顔の右側に、かすかな熱を感じる。 右手前の方向に座す、女王にあてられているライトのせいだ。 つい数分前まではまったく気にならなかったのに、一度気になり始めると、その熱がたまらなく不愉快になった。 しかし、女王に熱を感じるほどの光をあてるだろうか? それほどの量の光を浴びているとしたら、女王は目を開けていられないはずだ。 …実際は、ライトの熱などないのかもしれない。 女王の存在を、意識しすぎているから、そう感じるだけなのか。 そう考えて、視線を逸らした。 あの日から、二十日ほどが過ぎた。 不自然な切れ方をした通信に慌てたゼフェルから再びコールがあったが、どうにかごまかした。それから少し話をして、改めて切断する際には、普段通りのおだやかな声で別れの挨拶をすることができた。 そうできたのは、話しているうちに眠る前の出来事が全て悪い夢だったような気がし始めていたからだった。 現実において、あんなことを言えるはずがないだろう、と。 だが、もちろん夢ではなかった。 女王は、もうわたくしに笑顔を見せない。それどころか、わたくしを見ることすらしてくれない。 わたくしにも、女王を正面から見つめる勇気はない。 女王とその補佐官として共に業務をこなす時、公の場で会話を交わす時は、互いに視線を互いの顔に当ててはいる。 しかし、それは自分の瞳の焦点を相手の顔に合わせて、その映像を網膜上に映し出しているだけに過ぎない。眼球が、今彼女を映しているカメラと同じ機能を果たしているだけ。 …カメラは見ない。映すだけだ。 夢ならどれほど良かっただろう。わたくしは、ひとときの優越感と引き換えに、後悔の海に溺れることになった。 四六時中あの日のことを考えているため、常に息苦しく、時間の経過が異常に遅いように感じる。とりかえしのつかないことをしてしまったと思うたび、胸が圧迫されたように苦しくなる。 多くのものを失ってしまった。 彼女からの信頼。 自尊心。 嫉妬に苦しむ日々の中ですら時折あった、平穏な時間。何も考えずに、ただ息をしているだけで過ぎてくれた時間。 これまで過ごしてきた当たり前の日々…苦しいとさえ思っていた日々が懐かしかった。これほど痛切に、過去に戻ってやり直したいと思ったことは生まれて初めてだった。 女王の話は、迷いのないしっかりとした声で続けられている。 白く照らされた彼女の肩は、とても綺麗だ。 聖殿の一角に作らせたスタジオで録画されているこの映像は、数日後には全宇宙に発信される。 薄いヴェールに包まれた優しい微笑みと慈しみ深い声が、宇宙の隅々にまで届けられる。 多くの民が、女王に愛されていることを再確認し、幸福を感じるはずだ。 彼らが、彼らの女王の微笑みを見るとき、わたくしは今と同じように罪悪感に苛まれながら、放映時間をやりすごすに違いない。 いつの間にかライトは消えていた。 年長のスタッフが女王に駆け寄り、謝辞を述べ始めた。 収録は終わったのだろうか、と疑問に思った。 一部始終を見ているのに、そんなことすらわからなかったし、誰にも聞けなかった。 女王の微笑みを受けて頬を上気させているスタッフの男が、心の底からうらやましかった。一方的に女王を傷つけたくせに、わたくしはその男に強く嫉妬した。 その男だけではない。女王に愛されている者達皆に嫉妬しているのだ。 ゼフェルに愛されていた女王に嫉妬して、その女王に愛される者に嫉妬する。 …わたくしは、一体何がしたいのだろう。何が欲しいのだろう。 ゼフェル。 大好きな人の名であり、恋人の名でもある。 それがどれほどの幸せであるか、わかっているつもりだった。 それなのに、その幸せだけでは満足できない自分が憎かった。 もう、誇れるものはなにもなかった。自分自身を構成する全てが、嫌悪の対象となっていた。 …元々、わたくしはそういう人間だったのだ。 女王候補に選出される以前も、候補時代も、今と等しく強欲で、愚かだったのだ。 ゼフェルと共にいる時間は急増した。 一人でいるのがいやで、彼に会いにいってしまうからだ。 ぶっきらぼうに、でも嬉しそうにわたくしを迎えてくれる彼に甘えて、わたくしは毎日のように扉を叩く。 何も知らない彼は、普段通り笑ったり、ムッとしたり、顔を赤らめたりする。 わたくしも、そのたび大げさに反応する。 何も知らない彼は、女王の話をする。 わたくしも、彼に倣おうと努める。 何も知らなかったはずの彼に、昨日別れ際に聞かれた。 「…おめー、陛下と喧嘩でもしてんのか?」 もう限界だった。 いっそ、女王補佐官の任を解いてほしい…自分の弱さが生んだ無責任な願い。 それと知りながら、わたくしは強くそう願い始めていた。 「ロザリア」 収録が終わったあと、逃げるように聖殿を出ようとしたところで、呼び止められた。 視線を走らせると、真剣な眼差しをした風の守護聖が立っていた。 「今、すごく暇なんだ。執務を予定より早く終えてしまったのはいいんだけどさ、マルセルはまだまだ執務が終わらないみたいで」 表情とはかけ離れた明るい声で、彼は勢いよく言う。 「剣の稽古をつけていただこうかと思ったオスカー様は…ええと、なんだかお忙しいみたいだし…」 わたくしは、苦労しながら口の両端を大きく引き上げた。 「素敵な女性との時間を邪魔しては、稽古ではなく、命をかけた決闘を申し込まれかねないものね」 言い終わるか終わらないかのうちに、彼は首を大きく縦に振った。 「そうだろう!俺もそう思うんだ!だから…もし良ければ、お茶でもどうかなって思って。最近、君とあんまり話せてないしさ」 一刻も早く帰りたいのに、と思った。なにしろ、笑顔を作っただけで疲れてしまうくらいなのだ。 だが、同時にその申し出がありがたくもあった。 一人で部屋にいても、癒されることなどない。シャワーを浴びても、食事をしても、息苦しさからは開放されない。ベッドに入ってからの時間については、考えたくもない。 今日はゼフェルと会うつもりもなかった。 昨日、わたくしは彼の質問に首を振った。 彼はそれ以上何も聞かなかったけれど、いつかは彼の納得のいく答えを求められるはずだ。 迷っていたわたくしが結局誘いを受けたのは、ランディの次の一言のためだ。 「君のことが心配なんだ」 back next top |