女王候補としてやって来た二人の少女を見ていると、どうしても思い出す。

「アンジェリーク!ワタシも一緒に行くから待ってヨ!」
「ねえアンジェリーク、守護聖様達ってイイ男ばっかだよネ」
「ワタシが女王になったら、アンジェリークを補佐官にしてあげるヨ」

アンジェリーク。
アンジェリーク。

『もう、アンタってばわたくしがいないと本当にダメなんだから』
『ほら行くわよ、アンジェリーク』
『アンジェリーク、わたくしが手伝ってあげるからそんな顔しないの』

アンジェリーク。

『アンジェリーク、最近忙しくしてるみたいだけど…いえ、なんでもないわ。お互いにがんばりましょうね』

ロザリア。
ロザリア。
ロザリア。

どれだけ呼んでも届かない。

先に手を離したのは、私。
後悔する権利もないほど、突き放したのも私。





10





「陛下、またご休憩ですか?」
「あ、ジュリアス…」
 女王は、テーブルに着いていた肘を引っ込めて、その代わりとばかりに舌を出した。
「だって…お天気がとってもいいんだもの。見てるくらいいいでしょ?」
「適度な息抜きは必要です。しかし、恐れながら申し上げますが近頃の陛下はそれが多すぎるように思います」
 苦虫を噛み潰したような顔で、ジュリアスは返した。

「…ごめんなさい」
 例の如く言い訳の雨が降るだろうと構えていたジュリアスは、低いトーンで返された言葉に驚き、女王を見た。

 大きな窓からは、太陽の光と年少の守護聖達の大声が入ってくる。
 彼らの明るい声に耳を傾けている女王の姿は、ジュリアスの胸に不安の影を落とす。
「何かお悩みになっておられるのですか?」
「…ありがとう。女王らしくない女王で、あなたにも苦労をかけるわね」
 女王から視線を受け、ジュリアスは背筋を正す。
「いえ、出過ぎた真似をいたしました」
 女王の座に就いた当初こそミスを多発していたが、現在では滞りなく執務をこなすようになった現女王に対して、ジュリアスは敬意を持っている。
 ただ、現女王には補佐官がいない。
 だからこそ特に大きな問題ではなくとも、小言めいた注意をしてしまうのだ。
 着任してからまだ日が浅い女王にはそれが必要なのではないかと、そして、その役割を果たすことができるのは自分以外の者では難しいだろうと思い込んでいる節があった。
 だが、元より現女王の体内にあるサクリアは歴代の女王と比較しても強大なものであったため、コントロールの方法を把握してからは十分過ぎるほどの功績を上げている。
 これで文句をつけられては陛下もたまらないであろうと思うと、ジュリアスは少し自分が情けなくなった。

「これまで口やかましく注意をさせていただいておりましたが、その必要はもうないのではないかと薄々感じてはおりました。陛下は本当にご立派になられました。私こそ、いつまでも候補時代の陛下を振り払うことができなかったようでして…汗顔の至りです」
「いえ、私はまだまだ未熟だわ。あなたに導いてもらわないと困ります」
 女王の言葉はジュリアスの胸を熱くさせるに十分だったが、自戒する。
「もったいないお言葉を賜りまして感激の極みではございますが…」
「いや!」
 高い声で叫んだ女王は、我に返ったように口に手を当てた。
 ごめんなさい、ともう一度呟いてから小さく続けた。
「ジュリアス、あなたにはずっとそのままでいて欲しいの。私に厳しいことを言ってくれる人は、もうあなたしかいないんだから…」

 言葉に詰まって沈黙したジュリアスと、それ以上何も言おうとしない女王の耳に、外の喧騒が流れ込む。



 風の守護聖が一際大きな声を出した。
「あ!ねえ君達、二人揃ってどこに行くんだい?」
 金髪の女王候補の声が答える。
「今から研究院に行くんです。ね、アンジェリーク!」
 茶色の髪の女王候補の楽しそうな声が続く。
「レイチェルと一緒に行くと、解りづらいデータもすぐに分析してくれるから便利なんですよー」
「ちょっとアンジェリーク!便利って…もう、アナタには負けるわ」
「呆れないでよ…冗談だってばー」
   


 女王は、そっとため息を吐いた。

「ジュリアス。私にもああいう時があったのよ」
 説明を受けなくとも、女王が何を指して話をしているのかということくらいはわかった。
「ねえ、少しだけお話につきあってもらってもいい?」
 力が抜けたような様子で淡々と話す女王に、ジュリアスは頷いた。

「私、ロザリアにひどいことしちゃったの」
「ロザリア、にですか」
「そう、私ね、好きな人がいたの。でも、ロザリアもその人が好きだったの」
 過去の話なのだ、と言い聞かせながらも、女王の極めて私的な話を聞くのだと思うと、ジュリアスの体に緊張が走った。
「その人はロザリアを好きなんだってその時は思ったから、私は諦めようとしたの」
「その時は、とは…」
 気になった部分を問うと、女王もまた繰り返した。
「その時は、ね」
「陛下は、諦めることができたのですか?」
 自身の質問に、ジュリアスは内心驚く。

 私はなぜこんなことを聞いているのだろうか?

「辛かったわ。彼が選んだ相手がロザリアだったってことも私を打ちのめしたの。でも、どうしようもないことだと思わない?」
 女王候補の恋であるということを忘れて、ジュリアスはただ考えた。
 確かに、どうすることもできないだろう。
「私もそう思います」

 そうよね、と女王は頷いた。
「簡単に諦めることはできなかったけど、時間をかけて諦める努力をしようって思えるようになったの。ロザリアと上手くお話できなくなっちゃったけど、そう遠くないうちに元通りになれるって信じて私は試験に全力を注いだわ。…でも」
 言葉を切って、女王は息をついた。
「ごめんなさい。なんだか疲れちゃった」

 彼女達が元通りにはなれなかったことを、ジュリアスは知っている。
 女王が語った過去の先に、何があったのか?
 彼女達が好意を寄せていたという男は、何をしたのだ?
 その男とは、一体何者なのだ?
 
「いつになるかはわからないけれど、この続きをいつか聞いてくれる?まだ上手く話せそうにないの」
「もちろんです。しかし、このようなお話に関しては門外漢である私でよろしいのでしょうか」
 知りたいと逸る己の気持ちに戸惑いながら答えたジュリアスに、女王はこくりと頷いた。
「自分でもよくわからないんだけど、ジュリアスになら話せる気がするから」

 話は終わったようであるから退出するべきだったのだろうが、ジュリアスはそうしなかった。
 女王は、ここにいてほしいとも、出ていってほしいとも言わなかった。
 
 そのまま、しばらくの間二人はただそこにいた。





―――――――――――――――――――――――――





 候補時代、女王とロザリアは親しく付き合っているように見えた。
 試験の終盤頃になると、二人が共にいる姿を見かけなくなったが、両候補ともに懸命に試験に取り組んでいたし、ジュリアス自身も女王の交代に備えて多忙であったため、特に気にかけてはいなかった。

 現女王の勝利を皆が確信した時期…試験が終了する直前になって、ロザリアの様子がおかしいことにようやく気がついたが、生まれついての女王候補だと言われて育ったロザリアには辛い状況なのだろうと考えた。
 
 女王が決定したと当時の補佐官から聞かされた朝、ジュリアスは彼女の部屋を訪ねた。
 及ばなかったとは言え、ロザリアもまた女王のサクリアを持つ者であるから、おそらく女王が決定したことは肌で感じているはずだ。ロザリアがどのような気持ちでいるのかと考えると、そうせずにはいられなかったのだ。

 だが、その時には彼女の中で何かが終わってしまっていたように見えた。
 言うべき言葉を見つけることもできず、ロザリアの言葉をただ聞くことしかできなかった。

 そして、それが最後になった。

 ロザリアの名を一切口にしない女王に不自然さを感じてはいたが、補佐官への就任を拒否されたことがショックだったのだろうと無理に自分を納得させ、そのまま時折思い出す程度の疑問になった。
 ロザリア自身について思いを馳せることも、なくなっていた。



 ――――――私は、愚かだ。










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