全てを知ってしまえば興味は薄らぐ。
だが、回答を得ることができない疑問が増えて行くのは、気分のいいものではない。

身勝手なものだ。

小さな傷を付けるだけでも簡単に途切れてしまうだろう糸。
俺は、その危うさを愛でているつもりだった。




12





 定期審査が行われた。

 アンジェリークを推そうかとも考えたが、第一印象を引き摺ったまま安易に判断を下すのは避けるべきだと考え、結局どちらも選べないと答えた。
 しかし、女王に相応しいと思われる候補を選ばなかったのは、オスカー一人であったため、妙に目立つ格好になった。

 審査の結果、アンジェリークを支持した者は6名、レイチェルを支持した者は5名だった。

 同僚達とともに退出しようとしたオスカーを、女王が呼び止めた。
「オスカーは残って」
 それを聞き取ったゼフェルが笑って言う。
「優柔不断だって怒られんじゃねーの?」
「俺には俺の考えがあるんだ。何も考えていない子どもはさっさと出ていけ」

 嫌味に気分を害した様子もなく、ゼフェルは嬉しそうに笑いながら退出した。






 他の者が全て退出したのを確認してすぐに、女王は質問を投げかけてきた。
「オスカー、どうしてどちらも選ばなかったの?」
「…申し訳ございません」
「怒っているわけではないわ。理由が聞きたいだけなの。正直に教えてくれるかしら?」
 問われるままに答える。
「彼女達をもう少し知ってから、私なりの答えを出そうと思います。どちらがより女王に相応しいか、私にはまだ判断をつきかねます」
 女王は頷いた。とりあえず頷いておこう、といった感じの頷き方だった。
「そうね、まだ試験が始まってから二ヶ月程度しか経っていないものね。でも、彼女達を知る努力をしていると言える?」
 痛いところを突かれたが、顔には出さずに忠実な部下としての態度で応える。
「他の者に比べて、それが足りないとおっしゃりたいのですか?」
「あの子達に言われたわ。日の曜日に執務室を訪ねても、あなたはいつもいないってね」
「そう、ですか」
「日の曜日にどこにいようとあなたの自由よ。他の曜日はきちんと仕事をしてくれているみたいだから、普段なら全く問題はないわ。だけど、日の曜日は候補にとっても守護聖にとっても互いを深く知ることのできる貴重な日よ。時々留守にするのはかまわないけれど、毎週となれば話は別。今は試験期間中です。それを踏まえて守護聖としての責務を果たして頂戴」

 返す言葉もなかった。
 第一印象を引き摺ったままでいること自体が、彼女達を知ろうとしなかった結果に他ならないことを、オスカーは今更ながら理解した。

 

 執務室に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
 椅子に座って、目を閉じた。

「そろそろ、潮時なのかも知れないな」
 口に出して、せせら笑った。
 ――――――俺は馬鹿か。いつまで取り繕えると思っているんだ。

「オスカー様、ご気分が優れないのでは?」
 副官が、気遣わしげに問う。
「いや…体調は悪くない」
 顔色の悪いオスカーが笑って見せたところで、副官の心配が消えるはずもない。
 差し出がましいことを申し上げますが、と前置きして続ける。
「このところ土の曜日はお出かけになっているようですが、本日はゆっくり静養なさった方がよろしいかと」

 ――――――同じことを言う。…お前も、ロザリアに会いに行くなと言うんだな。

 土の曜日の行動や先ほどの女王との会話を彼が知るはずはないのだが、どうしても勘に触る。
「いや、出かける」
 部屋を片付けようと立ち上がった瞬間に、母親から整理整頓をしろと注意された子どもと大差ないだろう苛立ちだ。
 ――――――そうさ、お前が悪いんだぜ。俺は、もう止めようと思っていたんだからな。
「左様でございますか」
 肩を落とした副官に、さすがに罪悪感を覚える。
 違うだろう。彼のせいではない。陛下から注意を受けた時、自分は心の中でなんと言った?

『試験が終わってからでは、遅すぎる』

 試験期間中のみ、女王によって聖地と下界の時の流れは同じ速度になるように調節されている。
 試験が終わってしまえば、絶望的な時間の差に、全てが飲み込まれてしまうような気がしてならない。
 身を焼くような焦燥感は、今もじりじりと胸を苛んでいる。もう、わかっているのだ。

「ガキじゃないんだから、そうわかりやすく気を落とすなよ。戻ってからはゆっくりさせてもらうさ。心配するな」

 ――――――どっちがガキだか。

 私邸に戻ったオスカーは、着替えを済ませ執事を呼んだ。
「出かける。馬を用意してくれ」
「夕食はお取りにならないのでございますか?」
「ああ、急ぎの用なんでな」
 初老の執事は、きびきびとした動作で頭を下げた。
「かしこまりました。それではすぐにご用意いたします」
 五分後には、オスカーの身体は馬の背にあった。

 ――――――ロザリア。俺は、君をあまりに知らない。
 いや、知ることを避けていた。

 気づいていたんだ。
 会うたびに君の髪が長くなっていたこと。
 そして、突然短くなったこと。
 その身を飾るドレスの生地の厚さが、季節に応じて変化していたこと。
 君と俺の年齢差が、あの日からさらに三つ広がったこと。
 どちらにしろ、時間が残されていなかったこと。
 それを俺が怖がっていたこと。

 君は言うだろう。
”わたくしにはそんなつもりはさらさらないわ。あなたもそうだったはずでしょう?愛を請うあなたの姿は、みっともなくてよ”
 淡々と、眉も動かさず、ただ率直に感じたままを。

 全てが崩れてしまうのが怖かったんだ。
 遠い昔に君が、他の女性達が、そして俺自身が愛していた俺でなくなってしまうことが怖かった。俺の想いが、君のそれと比較にならないほど大きなものであることを認めてしまうのが怖かった。愚かな男だと笑われるのが怖かった。呆れられるのが怖かった。過去の自分を憎むことが怖かった。

 ――――――だからこうして追い詰められるまで、俺は逃げていた。





 馬を降り、回廊を抜け、車を捕まえた。
「カタルヘナ邸まで頼む」
 それだけで運転手には通じたようで、車は音もなく発進した。

 周囲の邸宅を圧倒する大きさを誇る、豪華な大邸宅が見えてきた。
 太陽の光が窓から差し込む。
 美しく整えられた緑、行き交う人。
 彼女が生きている世界。

 知りたい。知らなければならない。
 日常の真っ只中でさえ、その欲求が薄れてはいないことを確認する。

 じっとりと手のひらが汗ばみ、鼓動が早くなる。
 ここまで来たはいいが、果たして会ってくれるだろうか。
 何の連絡もせずに突然訪ねてきた男と。
 身体だけではなく、心すらも限られた空間でのみしか繋がっていない、異世界の住人と。
 ――――――自分が彼女であれば、迷惑だと思うだろう。



 ベルを鳴らすと、使用人らしい男のくぐもった声が応じた。
「ご令嬢に取次ぎを願いたい」
「ご令嬢…?その者の名前をいただけますでしょうか」
 彼の声音には、不審の色が滲んでいる。
 ロザリアは一人娘ではなかっただろうか、と思ったが、とにかくロザリアに会うことが先決だと考え、言いなおした。
「失礼。ロザリア嬢はおられるか?」
 不自然な沈黙の後、名を問われた。
 迷ったが、意を決した。
「オスカー」
「オスカー様、ですね。失礼ですが、アポイントメントはお取りになっておられますか?」
「いや」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
 
 少々、とは一体どれくらいの時間を指すのだろうか。
 10分は優に経過しているはずだが、全く音沙汰がない。
 もう一度ベルを鳴らそうかとオスカーが考えた時、扉が開いた。
 扉を開けたのは、意外なことにロザリア本人だった。

「どうぞお入り下さい」
 強張った表情で発せられた冷たい声。
 しかし構わずオスカーは頷き、一歩を踏み出した。
 冗談や軽口を言う余裕はなかったし、言うつもりもなかった。










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