笑顔しか見せてくれないあなたは、綺麗なお人形のよう。
からかうことすらしてくれず、あたりさわりのない言葉だけを吐き出す。
わたくしとの思い出は、その胸の綺麗な宝石箱にしまっているのでしょうね。
それによって傷つくこともなく、時々取り出しては眺めて、微笑んでいらっしゃるのではなくて?
わたくしを憎むことも、自身の軽率を悔やむこともせず。

最もわたくしを痛めつけるのは、あなたのその笑顔。

見えませんか?
聞こえませんか?

わたくしの胸から流れる血の赤が。
それがゆっくりと滴り落ちている音が。


最も憎いのは、彼の興味を失ったことを嘆き続ける自分自身。



聞いてしまったのなら、なおさら。





4




 ―――――――金の髪の女王陛下の誕生だ!


 ―――――――新女王陛下、万歳!




 何百日とかけて積み重ねてきたものが、たった一日で崩れ落ちた。





「ロザリア様…あの、お客様が見えておりますけれど」
 ロザリアは答えない。
「ジュリアス様、ですが…いかがいたしましょう」

 ジュリアスは、誇りを司る光の守護聖だ。そんな人物には会いたくなかった。
 今の自分には、誇りなんて一欠片も残っていないのだ。
 今日は髪も梳いていない。それどころか、着替えてもいない。今の自分はさぞかし醜い姿をしているだろう。自分ですら見たことがないくらいに、だ。
 そう思うと、急に自分自身が滑稽に思えてきた。僅かに口の端が上がったが、一秒もしないうちに引力に従い、下がった。
 
「お断りしてちょうだい」
 ロザリアは、淡々と言った。
「ロザリア様!?」
 大声が頭に響いた。もう少し静かに話せないのか、と苛立ちを覚える。
「ですが…よろしいのですか?」

 新たな女王が誕生した。
 昨日、いつもより遠く見える星空を眺めていた時にわかった。
 流れる星々よりも、強くそれを理解せしめたのは、臓器の全てがごっそりと抜き取られてしまったのかと思い違うほどの喪失感だった。

「アンジェリーク陛下にお祝いを申し上げたく存じますが、体調が優れず御前に上がることができそうにありません」
 ばあやの表情が、固まった。
「ジュリアス様にお伝えしてちょうだい」
「ロザリア様、どういうことでございますか!?」
 言った通りよ、と言い捨てて、ロザリアはベッドに向かった。

「失礼する」
 突然の声は、ジュリアスのものだった。
「許可を得る前であるが、勝手に入らせてもらった。非礼は十分に承知しておるのだが…どうしても、そなたと話をしたい」
 礼儀を重んじる光の守護聖らしからぬ振る舞いであるが、ロザリアは驚かない。
「わたくしこそ、お見苦しい格好をお見せして申し訳ございません」
 動揺する様子も見せず、ロザリアはそのままベッドに腰掛けた。

「ジュリアス様!ロザリア様は体調がお悪うございますので、恐れ入りますが本日はどうかお引取りくださいまし!」
「ばあや、明日はもう、来ないのよ」
「ああロザリア様、お話はまた後ほど伺いますからもうお休みくださいませ」
 ジュリアスが口を開く前に、ロザリアが続けた。
「アンジェリークが女王に決定したのよ。だから、明日はもうないの。そうですわね、ジュリアス様」

 息を呑むばあやを見たロザリアは、自分の感情が揺れたのを感じた。だが、ばあやに優しい声をかける気にはなれなかった。ジュリアスへと視線を走らせる。
「ジュリアス様はわたくしに、それを伝えにいらしたのでしょう?わざわざ足を運んでいただいて申し訳ございません。ですが、体調が優れませんので、皆様方の…ましてや新女王陛下の御前に上がることができそうにありません。祝いの席に病人がおりましては、ご迷惑がかかりますわ」
 


 ジュリアスは、苦しげな顔をした。





―――――――――――――――――――――――――――――





 オスカーから別れを告げられた夜、茫然自失の体で戻ったロザリアは、目についた扉を開け鍵をかけた。飛び込んだのはバスルーム。

 最初の一粒が落ちたのを合図に、悪夢のような時が脳裏に浮かび上がった。
 流れる涙と、怒りと、屈辱に塗れ、着衣のままその場にへたり込んだ。
 時間の感覚がなくなっていたので実際はどれだけの時が経過したのかはわからないが、涙はすぐに枯れたように思う。
 しかし、嗚咽はいつまでも止まらなかった。

 ばあやの声が遠くで聞こえた気がした。
 何があったのかを彼女に話す前に、自分にこそ説明が欲しかった。
 
 ――――――これまでのことは、いったいなんだったの?オスカー様は、何を言っていたの?わたくしたちは、これからどうなるの?
 
 明け方には、声も嗄れていた。

 それでも、ロザリアは育成を休まなかった。
 

 
 朝一番に、まず王立研究院に向かってデータを取り寄せた。
 先日もオスカーはフェリシアにサクリアを送ったようで、炎のサクリアは十分に満ちていた。
 どんな想いで彼はサクリアを送ったのだろうかと疑問が浮かんだが、その日はこれ以上彼のことを考えたくなかったので、それを頭から追い払った。
 一週間は育成を頼まなくても良さそうだと判断して、ロザリアは少なからず安堵した。
 今すぐにでも会って彼の真意を聞きたかったが、それをするには勇気が不足していたし、心の奥底には彼の方から訪ねてくるべきだという思いもあった。その可能性が皆無に等しくても、ロザリアは待ちたかった。
 

 しかし、試験の性質上、オスカーと再び顔を合わせるまでに時間はかからなかった。
 僅か三日後、闇の守護聖の執務室を退出したロザリアの目の前に、彼がいた。
 
 オスカーは、動けないロザリアに笑顔を向けて挨拶めいた言葉を口にした。
 突然の出来事にただ混乱するばかりだったロザリアは、オスカーの横に立っていた光の守護聖の姿を認め、なんとか頭を下げた。

「顔色が良くないな。しっかり休んでくれよ、お嬢ちゃんは、大切な女王候補なんだからな」

 応援してるぜ、と言って、オスカーはもう一度笑った。
 時間が巻き戻ったように。
 飛空都市に来たばかりの頃と、同じように。

 その時、ロザリアにははっきりとわかった。
 自分は彼の心の中の海に、凪を起こすことすらできないのだと。
 いや、できなかったのだ、と。
 
 


 突然すぎた、そしてあまりに一方的な終幕。
 
 修復は不可能でも、正式に別れの言葉を聞けば、諦めることができるかもしれない。
 考え疲れたロザリアは、そう結論を出した。
 せめて、自分の手でも幕を引きたい。

 違う。
 これらは全て、後付けの理由だ。
 とにかく、二人だけで話す時間が欲しい。
 オスカーは、フェリシアにサクリアを送り続ける。
 もう、都合が良いなどとは思えなかった。

 育成の依頼ができない。執務室を訪ねる大義名分が与えられない。
 勝手に人の心を想定し、気を使っているつもりにでもなっているのか?
 それとも、オスカー自身が会うことを拒否しているのか?

 許容範囲を超える痛手を負いながらも育成を懸命に続けていたが、その理由には不純物が混じるようになっていた。
 オスカーの目に映る自分を、少しでも飾り立てておきたかったのだ。
 


 いとも簡単に捨てられた自分。試験に取り組む姿勢。断ち切ることができない想い。
 全てが、自己嫌悪へと繋がっていく。
 ロザリアは、薄皮一枚で自我を保っていた。

 アンジェリークに相談しようかとも思ったが、できなかった。
 女王試験に一生懸命な彼女の邪魔をすることは本意ではなかった。






 その日、水の守護聖に育成を依頼したロザリアは、退出しようとするのを呼び止められお茶会に誘われた。
 それを丁寧に辞退すると、リュミエールは顔を曇らせて、時々は息抜きもしてくださいね、と言った。そこまでは、何度も繰り返されたやり取りだった。

「ロザリア。あなたもアンジェリークも、本当に一生懸命試験に取り組んでいますね。もちろん、大変素晴らしいことだとは思うのですが…」
 意を決したように、リュミエールはもう一度ロザリアの名を呼んだ。
「思い違いであれば申し訳ありません。ただ、お二人とも…深くお悩みになっていらっしゃるのではないかと感じるのです。私は、なにか些細な行き違いが元で、お二人が喧嘩をなさってしまったのかと想像しているのですが」

 隠していた動揺を悟られたこと、そして親友の異変に気づけなかったこと。
 笑顔を作って首を振るだけで、精一杯だった。



 何も言ってくれないアンジェリークに、一瞬でも不満を覚えた自分が情けなくなる。
 彼女も自分と同じように、育成の邪魔をしないよう気遣ってくれているのだろうし、仮に相談を持ちかけられていたとしても、自身のことで精一杯である今の自分は力になれなかっただろう。現に、アンジェリークが悩みを抱えていることに気づけなかったのだから。

 親友が、聞いて呆れる。
 ――――――リュミエール様は、気づかれたのに。










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