このままでは勝てない。でも決して負けるわけにはいかない。 負ければわたくしには何も残らなくなってしまう。 勝てないのなら、わたくしはどうすればいいの? 手立てはもう、何もないのに。 ごめんなさいアンジェリーク。 わたくしは、わたくしは…… 「ジュリアス様、エリューシオンからお力を引き上げてくださいませ」 5 「俺、見ていられないよ」 憂鬱気に、ランディは呟いた。 「どうしちゃったんだろ、ロザリア」 不愉快そうに、ゼフェルは答える。 「知んねーよ。オレらには何も言わねーんだから、わかるわけねーじゃねーか。そんなにまでして女王になりてーって思ってるとこからわかんねーしな」 「確かに俺たちは守護聖で、彼女達は女王候補だけど…彼女にとっては、ただそれだけだったのかな」 マルセルが口を挟む。 「どういう意味?」 「俺がおかしいのかも知れないけどさ、人対人としてつき合ってるって思ってたから。ゼフェルは笑うだろうけど、友達なんだって思ってたんだ」 「そんなもん、片っぽだけが思ってたって意味ねーんだよ!」 苦々しげに吐き捨てる。 「悪あがきしてねーで、さっさと諦めちまえばいーんだ!」 マルセルがゼフェルを睨んだ。 「そんな言い方ってないと思うな。ロザリアがかわいそうだよ」 視線を真っ向から受け止めて、それをはじき返した。 「かわいそう?じゃーよ、アイツ一人のために振り回されてる周りのヤツらの気持ちはどーなるんだよ。いっつも深刻な顔して、最近じゃ妨害しか頼んでこねー。あんまり窶れてやがるからこっちが仏心出していろいろ聞いてやっても、口を開きもしねー。オレらにもアンジェリークにも、いい迷惑だぜ」 機関銃のように、溜まった不満を吐き出していく。 「気分わりーぜ。どっちにしたってもうアンジェリークが女王になるのが見えてんじゃねーか。だったらよ、諦めるしかねーんだよ。補佐官になんのなら、こんなことばっかやっててプラスになるわけねーだろ!」 「確かにそれはそうなんだけど、きっと何かあったんだよ。僕達と一緒になって遊んでたあのロザリアが、こんな風になっちゃうなんて、おかしいよ」 「あの頃は、楽しかったよな。アンジェリークもロザリアもよく笑っててさ。最近はアンジェリークも忙しそうで遊んでくれなくなっちゃったけど」 寂しそうなランディに、それは仕方ないよ、と言ってマルセルは少し笑った。 「とにかくよ、試験なんて早く終わればいーんだよ。じゃーオレは行くぜ」 ゼフェルの背中が小さくなるのを見送って、マルセルはランディへと顔を向けた。 「ねえランディ。ゼフェルってロザリアのこと、そんなに嫌いなのかな。僕もランディと一緒で、アンジェリークもロザリアもとっても好きだから、なんだか悲しいよ」 ランディはゆっくりと首を振った。 「多分そうじゃないよ。きっとアイツも俺たちと同じで、ロザリアのことを友達だって思ってるから辛いんだよ。苦しむロザリアの姿を見たくないから試験が早く終わればいいって言ってるんだと思う」 「じゃあ、ランディも試験が早く終わればいいって思うの?」 「俺には、わからないよ」 アンジェリークの姿が見えると、ロザリアは隠れるようになっていた。 大好きなアンジェリーク。あなたは何を悩んでいるの? 気づけなくてごめんなさい。 あなたの育成する地を妨害してしまってごめんなさい。 ……あのね、わたくし、オスカー様を失ってしまったの。 伝えたい言葉達を胸に押し込めたまま、ロザリアは女王候補として生活していた。 とにかく、話がしたかった。育成の合間の、少しの時間でもよかった。 だが、アンジェリークが自分に対してどのように反応するだろうかと考えると恐ろしくてならず、アンジェリークの姿をただ目で追うばかりだった。 思い悩んだ末、ロザリアはようやく決意した。 今のままでは、あなたまで失ってしまいそうで怖い。 とても怖いの、アンジェリーク。 ―――――― だから、明日こそあなたに話しかけるわ。 早朝、鏡の前で身嗜みを整えていたロザリアに、扉を閉める音が小さく聞こえた。 慌てて外に出ると、アンジェリークは足早に宮殿へと向かっていた。 ロザリアは、後を追う。 前だけを見て、ロザリアに気づくこともなく宮殿へと入っていくアンジェリークの姿は、ロザリアの勇気を挫かせかけたが、それでも徐々に追いついていく。 声が届くかと思われた距離まで近づいた時、アンジェリークの足は止まった。つられてロザリアの足も止まる。そこは炎の守護聖の執務室の前だった。 物怖じせず扉をノックしたアンジェリークは、室内へと入っていった。 「よりによって、オスカー様に用があったのね」 ロザリアは、独り言とため息を同時に吐き出した。 複雑に揺れる心をおとなしくさせ、とにかく彼女が出てくるのを待つことにした。育成の依頼なら、そう時間はかからないはずだと考えたのだ。 張り詰めていた緊張感が緩んで、はしたないと思いながらも壁に凭れていると、室内から声が漏れてきた。 大きな音を立てない限り、外に漏れることはない造りになっているはずなのに、と不思議に思うロザリアの耳に飛び込んできたのは、アンジェリークの声だった。 「わたし、オスカー様を許せません!」 恥も外聞もなく、ロザリアは耳を扉に近づけた。不穏な空気に、ロザリアの胸には新しい緊張が生まれた。 「わたしは、オスカー様が好きでした」 信じがたい言葉がはっきりと聞こえた瞬間、ロザリアは自分の心臓が止まってしまったような錯覚を覚えた。同時に、視界が大きく歪んだ。 アンジェリークも、オスカー様を好き…? …そんな…そんな…。 ……わたくしは知らない! 歯の根が合わなくなり、ガチガチと音がする。手が震え始める。体中が隙間だらけになったように思えて、思わず全身を扉に押しつけた。 「それは光栄だ。かわいい女の子からそう言われて喜ばない男はいないが、過去形なのが残念だな」 「黙って下さい」 「失礼。せっかくの愛の告白の途中で遮るなんて、俺としたことが無粋なことをしてしまったな」 「止めて下さい。わたしの気持ちはご存知だったんじゃないんですか?それに、愛の告白をしたいわけじゃないことだってわかっているはずです」 アンジェリークの声は、どこまでも冷ややかだった。 「オスカー様は、ロザリアを愛していたんじゃなかったんですか」 「…親友に代わって、君が俺に罰を与えに来た、ということか?」 「違います。…わたしは、女王になります」 音が消えた。 「どうしたお嬢ちゃん。確かに、君が女王になるだろう。それは泣くほど悲しいことなのか?」 ロザリアを愛していたんじゃないんですか。 わたしは、女王になります。 君が女王になるだろう。 胸が張り裂けそうな痛みは、どちらの、どの言葉によって与えられているのだろう。 「オスカー様とロザリアが恋人になった時、とても辛かったけど仕方ないって思おうとしました。だってロザリアはわたしの大事な友達だから」 「…お嬢ちゃんは、とても強いんだな」 初めて感情がこもった口調で、オスカーは言った。 「強くなんてありません。本当は、友達だからこそ悲しかったんです」 「やはり、君は強い」 感心したような声。 「それでも!自分の心に嘘を吐いてでも、幸せになって欲しいって思おうとしました。それなのに、オスカー様とロザリアは…」 「ロザリアから聞いたのか」 「聞いてはいません。でも、そうなんでしょう?」 目の前が暗くなる。何も考えられない。 「それに気づいた時、わたしの大陸は急速に発展していました。皆様は、誉めてくださいました。よくがんばったって。次期女王に相応しいって。…でも、ちっとも嬉しくありませんでした」 「わたしは、女王になります」 感情を押し殺したような声でアンジェリークは繰り返し、全てを吐き出すように叫んだ。 「わたしは、もう恋をすることはできないんです!」 ――――――もう、アンジェリークは恋をすることができない。 「もう一つ」 オスカーの声は聞こえない。 「親友を私から奪いました。ロザリアのことは今でも大切に思っています。それなのに…ロザリアと顔を合わせることができなくなってしまいました」 「俺のせいで、か」 「そうです。彼女はわたしの気持ちを知らないし、たとえ知っていたとしても彼女は何も悪くないのはわかっているのに!オスカー様とロザリアが恋人になったことを知った時よりも、今のわたしは醜い感情を抑えられない…。わたしは、そんな自分が許せない。それなのにロザリアも許せない。わたしから全てを奪ったあなたを許せない!」 悲痛な泣き声が、ロザリアの空っぽの頭に満たされたが、そこまでだった。 もう、何も聞きたくなかった。 闇雲に走った。 自分の部屋にも、湖にも、あの忌まわしい公園にも行きたくなかった。 その場所がどこであるか認識できないまま、倒れこんだ。 目を閉じたら嫌なものが浮かんで来るような気がして、目を開けたまま周りの色だけを映した。 朝日を浴びて、キラキラと輝く緑色。 眩しい日差し。 オレンジ色の夕焼け。 徐々に周囲が暗くなり、やがて夜が来た。 瞬間、全身を貫く虚脱感に襲われた。 首を上げようとすると、節々が痛んだ。 ロザリアは、最後の一つが失われたのを知った。 動かないロザリアの頭上で、無限にも思える数の星が流れていく。 女王候補としての日々は、終わりを告げた。 back next top |