「バカにするんじゃねーよ!」

 言葉は言葉にしか過ぎない。決して肉体は傷付かない。
 鋭い言葉によって命を落とすことはない。
 そう何度も頭の中で繰り返していた。

 覚悟を決めていたはずなのに、心も体も崩れそうになる。

『でも、わたくしは耐えなければならないわ』
 罪人は罪を償わなければならない。
 自分自身に言い聞かせるうちに、頭の動きが鈍くなり始めた。
 ふと、彼が自分を助けようとしてくれているのだと思いついた。
 その馬鹿馬鹿しい考えが、徐々に真実のように思えてくる。

 この人はわたくしを救ってくれるのだ。汚れてしまったわたくしの心を清めてくれるのだ。
 
 自己満足と誹られても構わない。
 彼がただ憎しみのままに、わたくしを怒鳴りつけようとしていようとも。
 わたくしがわたくしを許す為に、過去何度もそうしてくれたように、救いの手をさしのべてくれているのだ。
 罰を与えることによって、罪を償うことを許してくれているのだ。

 目を閉じて次の言葉を待つ。

 パンッ
 頬に痛みが走った。
 思わず目を開けた彼女の目の前に、ゼフェルが立っていた。まるで自分が殴られたように痛みを堪えた目で、じっと見ている。

「…バカにするんじゃねー」
 もう一度呟いてロザリアの頬に手をやる。
 そのまま顔を近づけて唇に一つキスを落とすと、為す術もなく呆然としているロザリアを抱きしめる。

「オレがどんだけおめーを見てきたと思ってんだよ。心にもねーこと言ってるってことくれーわかんだよ」
「…そんなこと…ありませんわ」
「黙れよ。今日、少なくともオレのことをどーでもいいって思ってねーことはわかった」
「でも!わたくしはもう…わたくしの唇はあなた以外の方を知ってしまっているのですわ」
 ロザリアの肩を掴んで、体を離す。
「だから、バカにするんじゃねーって言ってんだよ…そんくれーでオレがおめーを諦めるわけねーだろ」
 ゼフェルは少し笑って続けた。
「…まあ、本当はちょっとだけ諦めよーと思ったこともあったんだけどな」
 状況がよく理解できないながらも、とにかく口を動かす。
「確かにわたくしの心にあなたはまだ住んでいますわ。でもオスカーも」
 体を重ねたわけではないが、オスカーを求める自分も間違いなく存在している。
 それは、ただ肉体関係を持つことよりも、ゼフェルにとっては忌むべきことではないのだろうか。

「シャンプーかなんか変えたのか?」
「え?」
「いー匂いがするからよ。…前のも好きだったけどよ、これも好きだぜ」
「はあ…ありがとうございます」
 どうしてこんな会話をしているのだろう。
「オレはおめーが好きだ。今だって好きだ」
 真っ直ぐ見つめる瞳。真っ直ぐ届けられる言葉。
「そりゃな、前までと同じ気持ちってわけじゃねえ。オレだけが知ってたおめーじゃなくなってるってのも分かってる。けどな、それでも好きなんだからどうしようもねーだろ。オレはおめーが好きだって言うしかねーんだ」

 言葉で思考が埋め尽くされていく。
 ゼフェルを見ようとしなかった時間が消えていく。

 罪を重ねることになっても構わない。
 …もう冷静には考えられない。

「好き、ですの?」
「あ?だからそーだって」
「好きだと申し上げてよろしいのですの?」
「……あ?」
 ゼフェルの目を見つめる。
「わたくしにこんなことを言う資格などないことはわかっています。それでも…それでも」
 ロザリアの体が再び引き寄せられ、抱きしめられた。
 ゼフェルが耳元で囁いた。
「資格とか責任とか考んな。今言いたい事を言えよ。誰が許さなくても、オレだけは許してやっから。安心しろ」

 ゼフェルの吐息がロザリアの耳を擽る。
 それに背中を押されるように、彼女は言葉を吐き出した。

「わたくし、あなたが好きですわ。とても、とても好きですわ」
 ゼフェルの腕に力が入るのを感じながら、追い立てられるように言う。
「ずっとあなたを見ないようにしてきましたわ。だけどあなたはわたくしの心から消えてはくれなかった。それどころか、あなたの存在は今こうして、またわたくしの中で大きくなってしまった」

 ロザリアは、ゼフェルの胸に耳を当てた。
 鼓動が聞こえて、堪らなくなる。

 ああ、温かいわ。
 わたくしのプライドも、強情も、わずかに残っていた羞恥心すら、溶かしてしまいましょう。

「ゼフェル様、あなたはずっとわたくしの心から出ていってくれないでしょう。追い出す力を、わたくしはもうなくしてしまいましたわ。あなたのこの温もりが、自分の身勝手を戒めることもできないほどに、わたくしを弱くさせてしまったのですわ」
「そりゃ悪かったな」
 照れたようにそっけなく言うゼフェルを、愛しく思う。思ってしまった。
「悪いのはわたくしですわ。…あなたにもオスカーにも合わせる顔がない女なのですから」

 言えば言うほど情けなくなってくる。
 だが、ゼフェルの手は、優しく髪を撫でてくれている。
 どうしてこの人の手はこんなに温かいのだろう。
 許されていると思ってしまう。
 自分勝手さに憤りを感じる一方で、凝り固まっていた自分への嫌悪がほどけていくのを感じる。
「あいつの名前を出すなよ。おかしくなっちまいそーだからよ」
 穏やかにだが、きっぱりと言う。
「オレはまだガキだ。本当は悔しくてしかたねーんだ。…おめーを責めてるんじゃねー。オレがしっかりおめーを捕まえておけなかったせいだからな」
 首を振って否定しようとするロザリアを制して続けた。

「そーいうことにしとけよ。な?」










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