いくつかの不安のうち、一つは解消された。

『あまりに俗っぽいものを観すぎるのは、ロザリアのためにはならないと思うよ』
同世代の友人達が好んで見ていたドラマや雑誌。

お父様が言った言葉。
その通りだったと今は思う。

体を重ねたら、オスカーの態度が変わってしまうのではないか。
自分に対する興味を失ってしまうのではないか。

しかし、とりあえずそれは杞憂に終わった。
相変わらず、恋人は優しい。

何も、変わらない。




3



 少し見比べた程度ではわからないが、エリューシオンとフェリシアに差がつきつつある。
 抜きつ抜かれつの膠着状態が続いているように見えるが、育成をしているロザリアにはわかる。
 エリューシオンは、間もなく爆発的な成長を遂げるだろう。
 大陸の内包している力が、可能性が、今にも溢れ出そうとしているのだから。

 努力はしているつもりだった。
 鬼気迫ると形容できるほどの勢いで、育成に全てを賭けているアンジェリークを心配してはいたが、彼女を見ているうちに少しずつ焦燥感に駆られ出し、ロザリアも徐々にそうなっていった。

「ミイラ取りがミイラになった、とでも言うのかな?」
 そう言って笑ったオスカーとも、一ヶ月はプライベートで会ってはいない。

 まめに大陸を視察し、データを正確に分析し、予測を立て、必要な力を必要なだけ送っている。 守護聖達が口にする助言めいたものは全て頭に入れ、時には相談に乗ってもらうこともある。
 それなのに、敵わないのだ。

 ―――――― 『資質』

 頭をよぎった言葉が、胸に突き刺さる。
 どれだけ否定しても、その考えは頭から離れない。
 女王としての資質があったのは、自分の方ではなかったのか?


 日が落ちて、もう外は真っ暗だ。
 こんな時間に外出するのは非常識ではあるが、それでも部屋に一人でいると気が滅入ってしかたがないので、やはり出かけることに決めた。
 しかし、遅い時間でもあるし、行き慣れている場所の方がいいだろう。

「やっぱり湖か公園かしら」

 少し悩んで、公園に行くことに決めた。 夜の湖にはカップルが自分達だけの世界を作っていることが往々にしてあるので、避けることにした。
 ワンピースとハイヒールでは歩きにくいため、軽装に着替えて髪を束ねた。

「まあまあロザリア様!こんな時間にどちらへお出かけになるのですか?」
 クローゼットを開け閉めする音が聞こえたのだろうか、ばあやが飛んできた。
「少し息抜きに、散歩でもしようかと思っているのだけど…」
 悪戯が見つかった時のような気分になる。 幼い頃、よくばあやに叱られたので、なんだかバツが悪かった。
「もう日も暮れておりますし、危のうございますよ」
「ここは飛空都市よ?滅多なことは起こらないわよ。女王陛下のご加護もあるわ。…いけないかしら」
「それはそうかもしれませんけど…」
「そんなに遅くはならないわ。ほんの一時間程度でいいの。少しだけ、自分のために時間を取りたいの」
 言葉に詰まったばあやを見て、折れてくれるだろうとロザリアは予測する。
 厳しいが、とても優しい。ロザリアにとって、ばあやはそういう人間だった。
「最近は本当にお忙しくされてましたし、お気持ちはわかりますからねえ…」
「ほら、見てばあや。わたくし、とても動きやすそうな格好でしょう?公園に行こうと思っているの。あそこなら街灯もたくさんあって、比較的明るいわ。人もまだいるはずよ」
 はいはい、とばあやは笑った。
「ロザリア様、できるだけ早くお戻りくださいましね。ばあやは寝ずに待ってますから」
「ばあやったら、一時間くらいだって言ってるでしょ?ばあやがお茶を飲む時間には戻っているわ」

 行ってらっしゃいまし、という声を背に、ロザリアは扉を開けた。









 春の夜。
 風は心地よく、どこかノスタルジックな匂いがする。
 そう感じるのは、先ほど子どもの頃のことを思い出したせいなのだろうか。

 綺麗な空気の中で、深呼吸してみる。
『弱音ばかり吐いていても、どうにもならない』
 これまでも、何度か自分を戒めるために、頭の中で繰り返してきた台詞だった。
 今なら、”でも”や”けれど”といった余分な言葉を付け足さなくても、受け入れられる気がした。

 ロザリアがばあやに言ったとおり、公園にはまだ人がいる。
 ゆっくり歩いている年配の人は、やはり散歩をしているのだろう。 背を丸めて早足で歩いている人は、家路を急いでいるのだろうか。
 誰も、彼女を女王候補だとは気づいていないようだった。

 ロザリアは、女王候補である自分を誇りに思っているが、今はそれと気づかれないことが心を軽くしてくれた。

 狭い道に差し掛かる。
 草が青い香りを撒き散らす中を、足取りも軽くロザリアは進む。

 カップルが歩いている。長身の男女。寄り添いながら歩く二人は、とても仲が良さそうだ。
 男性はオスカーと雰囲気が似ている。彼に逢いたいと思う気持ちがそう見せるのかと、気恥ずかしくなる。

 煌々と光る街燈の下で、すれ違う。
 白い光に照らされた男の顔は、彼女の恋人のものだった。

「オスカー様…」
 男は足を止めて、振り向いた。
「ロザリア…!?」
 動かない二人に、女が声をかけた。
「お邪魔みたいね。先に行くわ」
 
 またね、とオスカーの肩をポンと叩き、歩いて行く。
 ベリーショートがよく似合っていて、 白いうなじが夜の中で映えている。

 ……とても、美しい、女性だ。
 霧がかかったようにぼんやりした頭で、それだけを思った。

「こんなに遅い時間に一人で歩いているのか!?君らしくないな」
 何食わぬ顔で、近づいてくる。
「俺に部屋まで送らせてくれないか?心配で眠れなくなりそうだからな」
 肩を抱かれた。
「さあ、行こう」

 ようやく意識がはっきりする。

「やめて!」
 手を振り払う。
「ロザリア…?」
「さっきの人に触れた手で…どうしてすぐにわたくしに触れることができるのですか!?」
 オスカーは困惑した様子を少しだけ見せたが、すぐに表情を消した。

「わたくしが育成に走り回っている間に、オスカー様は裏切ってましたのね!なんとかおっしゃったらどうなのです!?わたくしに下さったお言葉も、全て嘘だったのですわね!どうして…そんなひどいことを!」

 一気に吐き出して、背筋を伸ばしてオスカーを睨む。
「わたくしは、オスカー様を信じておりましたのに!」
「俺は君に嘘を吐いた覚えはない。そして、今日も、嘘を吐くつもりなどはない。それは信じてほしい」
 冷静な顔をしている彼が許せない。許せるわけがないではないか!

「いいえ、信じられませんわ!あんな…あんな商売女みたいな人と!」
「ロザリア」

 静かな声が響いた。

「君の薔薇のような唇は、そんな言葉を吐き出すためのものではないだろう?彼女はそういう女性ではないし、仮にそういう女性であったとしても、罵ったり、見下したりする権利は誰にもない。それが例え女王陛下であろうとな」
 痛烈な台詞がロザリアを刺す。
 理屈はわかる。卑しい言葉を口走ってしまったことも認めよう。しかし、なぜ自分が窘められているのか。
 責められるべき非は、オスカーこそにあるはずだ!

「でも、でもっ…!」
 上手く声が出ない。言葉が出てこない。
 項垂れたロザリアに、オスカーは優しく言った。

「お嬢ちゃん。君は若く瑞々しい薔薇の蕾のようだ。馨しく、魅力的に過ぎる。その甘美な匂いに誘われてやってきたのが哀れな昆虫である俺だ。しかし、俺にはお嬢ちゃんの価値を貶めることしかできないようだ。花と共存できる蝶ではなく、花に寄生する…さしずめ害虫といったところだろう」

 ――――――何を言っているの?

「無理に成長しようとすれば、どこかに歪が生じる。わかっていなかったわけではないが…すまなかったな」

 ――――――それは、何に対して謝っているの?

「君は、ゆっくりと時間をかけて、大輪の花を咲かせるんだろうな。願わくば、それを近くで見ていたかったが…」

 そう言って、オスカーはロザリアの手をとった。慎重に、まるでパーティーで淑女とダンスを踊る紳士のように。
 その時、ロザリアはようやく気がついた。
 ”お嬢ちゃん”と、呼ばれていることに。




「お嬢ちゃん、送ろう」





―――――――――――――――――――――――――――


何も変わっていなかったのだ。
手紙一枚で自由になる彼の夜を、あの女性も手にしたのだろう。
彼にとっては、変わる必要などないくらいに、些細なことであったのだ。


何も変わらないままでいられたのに。











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