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近頃の彼女は見ていられない。
半年ほど前の彼女は、好きな男に好かれていて、多少の不満や諍いはあっても毎日を幸せそうに過ごしていた。
一ヶ月ほど前なら、新しい恋の情熱に浮かされて希望に満ちているように見えた。
以前の恋人とは接触を避けてはいたが、それも時が解決するだろうとワタシは思っていた。
楽観視しすぎていたのだろう。
彼女をいつも見ていたつもりだった。
潔癖で、弱くて、でも自身で決めたことには誰の口出しも許さないほどに強くて…そういうところがとても好きだった。
ねえロザリア。アンタの心の中はいったいどうなってるのかな?悔しいけど、ワタシにはわからないんだ。
アンタの特別な男になろうなんて思ってやしない。
…でもせめて、アンタの心の中をワタシに見せてよ。
「ロザリア」
今振り向いたアンタは優雅に微笑みを浮かべているけれど、きっと本当に笑ってはいないんだろうね。
「ワタシがアンタを好きだって言ったら…どうする?」
あらら、あからさまに困った顔してくれちゃってさ。ちょっとプライドが傷付いちゃうね。
でもやっぱりおかしいよ。いつものアンタなら軽くいなすだろうにさ。
立ち入ってほしくないところに立ち入らせることになっちゃうよ?
「嘘だよ。…嘘ってこともないか」笑顔を作って付け足す。
「ワタシはアンタが妹みたいにかわいくてしょうがないから好きなんだよ?」
うん。強張った表情が和らいだね。
本当は妹なんかじゃないんだけどさ。
「ワタシにできること、何かあるんじゃない?」
自分の欲しいままにアンタを捕まえたいけど、そうじゃない生き方をワタシは望んでる。
偽善者だって言われても構わない。
だってワタシ自身がそうしたいと思っちゃってるんだから、しかたないじゃないか。
…ワタシは、ワタシの生きたいように生きる。
「とにかく突っ立ってないでさ、ここにお座り。体が疲れちゃうと、心もつられて疲労しちゃうんだから」
ようやく彼女は言葉を発した。
「お誘いは本当に嬉しいのですけれど…まだ職務が残っているのです」
ワタシはワタシの役割を全うする。
「な〜に言ってんのさ。もう暗くなっちゃってるのにまだ仕事するつもり?いいから座って」
「でも…」
彼女が無意識のうちに救いを求めていると感じる。
ワタシじゃなくて、もっと大きな…例えば、神と呼ばれるような存在に。
「どんな人間でもね、全てを一人で片付けることはできないんだよ?」
目を見開く。そして、怪訝な顔をした。
「どういう意味ですの?オリヴィエ」
「それを知りたかったら、ちょっとお茶に付き合ってよ。ね?」
「…わかりましたわ。どこに座らせていただけばよろしいのかしら」
「そのソファに座ってよ。素敵でしょ?取り寄せたばっかりなんだから〜」
ソファに腰掛けるのをしきりに遠慮するロザリアを無理に座らせてから、鼻歌混じりにお茶の用意にかかる。とびきりのを入れてあげなくちゃね。
お茶を運んで、彼女の隣に腰掛けた。
「オリヴィエ…わたくしやはり椅子に座らせていただきますわ」
頬を赤く染めたロザリアは、とても愛らしい。
「まあまあ、そんなことよりさ、お茶が冷めちゃうから早く飲んでよ。これも取り寄せたばかりなんだからさ」
しかたがないというような顔をして、ロザリアは紅茶を口に含んだ。
「…とても美味しいですわ」
目を大きくして、微笑んだ。
「でしょ?ゆっくり飲んでいってよ」
「そうね。ありがとう。…あなたはいつも優しいですわね」
優しくされる資格はないと、言っているように聞こえた。
「あのさ、アンタが今どういう状況なのかワタシにはわからない」
ロザリアがカップから口を離した。
「でもね、アンタは今とても混乱してるし疲れてる…そうでしょ?」
賭けに出る。それもひどく分が悪い賭けだ。珍しく緊張しているらしい自分を確認する。
取り乱してくれたら、勝機はある。しかし、全く態度を変えずに否定されてしまったら…ワタシは何も言えなくなってしまう。
だが、ロザリアはあっさりと認めた。
「オリヴィエは、何でもお見通しですのね」
どこか呆れたような口調で。
「…意外だよ。アンタがこんなに簡単に認めるだなんて」
「オリヴィエに聞いてほしいと思っていたのですわ」
こちらに視線を向けて、照れたように微笑んだ。
「もっと意外。だってアンタってばさ、いつも結果報告しかしないじゃない。自分一人で悩んで、決めてからみんなに言うっていうかさ。…それが少しワタシは淋しいんだけどね」
「…先ほどわたくしを妹だと言って下さいましたけど、わたくしもあなたを兄のように思うことがありますわ。遠からず、近からず、だけどいつも見守って下さる…候補時代からずっと」
「本当は遠からず近からず、じゃなく、構いたくてしかたなかったんだけど」
思ってたより頼りにされてたってことだけで嬉しい、だなんてちょっと恥ずかしいけどね。
「でも、わたくしはオリヴィエをがっかりさせてしまいますわ。ですから…」
「あのねー…そんなの気にしないでもいいの!言いたいことがあれば言えばいいの。アンタが何してようと、どう思ってようと、ワタシはアンタの味方だからさ」
指でロザリアの鼻を突付いた途端、瞳にみるみる涙が溢れ出した。
大きな粒になって白い頬を伝いながら、幾つも幾つも落ちる。
「ロザリア?ちょっと…どうしたんだい?」
「ゼフェル様と…同じ…こと…おっしゃってくださるのですか?」
「ゼフェル?ゼフェルがアンタに何かしたのかい?」
首を激しく振る。
「違いますわ。わたくしがすべて悪いのです」
「…ロザリア、興奮しないで。少し落ち着きなよ。一つずつゆっくり話してごらん?」
涙で濡れた目を瞑らせて瞼の上に手をやると、ロザリアはすぐに話し始めた。
「わたくしはオスカーに惹かれました。ゼフェル様のことがとても好きだったけれど、そんな自分が許せなくてゼフェル様に別れを告げました。その時は、ただオスカーと近しくなりたかったのですわ」
オリヴィエの手の下でロザリアの瞼は熱くなり、そこからこぼれ落ちる涙は生ぬるい水に変わる。
「わたくしは自分の求めているものを知りました。けれどどうしたいのかはわかりませんでした。だから考えるのを止めました。オスカーだけを見ようと思ったのです。ゼフェル様の手はあんなに温かかったのに…いえ、だからこそ思い出すのも辛くて。とても大切なものを失ってしまったと認めるのも怖くて!…言葉にするとあまりに陳腐すぎて笑ってしまいますわね」
そう言って、実際に彼女は自嘲気味に笑った。
「ゼフェルとオスカー、か。両方欲しいと思ったのかい?」
「そんな馬鹿なこと思いませんわ!何かを得るときに何かをなくすのは当然のことですもの。でも、わたくしは何を得るべきか、何をなくすべきか全くわからなくなってしまって…だからわたくしは…でも…ゼフェル様は…オスカー…ごめんなさい…ゼフェル様ごめんなさい…」
言葉を詰まらせて、ロザリアは泣き崩れた。
どう声をかければいいのかはわからないが、何を言っても同じだろう。
答えを教えてもらおうと思っていないことくらいは、わかる。
泣いているロザリアの背中をさすってやると、激しく上下していたロザリアの肩が徐々に落ち着いてきた。
「大丈夫かい?」
そう声をかけたのと同時に、足音が聞こえた。
執務室のドアがノックされる。
ビクリと肩を震わせ、ロザリアが顔を上げた。
涙でメイクが取れてはいるが美しい少女だと、場違いなことが頭をよぎる。
「また…ノック?」
ロザリアの呟きが耳に入って、思わず聞き返す。
「また?それはどういう意味なんだい?」
ロザリアは答えず、ドアをじっと見つめている。
「今取り込み中だよ!誰か知らないけど後にして!」
オリヴィエがドアに向かって叫ぶ。
しかし、それは容赦なく開いた。
立っていたのは、強さと情熱を司る、彼女の恋人。
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