しくしくと痛む抜けない棘。

いつ、この胸に刺さったのかは、わからない。
どこでミスを犯したのかも、わからない。

『わからない』こと自体が『彼に近付く資格がない』のだと、今になってようやく理解する。
結果、どうすることもできないのだと、もう一度思い知らされる。

あの人が言う。
『わかっているじゃないか』
恐ろしいほど、優しい声音。

『お嬢ちゃんも成長したな。…いい女になるぜ、きっと』
あの人が微笑む。
誠意の欠片もない表情で。





2





 湖の畔で、オスカー様はわたくしを見つめて下さったの。
 まあ、わたくしが先に見とれてしまっていたから、それに気が付いてこちらを向かれただけなのかも知れないけれど。

 ―――――そう、それで?

 でも、それがあまりにも長かったから、声をおかけしたの。
 オスカー様、わたくしの声に驚かれたみたいで、その様子がおかしくて、つい笑ってしまって…。

 ―――――ふーん。

 ちょっとアンジェリーク…アンタが聞きたいって言うから話してるのに、興味ないなら止めるわよ?

 ―――――……ごめん、ロザリア。続けて?

 そう?じゃあ続けるわね。
『女性の前で考え事をするとは、失礼した。しかし、だ。お嬢ちゃんの無邪気な笑顔を見ることができて嬉しいぜ』
 なんておっしゃるものだから、ついわたくしもうっかり…。

 ―――――なんて言ったの?

『何を考えていらっしゃったのですか?』って。言いたくなかったのだけど。

 ―――――…ああ、うん。なんとなくわかるわ。

 そうしたらね『もちろん、お嬢ちゃんのことに決まっているだろう?』って、平気な顔でおっしゃったの。
 なんとなく悔しくて『そのお言葉に嘘はございませんわよね?』って…真剣に聞いてしまったの。

 ―――――……。

 少しだけお黙りになってから、オスカー様はおっしゃったの。
『ああ、本当だ。君のことを考えていた』って。だから、わたくし…わたくしの気持ちを…。

 ―――――告白しちゃったの?

 告白と言えるかどうかはわからないけれど、守護聖様としてではないオスカー様も知りたいです、って…一人前の女性だと認めていただけるよう、がんばりますからって。…ねえ、恥ずかしくなってきたから、もうこのへんでおしまいにしていいかしら?

 ―――――あ…ねえ、オスカー様はその後なんておっしゃったの?

『いいのか?』ってお聞きになられたわ。わたくしが頷くと…わたくしの方に歩いていらして…。それで、あの…えーと…。いいじゃない、もう!

 ―――――そっか…ロザリア?

 なによっ。

 ―――――おめでとう。

 …ありがとう。ねえ、アンジェリークはどなたかに想いを寄せていたりはしないの?

 ―――――わたし?…わたしは、いないの。

 そうなの。もしそういう方ができたら、教えてくれる?

 ―――――…うん。


―――――――――――――――――――――――――



 女王試験も大詰めを迎え、日々の忙しさは当初のそれとは比較にならなくなった。
 アンジェリークも育成に視察にと飛び回る毎日で、息のつく間もないと先日こぼしていた。

 彼女と顔を合わせることができたのも実に一週間ぶりだったから、少し話がしたかった。しかし、アンジェリークは止める間もなく挨拶だけを残して、王立研究院の方へと走って行ってしまった。
 フェリシアとエリューシオンは、共に驚くべき発展を遂げている。どちらが先に中央の島にたどり着いてもおかしくはない状況であるから、仕方がないとは思うのだが、やはり、少し淋しい。

「このお部屋で一緒にお茶を飲んで下さるのは、オスカー様だけになってしまいましたわ」
「俺だけでは不足なのか?つれないことを言わないでくれよ」
 そんなことはありませんけれど、とあまり気のないようにフォローを入れて続ける。
「わたくしたちは女王候補でライバルですけれど、時々は一緒にお茶くらい飲みたいと思っていますのに」
 二週間ぶりに時間を共にすることができたので、ロザリアはいつもの二倍ほど溜め込んでいたありとあらゆる出来事をオスカーに話す。育成状況、他の守護聖や女王、補佐官について気づいたこと。そして、最近あまり話ができないアンジェリークのこと。

「まるで、金の髪のお嬢ちゃんと君が入れ替わったみたいだな」
 今の今まで淋しがっていたはずのロザリアであるが、眉をキッと上げて反論する。
「あら何をおっしゃいますの?わたくしは何一つ変わっておりませんわ。効率よく育成をして、きちんと休息を取ることがベストだと思っておりますから」
 そして、また静かに呟いた。
「だから…アンジェリークのことが、少し心配なのですわ」

 オスカーは呆れたように頭を振った。
「…金の髪のお嬢ちゃんのこともいいが…」
「はい?」
「だからだな…そうだな、できれば俺のことも心配してくれないか?」
 顔を顰めたオスカーは、そう言われれば、ではあるが、具合が悪そうにも見える。
「オスカー様、どこかお悪いのですか!?」
 駆け寄ったロザリアを両手で捕まえて、一瞬のうちに唇を奪う。
「オスカー様…んっ…ちょっと…」
「病気になりそうだったんだぜ?」
「です、から…。あっ…」

 自由に口を動かせないので、目で訴えようとオスカーの瞳に視線を向けた瞬間、ロザリアの背筋は凍りついた。
 まるで、ガラス玉のように無機質に見える瞳。

「ん?どうしたんだ?」
「…いえ」
「お嬢ちゃん、そのかわいい顔を見せてくれ」

 勇気を出して顔を上げると、いつもと同じ…そう、少し薄情そうではあるが、過剰なほどに妖艶で美しいアイスブルーの瞳がそこにあった。

 ―――――――見間違い…ですわよね。

「お嬢ちゃん?」
 心配そうに呼びかけられる。

 ―――――――だけど、頭から離れない。

「…わたくしを抱きしめて下さいませ」
 何も言わずに抱きしめてくれたオスカーにしがみつく。
「わたくしのことを、どうお思いになっていらっしゃるのですか?」

 オスカーは、自分の好意を受け入れてはくれた。しかし、オスカー自身の気持ちが掴めない。
「お嬢ちゃんは、俺の女神だ」
 愛の言葉を囁いてはくれる。だが、これは心からのものなのだろうか?


 ――――――これ以上は怖くて聞けない。

 あの瞳が、見間違いではなかったら?

 腕の力が緩められた。
「もしかして、君の方こそ体調が悪いんじゃないのか?」
 大きな手が額に当てられる。
「熱はないな」

 ――――――けれど、もっと知りたい。

「以前にも申し上げましたが、オスカー様をもっと知りたいのです」
「俺も初めて会った時に言ったはずだが…君さえ望めば、俺の夜はいつでも君のものだ。分かり合うにはそれが一番なんだぜ?」

 冗談で話を流そうとしているように思えてならない。

「…手紙が必要なら、今ここで書きますわ」
「おいおい怒ったのか?悪かったよ」
 困った顔で宥めようとする彼を見ていると、その想いはますます強くなる。
 勢いで出ただけの言葉が、本心となっていく。
「いえ、わたくし、怒ってなどいませんわ。オスカー様」
 オスカーの顔から笑みが消えた。
「オスカー様の夜を、わたくしに下さいませ」

 オスカーは僅かに口元を動かして、頭を振った。
「…本気で言っているのか?」
「もちろんですわ」
 平静を装って答える。

 そうか、と一言漏らして俯く。
 次に顔を上げた時には、再び彼は笑っていた。

「ではお姫様、どこで愛を交わそうか」
 ロザリアを抱き上げて、からかうように問いかける。
「どこでも構いませんわ…。オスカー様さえいらっしゃれば」
 震えないように、注意深く、言葉を発する。
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。もちろん俺の気持ちも同じだ」
「わたくしも、嬉しいですわ」
「…それではお姫様をさらわせてもらうとしよう」
 熱っぽく囁いた。そしてそのまま、扉を開けて外に出ようとする。

 ――――――わたくしが嫌がらなければどうなさるおつもりなのかしら。

 この状態のままで外を歩いたとしたら、間違いなくジュリアスの耳に入るだろう。それがわからないオスカーではないはずだ。

 ――――――きちんと嫌がって差し上げますわ。

 少し意地悪く考えてしまうのは、多分、強がっているから。
 望んだのは自分自身。
 …それでも、やはり怖い。

 追い打ちをかけるように、風景をただ反射しているだけのように見えたガラス玉が…あの瞳がフラッシュバックする。

 だけど。

「さあ行こうか、ロザリア」

 ――――――甘く囁く声が、わたくしを溶かして…。

 ――――――――――――――何も考えられなくなる。










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