色の瞳も、いつもの彼と変わらない。それが余計に違和感を与える。
「俺にも葛藤はあったよ。でも、どうしようもないんだよな。俺はゼフェルが憎いし、あいつがいなくなったらいいのにってよく考える」
 流暢に話していた彼が突然沈黙した。窺うようにわたくしを見て、それから笑った。
「まず、あいつのサクリアがなくなればいいと思った。それが一番現実的だしね。でも、もしそうなって君を連れていかれたら困る。そこまで考えて、次にあいつが死んでしまえばいいって思ってしまった」
 言葉の意味を理解する前に、寒気がした。
 しんでしまえばいい…シンデシマエバイイ…その音が持つ強い力が恐ろしかった。
「怖いだろ?」
 喉がはりついたように動かなかったが、答えを待たずに彼は続ける。
「俺だって怖かったよ。そんなことまで考えてしまう自分が怖かったし、最低だと思った。でもね、やっぱりどうしようもないんだ。だから、この忌まわしい考えが消えてくれるまで待つことにしたんだ。とりあえず」
 言葉を切って深く息を吐いた。背もたれによりかかる。とりあえず、ともう一度繰り返して彼は嘆息した。話は終わったのだ。

 それからは沈黙が取って代わった。
 時計の秒針が時を刻む音が気になり始めて、麻痺していたわたくしの思考が少しずつ動き出した。

 ランディが言ったように、確かにわたくしは彼を恐ろしいと思った。そして、認めたくはないけれど…胸にのしかかっていた重い塊、強い自己嫌悪の念が軽くなっていることに気づいた。
 それを狙って心情を吐露してくれたことは明らかで、わたくしは少し混乱した。こんな風に解放されていいのかと自問自答をしていると、彼は再び話し始めた。
「女王陛下の守護聖…聖なる使命を帯びた者なのに、本当にどうかしてると思う。もちろん、本当にそうなってしまえばいいと本気で願っているわけじゃない。それでも、想像するのをやめられない」
 低い、だがはっきりとした声で、ランディは話し続ける。
「だから、俺は誰もが醜い一面を持っているんだと思うことにした。そう思わないと、自分と上手く折り合いをつけられないからね。皆口に出さないだけなんだって。そうでない人間は、幸運にもそんな感情を持たなくてもよい人生を送ってこれただけなんだって……」
 頭を振ったランディは、俯くのをやめて顔を上げた。正面からわたくしを見つめて爽やかな笑顔を浮かべたのは、わたくしを安心させるためだったのかもしれない。
「君の言うように、宇宙にはまっすぐで清潔な人間しかいないとしても、少なくとも俺がいる。ロザリアとは比較にならないほど、醜い心を持った俺が。だから、大丈夫だよ。君は楽になってもいい人間なんだから」

 テーブルに載せられたグラスを取って、彼はアイスティーを飲み干した。
 それを見た途端、思い出したように喉の渇きを覚えた。
 手を伸ばしてグラスに触れると水滴で手が濡れたが、構わず掴んで彼に倣った。
 傾けたグラスを水平に戻すと、グラスの底で氷が涼しげな音を立てた。





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