5
「ちっとも良くありませんわ!」
先ほどまで平静を保っていたロザリアが、突然取り乱した。
「わたくしの辛さをお分かりになってらっしゃらないくせに!」
別人のように叫び始めたロザリアに、ゼフェルは戸惑った。
「わたくしだって、わたくしだってどれだけ辛いか分かっていただきたいのですわ!」
なぜか怒っている。
怒りたいのは…泣きたいのはこちらであるというのに。
「ロザリア…泣きてーのはこっちだぜ?」
なんとなく間の抜けた答えを返してしまった。
「そうではなくて!ゼフェル様はわたくしを冷徹で血も涙もないと思ってらっしゃるのでしょう!?」
「…そんなこと思ってねーよ」
そう答えながら、ゼフェルは強い敗北感に打ちのめされていた。
頭では理解していても、やはり自分は負けたのだという気持ちが拭えない。
「嘘ですわ!わたくしだって、ゼフェル様と同じくらいに…いいえ!もっと!体中が裂けるくらい苦しいですわ!」
ロザリアの悲痛な叫びは、ゼフェルの頭を麻痺させる。
「わたくしだって、ずっと…ずっとあなたといたいのに!」
考えが元に戻る。延々と、ループする。
ならずっと、オレの傍に。
それを断ち切ったのも、ロザリアの声だった。
「ゼフェル様…もし、ゼフェル様が鋼の守護聖様でさえなければ…もっと自由な立場の方でしたら、一緒に帰りたかった…」
そのような仮定は無駄だ。
しかし、ゼフェルも思いを馳せずにはいられない。
ロザリアと一緒に下界に降りる。
そして、ロザリアの両親に頭を下げて、一緒にさせてほしいと頼みに行くのだ。
きっと、彼らは怒るだろう。 なんと言っても大貴族の一人娘であるのだから。
それでも毎日頼みに行く。
…オレのことだからキレちまって喧嘩しちまうかもしんねーけどな。
どうしても無理なら、その時こそ駆け落ちしてでも一緒になるんだ。
絶縁されても…いつかは、そう十年くらい経てば許してくれるかもしんねーし。
そんで、オレは工場かなんかに勤めてロザリアと二人で暮らす。
趣味とか全然合わねーけど、きっとオレ達なら大丈夫だよな。
多分喧嘩も絶えないだろーけど、それでも何回だって仲直りして…。
夢物語だ。
ゼフェルは、下界には戻れない。その事実を彼自身がもっとも理解していた。
ロザリアより女王が大切なわけではない。
ましてや、聖地が大切なわけではない。
だが一緒には行けない。どうしたって行けないのだ
――――ああ…勝ち負けじゃねーんだよな。
長い沈黙の後、ゼフェルは湖に行こうと誘った。
恋人達の、湖に。
流れ星が一つ流れる。
「綺麗ですわね」
ロザリアが言った瞬間、二つ、三つ…数え切れないほどの星が後に続き始めた。
おそらく、女王交替に関わる現象なのだろう。女王になれなかったロザリアには何もわからない。二人は異常な数の流れ星を、見て見ぬ振りをした。
「なあ、オレを初めて見た時、どう思った?」
困ったような顔をしながらも、少し意地悪くロザリアは答えた。
「そうですわね。どうしてこんな方が守護聖様なのかと不思議に思ってしまいましたわ」
それを受けてゼフェルも嬉しそうに言う。
「おめーを初めて見たとき、小うるさくて絶対好きになれねータイプの女だと思ったぜ」
「まあっ!ひどいですわゼフェル様!」
ロザリアは眉を吊り上げた。本気で怒っているようだ。
「おめーだって相当ひどいじゃねーか。なんでオレだけ怒られんだ!?」
ゼフェルは、慌てて言い返した。
それはそうですけれども、と口ごもるロザリアを可愛いと思う。
――――こいつと出会ってから、オレらしくねーことばっか考えてるよな。
「おめーさ、いつからオレのこと好きだったんだ?」
「え?そんな…困りますわ。先にゼフェル様から仰ってくださいませ!」
「そっ…そんなこっぱずかしーこと言えるかよ!!」
「恥ずかしいことを言わせようとしたのはゼフェル様ですわよ?」
「言いたくねーけど聞きてーんだよ!」
思いを確認し合ってから、初めてのデート。恋人達が話すべきことは星の数ほどある。
だけど、時間が足りない。
最初の、同時に二人だけで過ごす最後の時間になってしまうこの恋人としての時を、残されたこの僅かな時を、無駄に使ってはいけないと気持ちだけが焦る。
何を話すべきなのか。
自分達は今、どうすれば良いのか。
時の流れはこの先、互いの存在を徐々に薄れさせていくだろう。
耐えられないと思った傷を少しずつ癒してくれたように、この別れによってできるであろう傷も癒してくれるのだろう。
そう思うことはあまりにも辛かったが、そうなるだろうとも確信していた。
永遠に続く想いなど…そうあるわけではない。しかも、二人は離れてしまうのだから。
二人の話し声は徐々に小さくなり、消えた。
何を話せばいいのかわからないまま、ただ互いを見つめる。
話したいことは山のようにある。
それなのに言葉が出てこない。
空が白々と明ける―――――――――――
沈黙を破ったのはゼフェルだった。
「結局徹夜しちまったな。オレは慣れてるけど、おめー辛いんじゃねーか?」
ロザリアは微笑んだ。
「これしきのことで、弱音を吐くわたくしじゃございませんわよ?」
薔薇のようだ。
いつかあげた花束を思い出す。
「やっぱりおめーには薔薇だよな」
ロザリアは面食らった様子で、返答に困っている。
「なあ…オレのこと、いつから好きだったんだ?」
一度はぐらかされた台詞を、真剣な面持ちでもう一度口にしたゼフェルをしばらく見つめてから、ロザリアは答えた。
「わたくし、多分ずっと前からゼフェル様のことが好きでしたわ」
一呼吸置いて続ける。
「ただ、自分の気持ちをはっきりと自覚したのは、ゼフェル様がれんげの花束を下さった時でしたわ」
「…なんだよ、花束なんて他の奴からも貰ってたじゃねーかよ」
「ゼフェル様から、でしたから」
そっか、と笑ってゼフェルも打ち明けた。
「オレもそんときくらいだったぜ。おめーに惚れてるってわかったのはよ」
言葉が自然と口から零れた。
「ゼフェル様…今日のゼフェル様はいつもと違って素直ですわね」
「おっおめーは!こんな時までいつもどーり過ぎなんだよ!」
いつもと同じように軽口を叩きあう。
それなのに、目の前に確かにいるはずのロザリアは、まるで夢の中の人のように見える。
彼女の姿を目に焼き付けようとしたが、なぜか無駄のように思えた。
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