11
違う世界でお逢いしていたら…
いえ、時期だけでも違っていたら…
わたくしは、貴方なしでは生きられなかったかもしれません。
今更言っても詮無きことですけれど。
返事を持ってやって来た使いの者が帰ってから、数分しか経っていない。
もう少し時間を置かないと、追いついてしまうかもしれないと気を廻しながら、ゆっくりと支度をする。
「ロザリア様、今日も本当にお綺麗ですわ」
手伝ってくれている女官が、ため息をついてそう言ってくれた。
苦い思いを隠して、笑顔を作る。
「ありがとう…そろそろ馬車の準備をしてくれるかしら?」
「かしこまりました」
つい頼んでしまったが早すぎはしないだろうか。
あまりの胸の痛みに、取るに足らないことで頭を満たそうと試みるが、どれだけ努力しても思考は進まない。
結局、準備が整ったとの声に追い立てられるように馬車に乗り込んだ。
景色はゆるやかに流れていく。
緑、青、ピンク、紫…次々に現れては消える。
馬車の揺れは心地良い。
飛び跳ねる心臓と同じリズムで体が揺れるから、平常心のような気すらしてしまう。
鮮烈な赤が目に飛び込んでくる。
何かの花だったのかもしれないが、ただ色だけが目に焼き付く。
否応なくオスカーを連想させるその残像を振り払いたいのに、振り払えない。
貴方は燃える炎のように、わたくしを焼き尽くすのかしら。
それとも、わたくしを見る瞳は氷のように冷たいのかしら。
今のわたくしの中には、燃やせるようなものは何もないのに。
もう、射抜いてもらえるような何かなどないのに。
オスカーはわたくしを罵るかしら?
いえ、わたくしには罵られるだけの価値も無いのかも知れない。
全女性の恋人を自称して憚らないあなたですもの。
わたくしも、その中のただ単なる一人に過ぎないのかしら。
そうであれば…と思ってしまう自分に気づいて思わず笑ってしまう。
まだ期待する何かがあることが嫌になる。
以前は違った。
オスカーが女性に声を掛けているのを見ると、少し淋しく思う自分が確かにいたはずだった。
そんな現場に居合わせると、なるべく見ないようにその場を足早に立ち去っていた。
そして…そう感じていたのは最近のことで…
なによりも、自分が信用できない。
ただ、もうオスカーを求める気持ちが今は消えてしまっていることだけはわかる。
考えることに、悩むことに疲れてしまったからかしら?
だからわたくしは、もうあの人との未来を想像し得ないのかしら?
それとも、先ほどにした決意に気持ちもつられているのかしら?
だったら、ゼフェル様のことは…?
「止めましょう。こんなところで自問自答しても始まらないわ」
答えなど、もういらない。
今の自分に必要なのは、唯一持っている勇気を消さないことだけなのだから。
屋敷の主その人のように、壮大で力強い扉が開かれた。
「待ちかねていたぜ…罪なレディ」
いつもと同じような台詞を囁いて、オスカーはロザリアの手を取る。
それが辛くて何気なさを装いながら、ロザリアは言う。
「わたくし、一人でも歩けますわよ?」
オスカーは一瞬戸惑ったような顔を見せたが、すぐに笑顔になる。
「わかっているさ。だが今はこうしたいんだ。いいだろう?」
その笑顔は作りものに見えた。 …実際そうなのだろう。
ロザリアは、全てを知っている。
オスカーは、まだ何も知らない。
しかし、二人は等しく核心に触れることを怖れている。
広い応接室は心許ない。
勇気が胸からこぼれ落ちていってしまいそうで、
胸の前で手を合わせる。
ロザリアが作り出す不穏な雰囲気を壊そうと、オスカーは椅子を勧めた。
それを手で制して、ロザリアは唇を開いた。
そしてゆっくりと動かす。
「お別れを告げに参りました」
何を言われたのかわからなかった。
オワカレ ヲ ツゲニ マイリマシタ
音が耳に到達するのにやや遅れて、ようやく理解する。
何度か聞いたことがある台詞だ。
言わせるようにし向けたことも、言わせないようにしていたのに言われたこともある。
慣れているはずだ。
慣れているはずなのに…絶望が襲う。
目を手で覆っていることに気づいて、 自分に対して失笑が漏れた。
そう、別れを告げる女は何人だっていた。
だが、それを踏みとどまらせることは容易かったではないか。
まだだ。まだ俺は失ってはいないはずだ。
彼女にそれが通じるかどうかはわからない。
しかし、彼女を失いたくはない。
目を開けて、ロザリアを見た。
表情は冷静そのものだが、眉根が小刻みに震えている。
何かを耐えていることは明白で、それが僅かばかりオスカーを救う。
「…つまらないことを聞かせてくれ」
ロザリアが頷くのを見て、続ける。
「俺に魅力を感じなくなったのか?」
ロザリアは、首をゆっくりと左右に振った。
「いえ、あなたは魅力的ですわ。これ以上ないくらいに」
喜ばしい言葉。
しかし、ロザリアの決意の固さを読みとって、オスカーの表情は険しくなる。
「オリヴィエ…は関係ないのか?」
気の利いた言葉も言えず、ただ阿呆のように彼女を問いただすだけの自分が憎々しい。
ロザリアは何かを怖れるようにもう一度…今度は大きく縦に首を振った。
オリヴィエではない、何者かの存在が彼女を行動させているのだとわかる。
彼女の心を縛る者の名など知っても意味はないのに、 知りたくてたまらない。
無粋で、野暮で、情けない…それが今の俺だ。
だが、しかたがないだろう?
「君はもう、俺を愛してはいないのか?」
また笑いが漏れる。
愛していると彼女から聞いたことなど、一度もない。
愛されている、と思い上がってはいないつもりだった。
だが、近い未来にそうなる自信はあった。
だから、こんな形で終わりが来るとも思ってはいなかった。
自分の中から沸き出す言葉達。
それら全てに聞き覚えがある。
ああ、あいつらはこんな思いでこういう台詞を吐いていたんだな。
俺は遅すぎたのか?
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