15


 空が白むと同時に、雪が降り始めた。
 木々に、土に、屋根に、舞い降りる。

 冬の早朝の空だけが持つ、独特の薄い灰色が、豪壮な屋敷を心許なく見せていた。



 その連絡を受けた日、ロザリアは常よりも一時間ほど早く身支度を終え、朝食を取らずに応接室に入った。
 窓を背にして、視線を扉の上に固定する。
 正確な角度で放たれた見えざる矢は、数時間の後にベルが鳴るまでそこに在り続けた。
 


 ロザリアの目の前に三名の男達が並び、寸分の乱れもなく揃って一礼をした。
 右端の男は、持ち歩くには苦労しそうな大きさのバッグを携えている。
「聖地からの御使者の方々ですわね?ロザリア・デ・カタルヘナでございます」
 丁寧に、だが機械的に頭を下げる。

 ソファに腰掛けると同時に、使用人がワゴンを押しながら入室した。
 紅茶の香りが部屋中に広がったが、張り詰める空気を和らげてはくれなかった。

「お時間はそういただきませんので、お構いなきようお願いいたします」
 ロザリアと使用人を交互に見やって、中央の男が遠慮がちに言った。
 それを受けて、ロザリアは使用人に合図を送る。
 立ち去ろうとする使用人を見て、やや慌てたように男は早口で付け加えた。
「勝手を申しますが、我々がおります間は、こちらにはどなたもお入れにならないようにお願いいたします」
 頷いたロザリアは、まさに退室せんとしていた使用人を呼びとめ、その旨を伝えた。



 扉が閉じられたのを確認した使者は、ロザリアに向き直った。
「以前、あなたは女王候補であられましたね?」
「ええ、おっしゃる通りですわ」
「炎の守護聖様を覚えておられますでしょうか?」
「もちろんですわ。オスカー様、でしたわね」
 男は咳払いを一つして、他言無用にお願いします、と言って続けた。
「そのオスカー様が、行方不明になられました」
 
 両脇の男達は、不自然な仕草を見逃すまいとするように、沈黙したロザリアを凝視している。
「なにか、ご存知ではありませんか?」
 目を見張ったロザリアから、男は視線を外して続けた。
「あなたが候補であられたのは10年以上も前のことですし、私どももオスカー様の居場所を知っておられるとは考えておりませんが…。事が事でありますから、オスカー様に所縁のあった全ての方をお訪ねしろとの命を受けておりますもので」

 言い訳がましく言う使者は、おそらく何も知らされてはいないのだろう。
 そしてそれは、聖地の中枢部もまた、”ロザリア・デ・カタルヘナが、炎の守護聖オスカーの居場所を知っているとは考えていない”ことを示している。
 
「…わたくしが彼の方々と共におりました時間は短いものでしたし、おっしゃる通り、遥か昔のことですから」
 殊更困惑した表情を作って、頬に手をあてる。
「お力になれそうにありませんわ」

 調べれば、行方不明の守護聖と自分が逢瀬を重ねていたことは明るみに出るだろう。
 しかし、恐怖は感じない。
 つたない嘘を吐く自分をいとおしいと思える程度の余裕が、ロザリアにはあった。

 使者達は顔を見合わせて、頷き合った。
「よろしければ、もう少々時間をいただけますでしょうか」
「…ええ、かまいません」

 慎重にそう返すと、右端の男がバッグからコンピュータらしきものを取り出して開いた。素早く手を動かし、起動させる。
 失礼いたします、と声をかけ、それをロザリアの目の前に置いた。

「女王陛下からの伝言を申し上げます。『もし、わたしと話をしてもいいと思ってくれるなら、中央のキーを押して下さい。命令ではありませんから、話したくなければ使いの者にそう言って下さい』…とのことです」

「…陛下」
 予想外の言葉に、ロザリアの仮面は剥がされかけた。
 なんとか押しとどめて、考えがまとまらない頭で女王の意図を推し量ろうと努力する。
 暗いモニターに映った強張った表情の自分と見詰め合って、頷いた。
 迷わないはずはなかったが、先ほど男に言ったように遠い過去の話だ。
 だからこそ、断るべきではないと思った。
 ゆっくりと手を伸ばして、キーを押した。

 モニターが光り、金色の髪をした少女の姿が現れる。
「ロザリア…?」
 小さな唇が、自分の名を呼んだ。
 
 こんな顔をしていただろうか?
 わからない。
 全てを記号に変えてしまっていた。
 当時の出来事を記憶してはいたが、彼女の姿や声が思い出せなくなっている。
 ”アンジェリーク”という記号が実体を伴って目の前にいることが、なにか不自然に思えた。

「ロザリア・デ・カタルヘナでございます、陛下」
「…大人の女の人になっちゃったのね。私はあの頃のままでしょう?」
「ええ、お懐かしいですわ」
 懐かしいとは思えなかったが、そう言わねば落ち着かなかった。

 女王は表情を和らげて、肩を上下させた。
 ふう、と微かな音が耳に入り、ロザリアは驚いた。
 ため息の音。
 実際に対面していたとしても聞こえないほどの小さな音までも忠実に届けてくれるこの媒体は、技術の粋を集めて作られたのだろう。
 鮮明過ぎる女王の姿が、目に痛い。

 女王。
 思い返してみれば、女王としてのアンジェリークを見るのは初めてだ。
 逃げ帰ったあの日、彼女は玉座に上った。
 
「…ごめんなさい」
 突然の謝罪が、ロザリアの胸に小さな波紋を起こした。
「わたし、ずっと謝りたかったの」
 透き通った緑色の瞳。
「ロザリア…ごめんね」
 高い声。

 自分は、やはり知っている。
 この顔を、この声を、知っている。
 
 確かにこの少女と生きていた時があった。
 あの頃、彼女がとても好きだった。
 そそっかしくて、朗らかで、温かいアンジェリークをかけがえのない友だと感じていた。

 懐かしい、と心の内で声がした。

「忘れてしまったなんて言わないで。謝らせて…ごめんね、ごめんね…」
 謝りながら、女王は涙を落とした。

 『泣かないで』
 口をついて出そうになった言葉を、飲み込んだ。

 これは、自分よりも遥かに年下の少女に見える女王への同情なのだろうか。
 単なる庇護欲?

 ――――――違う。
 最も幸せだった頃、彼女の悲しみは伝染するようにわたくしの悲しみになった。
 わたくしはもう少女ではないし、消したはずの思い出達が息を吹き返した今でも、それらは色褪せて埃を被ってしまっているわ。
 それでも、あなたに泣いて欲しくないと思っているみたい。
 
 ――――――あなたの涙は、今でもわたくしをとても悲しくさせるわ。


 追い詰めたのは、自分だった。
 あの部屋で彼女を泣かせたのは、自分だった。

 ――――――あなたから逃げて、あなたを忘れていたわたくしを許してくれているのね。…優しい子。

「…わたくしこそ、ごめんなさいね」
「わたしを許してくれるの…?」
「許してくれているのはあなたじゃない。本当にお人よしね」
 しゃくりあげるアンジェリークに、笑顔を向ける。
「あなたが大好きよ、アンジェリーク」
 思いを込めて、伝えた。
「…ロザリア、幸せ?」
「今、そうなったわ」
「やだ、ロザリアったら口が上手くなったんじゃない?でも、わたしも…」
 その後は言葉にならなかったらしく嗚咽に変わったが、驚いたように横顔を見せて涙を手で拭った。
 
「あ、ごめんなさい…ちょっとだけ待ってて。そのままいてね!」
 慌てた様子でそう断って、画面から消えた。
 再び姿を現した女王は、早口で言った。
「…もっとお話したかったけど、そろそろ時間が来たみたい。今日のこと、忘れないから…ロザリアも忘れないでね」
 名残惜しそうに別れの言葉を繰り返して、手を振った。
 

 使者達は手際よく帰り支度をし、来た時と同じように揃って一礼をしてから慌しく立ち去って行った。

 一人になったロザリアは、扉に駆け寄って手をついた。
「ごめんなさい。オスカーを返してあげられなくて、ごめんなさい」
 そして、声を殺して泣いた。








 謁見を申請してから30分後にようやく入室を許可されたジュリアスは、すぐに異変に気づいた。
「どうなさったのです!?」
「…どうして?」
 自分自身の涙声に気づいていないのか、なんでもなさそうに笑う。
「あの…泣いていらっしゃったのではありませんか?」
「やっぱり、わかる?それにしても、突然どうしたの?」
「あ…炎の守護聖らしき男を見たという情報が入りましたので、それをお知らせに参りました」
「…どこで?」
「それが…辺境にある、小さな惑星だと…」
 そうなの、と心持ち安心したように女王は言った。
「陛下?」 
「あのね。すごくいいことがあったの。だから嬉しくて泣いてたの。心配しないで」
「…は」
「今日ロザリアに使いを出したでしょ?それでね、ロザリアと少しお話したの」
「…な!……いつの間にそのような手配を!?」
「いいじゃない。でね、許してくれたの。わたしのこと、大好きだって言ってくれたの!」

 候補時代の頃のような無邪気な笑顔を見せて、ジュリアスの手をとった。
 喜びに溢れた顔が目に飛び込む。

「良かった、ですね…」
「うん、うん…」
 何度も頷いて、ジュリアスの胸に顔を埋める。
「陛下…」
 小さな体を包み込もうとしていた両腕を一旦下ろして、右手だけを金の髪の上にそっと置いた。



 頭に置かれた手の重みを感じながら、アンジェリークは目を閉じた。
「…オスカーの行方の手がかりは、ございませんでしたか?」
 聞くだけは聞いておかねば、というような口調で尋ねられた。
「ええ、そうみたい。わたしは聞いてないけれど、使いの者からそう報告を受けたわ」
「なぜお聞きにならなかったのですか?」
 間を置かず、自然に質問されたことが嬉しかった。
 無意識にしろ、彼がこれまで立ち入ることを躊躇っていた『女王の気持ち』という領分に、足を踏み出してくれたのだと思えたから。

 …でも、今はちょっと困るわ。

「だって、知らないって言ってるのに聞いてもしかたないでしょう?どちらにしても、ロザリアが知ってるはずないんだし」

 …本当は、怖かったから。
 
 オスカーの行方をロザリアが知るはずないって、わたしも思ってる。
 でも、万が一知っていたら。
 そして、わたしがそれを聞いた時、嘘を吐かれたらって考えると。
 
 …怖くて、聞けなかった。
 
「女王失格だわ」
 呟くと、恐縮した声で聞き返された。
「…申し訳ございません、聞き取れませんでしたので、今一度おっしゃっていただけませんでしょうか?」
 聞こえないようにと小声で言ったのに、律儀に謝るジュリアスに『申し訳ないのはこっちなの』と今度は心の中で呟いて、もっともらしい声を作った。
「とりあえず、その惑星の調査に力を入れて」
「かしこまりました」
 
 
「ね、もし彼が下界にいるとしたら、こっちよりも時間が早く過ぎるはずだから、彼のサクリアがなくなるのは時間の問題なんじゃないかしら?」
「陛下、話はそう簡単では」
 ジュリアスの言葉を遮って口を動かす。
「だからね、オスカーが見つからなくても、炎のサクリアを持つ者…次の炎の守護聖が生まれるまで、わたしががんばるから…あっ!?」

 急に抱きしめられたのに驚いて声を上げたが、力は緩められなかった。
「いかに女王といえど、お体にご負担がかかり過ぎます…!一刻も早く見つけ出すべく不肖の身ながら尽力いたしますから、決してご無理はなさらないで下さい!」

 …もし、そこにいるのだとしたら。二人で幸せになってね。
 なんて、本当にいたらどうしよう。ジュリアスに叱られちゃうんだろうな。
 
「やっぱりジュリアスって、ロザリアに似てるね…」
 頬が赤く染まったジュリアスを見上げて、微笑んだ。










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