14



 彼女が来たのは、あの日からすぐのことだった。

 心の中にオレを残してくれていたことを、確認することができたあの日。
 もう二度と触れることはできないと思っていた彼女を抱きしめることができた時…オレは、オレの気持ちを伝えることができただけでも嬉しかった。
 それによってオレには逃げ道がなくなっちまったけど、それでも嬉しかったんだ。


『ゼフェル様、わたくしはやはり選ぶことができませんでした』
 過去形で話す彼女にオレは戸惑った。だけどオレに口を開く隙を与えず彼女は言った。
『馬鹿な女だとお思いになるでしょうけど、補佐官としての役割だけを全うすることに致しました』

 それを聞いても、オレはショックなんて受けなかった。
 ロザリアらしーな、なんてぼんやり思っただけだった。
 オレには、もう言うべき言葉なんてどこにもなかったから、ただ聞くことしかできなかった。
 ロザリアが好きだってことは、もう伝えてしまっている。
 それ以外には、オレの頭には何も残っていなかった。からっぽだ。…だから黙っていることしかできなかった。
 オレの様子を見て、勘違いしたのかロザリアは深く頭を下げた。
 言葉はなかったけど、全身でオレに詫びているみたいに見えた。
 蒼くて綺麗な巻き毛が、肩からするすると落ちていく。
『泣くなよ』
 驚いたように顔を上げたロザリアは、泣いてなんていなかったけど。
『安心しろよ。オレは大丈夫だからよ』
 笑ってもらいたくて言った言葉は逆効果だったらしく、ロザリアの瞳からは今度こそ涙が溢れ出してしまった。
『もう行けよ。おめー仕事あんだろ?』
 本当は、まだ一緒にいたかった。
 せめて彼女の涙が止まるまでは、部屋にいてほしかった。

 でも、オレがしてやれることはこれを終わらせてやることだけだから、帰るように促すしかなかったんだ。

『ゼフェル様…』
 行くなよ、なあ。
 でもオレが言うべきなのは、引き留める言葉じゃない。
『いいから行けって』
 扉を開ける直前、彼女はこちらを振り返った。
 彼女の顔を見たらまたバカなことを口走ってしまいそうだったから、外を見ているふりをした。
 少しでも多くの彼女の表情を焼き付けておきたかったが、必死に堪えた。
 そして、ロザリアは出ていった。



 乱暴にドアを開いて、風の守護聖が執務室に入ってきた。
 挨拶もそこそこに(オレもしねーから人のこと言えねーけど)、ランディは口を開く。
「ゼフェル、一体何があったんだよ」
 真面目極まりねー顔だ。
「あー?別になんもねーよ。おめーいきなり何言ってんだ?」
 質問を返してやったら、ランディはちょっと怯んだが、めげずにまた返してきた。
「ロザリアもオスカー様もなんだか変なんだ。だからお前なら何か知ってるんじゃないかって思ってさ」
「それで、何でオレに聞くんだよ」
 少し苛つきながらもう一度返すと、奴は髪をくしゃくしゃと掻きむしった。
「あー…・いや、あの…・」
 この期に及んでまだ気ィ使ってやがる。
「…アイツら、別れたんじゃねーの?」
 ようやく話が進んでホッとした様子のランディは頷いた。
「うん、ゼフェルもそう思うよな?だけど、オスカー様があまりにもおかしいからさ」

 オスカー。
 ロザリアの口からではなくても、聞きたくねー名前だ。
「そりゃいろいろあんじゃねーの?補佐官にマジで惚れてたってんなら落ち込みもするだろーよ」
 あの野郎の話を早く終わらせたくて、当たり障りのない返事を返した。
「ゼフェル?」
「…なんだよ」
「オスカー様と、何かあったのか?」
 だから、その名前は聞きたくねーっつってんだろ。…言ってねーけど。
「何もねーよ」
 つーか、実質的にはマジで何もねーんだ。
 ロザリアから話を聞いている以外、オレはアイツと何の接触もしてねー。
 元々オレとオスカーは親しくねーから日常生活に支障もねーしな。
 あの口ぶりでは、ロザリアはオスカーにも別れを告げているはずだ。
 そうでないよりは、オレを救うことは救うけど…それでも、嫌だ。

 ガキっぽい、それこそオスカーに知られたら一笑に付されてしまうような想いを止められねーから。

『オスカーさえいなければ、オレ達はまた違っただろう』
 頭に浮かぶそんな考えを振り払えない自分がみっともなくて、情けない。
 会議なんかでどうしても顔を合わせなけりゃならない場合もなるべく見ねーようにしてる。
 そんなオレの態度を見て、オスカーはオスカーで何かを感じ取ったんだろう。
 アイツからもオレに話しかけることはなくなった。
 軽口の代わりに、見る者全てを凍らせてしまいそうな、鋭すぎる視線を投げてくるだけだ。

「ゼフェル、お前今でもロザリアのことが好きなんだろ?」
「まーな」
 何気なく聞かれたから、思わず返事をしちまった。
 隠すつもりはなくなったから別にいーといやいーんだけど…なんとなく悔しいのは相手がコイツだからか?
 真面目な顔を崩さず、ランディはさらに質問を重ねる。
「どうするんだ?」
「何がだよ」
「お前達、今どんな風に言われてるのか知ってるのか?」
 馬鹿馬鹿しい噂。コイツ、なんだかんだ言ってそのことを心配して来たのかもしんねーな。
「オレは気にしてねーよ」
「お前がよくても、彼女は女性なんだぞ?あんな酷い言われ方されてるのに…」
「アイツも大丈夫だろ。変にフェミニスト気取りすんじゃねーよ」
 顔を赤くさせて何か言おうとするランディに言ってやる。
「今オレらが余計なことしたら、アイツはまた混乱すんだよ。頭脳明晰な補佐官サマはちゃんと考えてんだろーよ。ほっといてやれよ」
 少し考えて、ランディは附に落ちない顔をした。
「なあ、どうするんだ?」
「ハァ?だから何もしねーって言ってんだろ」
「噂とかのことじゃなくてさ…彼女が好きなんだろ?そして彼女には今恋人がいない」

 オレだけは、ロザリアが何をしても許してやる。
 アイツにそう伝えた時、オレは、オレ自身に誓ったんだ。

『ゼフェル様、あなたはずっとわたくしの心から出ていってくれないでしょう』

 ロザリアが言ってくれた言葉は、オレの支えになっている。
 こんなことオレが思ってるなんて知ったら、きっとアイツは後悔するだろーけど、それでもオレはあの時決めたから。
 アイツを諦めきれなくて情けないオレこそが、自分自身なんだと認めたから。

 だから。

 いつか。

 いつか。

 …だから今は、何もできない。

「何もしねーよ」









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