ゼフェルが発ってから四日が経ったが、そう寂しくはなかった。
 元々、週末にしか会っていなかったということもあるが、なにより大きかったのは、見送りにいった時に手渡された、彼のお手製らしい通信機器の存在だった。
 片手で持てる大きさの四角いそれは、一見すると冷たい印象を受けるが、機械音痴のわたくしでも簡単に扱える、親切な設計だ。
 まるでゼフェルのようだと思って、そう思った自分に少し照れた。
 とにかく、その通信機器は、一日に一度、何光年も離れた場所にいるわたくし達を繋いでくれる。話ができるのは、一回につき数分程度だったが、それで充分だった。

 ゼフェルがいない間、ルヴァとランディがお茶に誘ってくれた。
 彼らはそれぞれ、別々に誘ってくれたのだが、どちらもわたくしを気遣うような表情をしているように思えた。
 二人とも、わたくしとゼフェルの交際を知っていて、彼が一週間いないことを気にしてくれているのかもしれない。
 もしそうなら…もちろん、その気持ちは嬉しい。
 嬉しいけれど、ゼフェルがいないのはたった一週間なのだ。
 大げさな気がして、申し訳ないと思いながらも、少しだけ笑ってしまった。




 中庭を通る渡り廊下を歩いていると、前方にオリヴィエが見えた。
 オリヴィエは、先にわたくしに気づいていたようで、笑顔で手を振っている。
「ロザリア、明日空いてな〜い?暇だったらさ、ちょっとショッピングにつきあってほしいんだけど〜」
 週末を控えているせいか、駆けてきたオリヴィエの足取りは弾んでいる。
「ごきげんよう。残念ですけれど、明日は陛下と約束がございますの」
 そう答えると、オリヴィエは大げさに眉を寄せた。
「もう、最近付き合い悪いよ〜?彼氏も女友達も大切だけど、男友達も大切にしてよね」
 思わずオリヴィエの顔を凝視すると、オリヴィエは意味ありげな笑顔を浮かべていた。
「…ご存知でしたの?」
「ご存知も何も、ゼフェルとばっかり遊んでるだろ?そりゃわかるって」
 ため息をついて見せるオリヴィエに、わたくしは慌てて反論する。
「ゼフェルとばかりというわけではありませんわよ!陛下とだって」
 よくお茶をしていますわ、と続ける前に、呆れたようにオリヴィエは首を横に振った。
「だ〜か〜ら〜…ま、いっか。幸せそーでなにより!」
「ねえオリヴィエ、あなた以外の方もご存知なのかしら?」
「ジュリアスとクラヴィスはどうか知らないけど、他は皆知ってるはずだよ。ルヴァなんて、ロザリアが寂しくしてんじゃないかって心配してたよ。人のことより自分のことを心配した方がいいんじゃないってカンジだよね〜」
 予想通りの答えだったが、わたくしの顔は熱くなった。
「やっぱりそうでしたの。ルヴァもランディも、普段と少し違っていましたもの」
「ランディ?」オリヴィエは、意外そうに聞き返す。
「ええ。…ゼフェルが視察へ行ってから、ルヴァとランディがお茶に誘ってくれたのですわ」
「へ〜え、ランディがね」
「…お気持ちは嬉しいのだけど、そこまで心配していただかなくても…ええと…」
 その先をどう続けていいかわからず、口ごもったわたくしに、彼は優しく笑った。
「ま、私が誘ったのはルヴァとは違って、気を使ってってワケじゃないけどね。単純にアンタとショッピングに行きたかったってだけ。…ランディはどうかわかんないけど」
「やけにランディにこだわりますわね」
「フフフ、余計なこと言っちゃいそうだから、そろそろ行くね。あ、それと、アンタ達ってお似合いだと思うよ。若いっていいね〜…って、ワタシもまだまだ若いけどね!…危ない危ない。じゃ、次は付き合ってよね」
 やはり軽い足取りで立ち去ったオリヴィエを見送ってから、わたくしも急いで執務室に戻った。彼に言ったように、明日は女王と約束があるのだ。今日中に全ての書類に目を通さなくてはならない。




 どうにか仕事を終えて帰路に着いたわたくしは、くたくたに疲れていた。
 一度気を抜くとそのまま眠り込んでしまいそうな気がして、すぐに食事と入浴を済ませた。
 肌の手入れをしていると、受信を知らせる黄緑色のランプが光った。まるでわたくしを急かすように、ピカピカと点滅を繰り返す。
「昨日も一昨日も、もっと遅い時間でしたのに」
 勝手な言い分を呟いて、急いで手についていたクリームを洗い流す。ふと鏡を見ると、笑顔の自分がいた。
 先の勝手な言い分は、照れ隠しだと認めざるを得なかった。
 

 わたくし達のことを皆が知っているらしいことを彼に話すと、彼は「いーんじゃねーの」と言った。その声が嬉しそうだったので、わたくしも嬉しくなった。
 明日の予定を聞かれたが、何もないと言った。その瞬間だけ心に影が差したが、すぐに消えた。わたくしは、楽しい気分で会話を終えることができた。

 通信を切って、手の中の機械を撫でた。デスクの一番目立つ場所に置く。
 明日の約束は昼過ぎだから、少々の夜更かしをしても構わないと判断して、本棚から一冊の本を手にとった。ありふれた筋の恋愛小説だ。
 初めて読んだのが中等部に入ったばかりの頃ではなかったら、きっと気に入らなかっただろう。それより早くても、遅くても、だ。
 恋に憧れていた当時の自分を思い出さないうちに、物語に入り込んだ。




 約束の時間に女王の部屋を訪ねると、甘い匂いに出迎えられた。
 テーブルには、アフタヌーンティーの準備がされている。
「本日は素敵なお茶会にお招き下さって、ありがとうございます」
 気取って言うと、女王はドレスの裾を摘んで丁寧にお辞儀をした。
「今日は、きちんと起きられましたのね」
 普段は寝坊ばかりしている女王に、軽い厭味を言ってみる。
 ただ、寝坊と言っても五分程度の罪のないものだ。…だからこそ、わからないのだが。たった五分なら、早く起きられそうなものなのに。
 わたくしの厭味は全く利かなかったようで、女王は元気よく首を縦に振る。
「すっごく楽しみだったんだもん!今日は、女の子の楽しみを味わい尽すわよ!」
「女の子の楽しみ?」
 女王は、ニッと笑った。
「女の子の楽しみって言えば!まずはおいしいお菓子を食べることー!それからお買い物っ。あとはおしゃべり!」
 指を一本一本折り曲げて今日の予定を数え上げる女王の後ろに、ドレスのカタログがどっさり積まれているのが見える。
「ロザリア、ゆっくりしていってね!」


 女王とわたくしは、服の趣味が合わない。彼女がわたくしに似合うと言うものは、肌の露出が多すぎるように思えるし、わたくしが女王に薦めるものは、地味だと言われる。
 結局、自分の欲しいものを注文することになるので、二人でカタログを見る必要はないのだが、いろいろと言い合うのが楽しくて、時間があっと言う間に過ぎていく。カタログのページをめくり始めてから、既に二時間も経っていた。

「これ着たい!」
 女王が指で差した写真を見て、わたくしは目を瞠った。
「これ?」
 そのドレスは豪奢だったが、女王が自分用に選んだにしては、胸元が大きく開き過ぎていた。わたくしには露出の多いものを着せたがるが、彼女自身は胸元がフリルやレースで飾られたかわいらしいものを好んで身に着けるのだ。
 それに、わたくし達の年齢にはそぐわない臙脂色で、黒の細かいレースで飾られた装飾過多なそれは、パーティーはパーティーでも、仮装パーティー用といった趣だった。
「仮装行列にでも出たいの?」
 感想をそのまま言うと、彼女は少し考えてから目を輝かせた。
「ねえ、これ、仮面舞踏会に良いと思わない?」
「…仮面舞踏会!?何言ってるのよ。そんなのないじゃない」
「なければ私が開くわ!羽根で作った目隠しをして、扇を持つの。そして、素敵な男性と踊るの。ね、楽しそうじゃない?」
「まさか、あなた本気じゃないでしょうね…」
 不安になって尋ねると、女王は力強く頷いた。
「もちろん本気よ!ねえ、いいでしょ?」
「ダメですっ!そのようないかがわしい催しを女王が主催するなんて、前代未聞ですわ!」
 気持ちを切り替えて、補佐官としての立場でそう言った。
 女王の責務は重い。羽目を外す時間も必要だとは思う。
 だが、さすがにこれは却下しないわけにはいかなかった。

「ロザリアは、普通のパーティーでも彼氏と踊れるからいいじゃない。私だって、男の人と踊りたいな。つまんないよ〜!」

 その言葉を聞いた途端、濁った空気を吸い込んだように気分が悪くなった。
 駄々をこねる子どものように両手を振り回している女王が、急に憎らしくなる。
「あなただって、彼氏がいたじゃない。自分からふったのでしょう?」
 思わずそう言ったが、すぐに我に返った。
 女王は、どの表情を選べば良いのだろうと、困っているように見えた。
 また、傷つけたのか、それとも逆に傷つけられたのか、どう受け止めれば良いのかと、困っているようにも見えた。
 とにかく、彼女は困っているのだと思った。
 今わたくしがすべきなのは後悔ではなく、笑顔と明るい声音を作る努力だ。冗談にしてしまわなくてはならない。バランスが崩れる前に、早く。
「もう、わがままばかり言うんだから。困った女王陛下だこと」
 彼女も、わたくしと同じ選択をしたのだろう。冗談として流そうと思ってくれたに違いなかった。彼女もまた、笑顔を作ったのだから。
「私って、ないものねだりかもー」 
 けれどその一言が、けばだっていたわたくしの神経を逆撫でした。



 




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