8
「バカにするんじゃねーよ!」
言葉は言葉にしか過ぎない。決して肉体は傷付かない。
鋭い言葉によって命を落とすことはない。
そう何度も頭の中で繰り返していた。
覚悟を決めていたはずなのに、心も体も崩れそうになる。
『でも、わたくしは耐えなければならないわ』
罪人は罪を償わなければならない。
自分自身に言い聞かせるうちに、頭の動きが鈍くなり始めた。
ふと、彼が自分を助けようとしてくれているのだと思いついた。
その馬鹿馬鹿しい考えが、徐々に真実のように思えてくる。
この人はわたくしを救ってくれるのだ。汚れてしまったわたくしの心を清めてくれるのだ。
自己満足と誹られても構わない。
彼がただ憎しみのままに、わたくしを怒鳴りつけようとしていようとも。
わたくしがわたくしを許す為に、過去何度もそうしてくれたように、救いの手をさしのべてくれているのだ。
罰を与えることによって、罪を償うことを許してくれているのだ。
目を閉じて次の言葉を待つ。
パンッ
頬に痛みが走った。
思わず目を開けた彼女の目の前に、ゼフェルが立っていた。まるで自分が殴られたように痛みを堪えた目で、じっと見ている。
「…バカにするんじゃねー」
もう一度呟いてロザリアの頬に手をやる。
そのまま顔を近づけて唇に一つキスを落とすと、為す術もなく呆然としているロザリアを抱きしめる。
「オレがどんだけおめーを見てきたと思ってんだよ。心にもねーこと言ってるってことくれーわかんだよ」
「…そんなこと…ありませんわ」
「黙れよ。今日、少なくともオレのことをどーでもいいって思ってねーことはわかった」
「でも!わたくしはもう…わたくしの唇はあなた以外の方を知ってしまっているのですわ」
ロザリアの肩を掴んで、体を離す。
「だから、バカにするんじゃねーって言ってんだよ…そんくれーでオレがおめーを諦めるわけねーだろ」
ゼフェルは少し笑って続けた。
「…まあ、本当はちょっとだけ諦めよーと思ったこともあったんだけどな」
状況がよく理解できないながらも、とにかく口を動かす。
「確かにわたくしの心にあなたはまだ住んでいますわ。でもオスカーも」
体を重ねたわけではないが、オスカーを求める自分も間違いなく存在している。
それは、ただ肉体関係を持つことよりも、ゼフェルにとっては忌むべきことではないのだろうか。
「シャンプーかなんか変えたのか?」
「え?」
「いー匂いがするからよ。…前のも好きだったけどよ、これも好きだぜ」
「はあ…ありがとうございます」
どうしてこんな会話をしているのだろう。
「オレはおめーが好きだ。今だって好きだ」
真っ直ぐ見つめる瞳。真っ直ぐ届けられる言葉。
「そりゃな、前までと同じ気持ちってわけじゃねえ。オレだけが知ってたおめーじゃなくなってるってのも分かってる。けどな、それでも好きなんだからどうしようもねーだろ。オレはおめーが好きだって言うしかねーんだ」
言葉で思考が埋め尽くされていく。
ゼフェルを見ようとしなかった時間が消えていく。
罪を重ねることになっても構わない。
…もう冷静には考えられない。
「好き、ですの?」
「あ?だからそーだって」
「好きだと申し上げてよろしいのですの?」
「……あ?」
ゼフェルの目を見つめる。
「わたくしにこんなことを言う資格などないことはわかっています。それでも…それでも」
ロザリアの体が再び引き寄せられ、抱きしめられた。
ゼフェルが耳元で囁いた。
「資格とか責任とか考んな。今言いたい事を言えよ。誰が許さなくても、オレだけは許してやっから。安心しろ」
ゼフェルの吐息がロザリアの耳を擽る。
それに背中を押されるように、彼女は言葉を吐き出した。
「わたくし、あなたが好きですわ。とても、とても好きですわ」
ゼフェルの腕に力が入るのを感じながら、追い立てられるように言う。
「ずっとあなたを見ないようにしてきましたわ。だけどあなたはわたくしの心から消えてはくれなかった。それどころか、あなたの存在は今こうして、またわたくしの中で大きくなってしまった」
ロザリアは、ゼフェルの胸に耳を当てた。
鼓動が聞こえて、堪らなくなる。
ああ、温かいわ。
わたくしのプライドも、強情も、わずかに残っていた羞恥心すら、溶かしてしまいましょう。
「ゼフェル様、あなたはずっとわたくしの心から出ていってくれないでしょう。追い出す力を、わたくしはもうなくしてしまいましたわ。あなたのこの温もりが、自分の身勝手を戒めることもできないほどに、わたくしを弱くさせてしまったのですわ」
「そりゃ悪かったな」
照れたようにそっけなく言うゼフェルを、愛しく思う。思ってしまった。
「悪いのはわたくしですわ。…あなたにもオスカーにも合わせる顔がない女なのですから」
言えば言うほど情けなくなってくる。
だが、ゼフェルの手は、優しく髪を撫でてくれている。
どうしてこの人の手はこんなに温かいのだろう。
許されていると思ってしまう。
自分勝手さに憤りを感じる一方で、凝り固まっていた自分への嫌悪がほどけていくのを感じる。
「あいつの名前を出すなよ。おかしくなっちまいそーだからよ」
穏やかにだが、きっぱりと言う。
「オレはまだガキだ。本当は悔しくてしかたねーんだ。…おめーを責めてるんじゃねー。オレがしっかりおめーを捕まえておけなかったせいだからな」
首を振って否定しようとするロザリアを制して続けた。
「そーいうことにしとけよ。な?」
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