14



 アンジェリーク・コレットが新しい宇宙の女王に決定した直後、炎の守護聖の姿は聖地から消えた。



「連絡が全く取れぬ。屋敷の者も副官も居場所を知らないとのことだ。何らかの事件に巻き込まれた可能性もある」
 冷静な口調で言って、ジュリアスは一同を見回した。

 ランディが手を上げ、発言を許された。
「最後にオスカー様の姿が確認されたのはどこなんですか?」
「オスカーの私邸だ。屋敷の者が言うには、出かけたきり戻ってはいないらしい」
「それはいつのことだ…?」
 クラヴィスが問うと、ジュリアスは歯切れ悪く答えた。
「…土の曜日だったそうだ」
「ちょっと!じゃあもう一週間近く経ってるんじゃないの!?」
 オリヴィエが立ち上がった拍子に椅子が大きな音を立てて倒れたが、咎める者はいなかった。

 短くはない時間を、彼らは話し合いに費やした。
 しかし、憶測の域を出ない意見が出されるばかりで、不毛な時だけが流れた。
 リュミエールが重い口を開くまでは。

「オスカーは、下界にいるのではないでしょうか」
「…なぜそう思う?」
 藁にも縋るといった様相を呈してジュリアスが問うと、確信めいた光を瞳に宿らせてリュミエールは言った。
「ご存知の通り、私とオスカーは反目し合っておりました。彼の全ての行いが気に障るほど、そして彼から目を離すことができなくなるほど…憎んでおりました。彼の行動を見張っていた、と言ってもいいでしょう。自己嫌悪の波も、愚かな行動を取らせる卑しい心を洗い流してはくれませんでした」
 ふと顔を上げて、躊躇いがちに頭を軽く下げる。
「申し訳ございません。話が長くなってしまいましたね。とにかく、そのような理由で私は知っているのです。彼が異常なほど頻繁に、下界に降りていたことを」
 ジュリアスは驚いたように口を開き、そして閉じた。
「とにかくですねー、下界に彼がいる可能性が高いようですし、回廊出口付近からの探索に力を入れるべきだと思います」
 言葉を発する様子を見せないジュリアスに向かって、ルヴァが間延びした声で提案した。

 微かに首を縦に下ろしたジュリアスは、抑揚のない声で静かに解散を命じた。


 

 重い足取りで執務室に戻るべく歩を進めていたリュミエールは、声をかけられて立ち止まった。

「ジュリアス様…」
「リュミエール、教えて欲しい」
 それを予想していたように、躊躇いもなく頷く。
「オスカーは、それほどまでに憎むべき男であるのか?」
「私にとっては」
「その理由を、教えてはくれないか?」
「…私の口からは申し上げられません」
 言い辛そうに、しかしはっきりと言ったリュミエールに礼を言って、ジュリアスは女王の待つ謁見室へと急いだ。
 彼の憎しみが生まれるきっかけとなった出来事がそこで明かされることも知らず、水分を含んでじっとりとした重い雲のような心を持て余しながら。



 


「その顔では、特にわかったことはないみたいね」
 ジュリアスは否定するように首を振った。
「なにかわかったの!?」
「…はい」
 固い表情を崩さないジュリアスに、女王は息を呑んだ。
「まさか…オスカー…」
「いえ!…陛下がご想像されたようなことはございません。お心をお騒がせして申し訳ございません」
 姿勢を正して、炎の守護聖が下界にいる可能性があることを簡潔に報告する。
「リュミエールが、そう申しておりました」
 報告者の名だけを言い添えた。

「ロザリア…」
 女王の口から漏れたその名は、あまりにも状況にそぐわないものだった。
「ロザリア?」
「いえ、そんなはずないわね」
「…ロザリアが何か?」
「彼女は関係ないと思うわ」
 曖昧な打ち消し方がジュリアスの気にかかった。だが、重ねて問うのも憚られて、結局彼は沈黙した。
「関係ないとは思うけど…前に聞いてもらった話の続き、してもいい?」
 
 断る理由はなかった。



 ジュリアスが了承の返事をした後、女王はしばらく口を開かなかったが、意を決したように小さな声で話し出した。

 嫉妬に身を焼かれながら、それでも笑って祝福できるようになることを信じて、女王になろうと決意したこと。
 彼のためにではなく、ロザリアのために、そうしようと思ったこと。
 ロザリアと男の恋人関係はすぐに破綻したが、試験の終了も目の前に迫っていたため、二人に裏切られたように感じたこと。
 押さえ込んでいた感情が暴発して、それを男にぶつけてしまったこと。
 …そして、その会話を、ロザリアに聞かれていたらしいこと。
 
「彼の部屋を出てすぐに、リュミエールに会ったの。顔を歪ませて、脇目も振らずに廊下を走るロザリアを見たって言われてわかったの。聞かれてしまったことを」

 ――――――リュミエールがいた?…廊下?
 
「ロザリアは私の気持ちを知らなかったわ。私には隠し通す自信があった」

 ――――――その場所は?

「頭の中で何度も想像したのよ。女王になった私と、補佐官姿のロザリアが二人でお茶をしているの」

 相槌すら打たないジュリアスに構わず、女王は嬉しそうに目を細めた。

「ずーっと昔、あなたの恋人のことが好きだったのよって打ち明けて、ロザリアをいじめるの。その頃には二人も含めた宇宙の全てを愛せるようになっているはずだから、わたしは全然悲しくないの。それで、ロザリアもそれをわかってくれるの」

 突然転調した女王の声音に、ジュリアスは引き戻された。

「…今のわたしなら、そうできた。たった一年ちょっとで、そうすることができたはずなの」

 低い声で吐き出す。

「でも、無理だったの!どうしても無理だったのよ!わたしは、ロザリアを見捨てた。あの時聞かれた言葉は、彼女を十分すぎるほど傷つけた」
 歯を食いしばって、続ける。
「ロザリアを損なうだけ損なって、彼女が全てなくして去っていくのを見て見ぬふりをした。わたしを大切に思ってくれていたロザリアを、捨てたのよ!」
 苦しそうに喉を手で押さえて、荒い息を吐いた。

 ジュリアスは、己の胸がやりきれなさで破れそうになっていることを知った。
 恋愛にさほど重きを置いていない自分であったはずが、女王の苦しみを理解できるような気すらした。

「…知ったような発言をお許し下さい。私は、陛下に罪などないと思います。ですから陛下…どうかご自身をお責めにならないで下さい」
「でも、わたしはきっと、彼よりロザリアを傷つけたわ…」
 ジュリアスの口から、自然に言葉が出る。
「お教え下さい。その男というのは…」
 女王は、聞き取れないほどの小声で言った。
「…わたしとロザリアが好きだったのは、オスカーだったわ」
 
 長い沈黙の後、ジュリアスは呻いた。


 ――――――オスカー…!

 抑えきれないほどの怒りが、ジュリアスの胸に吹き荒れた。
 片腕とも信頼していた自分自身も許せなかったが、なによりもオスカーに対する怒りが際限なく膨張して、頭がおかしくなりそうだった。

 共に女王陛下に仕え、宇宙の安寧のために力を尽くしてきたはずの男。
 その男が女王候補を傷つけ、下界へと追い返した。
 ロザリアという一人の少女の未来を摘み取った。

 その行動を取らしめた心理を理解したくもない。
 ――――――あの痴れ者が!

 呻き続けるジュリアスに、女王が声をかける。
「とにかく、そういうことだったの。だから、ついロザリアの名前が口から出ちゃっただけ」

 熱は冷めやらないが、ジュリアスはなんとか頷いた。
 そうするより他になかった。

「言ったでしょ?彼女達は女王試験中に別れているの。だから、今回の件には関係ないはず。…ごめんなさい。こんな時にこんな話をして」

 幾分落ち着きを取り戻した女王に、ジュリアスは深く頭を垂れた。
「申し訳ございませんでした…何も知らずに、私は…私は…」
 押し殺した声で謝罪するジュリアスを労わるように、女王は笑った。
「私を悪くないと言ってくれるのなら、ジュリアスだって悪くないはずでしょ?あなたこそ自分を責めないで」
 そして、柔らかな声で遠慮がちに付け足した。
「…できれば、オスカーのことも許してあげて」
「それは、一体…陛下…」 
 独り言のように呟き、目を見開いた。何度か瞬きをする。
 身を震わせ、手を額にやり、そのまま静止した。
「守護聖だから全てを犠牲にしなければならないなんて、わたしは思わない」
 鈴の音のような声が耳鳴りを払い、ジュリアスの思考回路は徐々に回復し始めた。

 御心のままに、と言うつもりだった。
 陛下がお許しになるのであれば、私もそれに従いましょう、と。
 
 女王の瞳を見るまでは。
 一片の迷いもない、その瞳を見るまでは。

 ジュリアスは静かに言った。
「…おっしゃる通り、ロザリアが関与している可能性は低いかとは思いますが、念のため明日にでも使いをやらせます。ロザリアには辛い思いをさせることになるかも知れませんが」

 許すとも、許せないとも言わず、最低限の礼儀だけは守りながら逃げるように退出した。









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