cross 3


 


 昼食をとった後、昼寝でもしようかとベッドに寝転んだところで来客を知らされた。
 首を傾げながら階段を降りて食堂兼ロビーに入ると、彼を待っていたのは白のシャツとくすんだ青のタイトスカートを身に着けた女性だった。

「ロザリア」
 現実味のない展開を前にして、すぐには状況を理解できなかった。
 ここ数日は彼女のことをよく考えているので、幻覚かと本気で思った。
「突然来てしまってごめんなさい。ご迷惑ではないかしら」
 不安そうな表情を浮かべるロザリアに、慌てて首を横に振る。
「迷惑じゃねーよ。ビックリしたけどな」
 そう答えて、起きてからほとんど鏡を見ていないことを思い出した。
 いったん部屋に戻って、急いで身支度を整える。
 そのまま待っているように伝えてはいるが、早くしないと彼女が消えてしまいそうで気が気ではなかった。


 ゼフェルが再び食堂に足を踏み入れた時、ロザリアは女将となにやら会話をしていた。
 素朴な作りの宿に彼女はそぐわなかったが、先ほどよりはリラックスしているようで、笑顔を見せている。
「待たせたな。とりあえずどっか茶でも飲みにいくか?」
「それならここで飲んでいきなよ。話の邪魔はしないからさ。お友達はレモネードは嫌いかい?」
「レモネード?」
 ゼフェルとロザリアは同時にそう言って、それぞれ続けた。
「これまで飲んだことがありませんから、飲んでみたいですわ」
「そんなもんあったのかよ。オレには言ってくれなかったじゃねーか」
 女将はまずロザリアに頷いてから、ゼフェルには肩を竦めてみせた。
「だって、どうせ水しか飲まないじゃないか。じゃあ今日はレモネードでいいね?二人分、サービスしておくよ」
 そう言われたら、黙るしかなかった。



 輪切りのレモンと甘いシロップが入ったレモネードは、ロザリアの気に入った。
「とてもおいしいですわ!それに、きれいですわね」
 窓から入る日差しがレモネードと大きな氷に反射して、きらきらと光っている。
「そう言われたらそうだな」
「ミントの緑も効いていますわね」
「この葉っぱはミントか」
 何気ない話をしているうちに、緊張もほぐれてきた。
「こっちには仕事で来てんのか?」
「ええ、昨日まで首都におりましたの。陛下のお計らいで、今日明日とお休みをいただいておりますわ。とは言っても、明日は早めに発たないといけませんけれど」
「そっか。リュミエールから話聞いてきたんだろ?なかなかいいところだぜ」
 そう言うと、ロザリアは戸惑った表情を浮かべた。リュミエールと何かあったのかとも思ったが、穏やかなリュミエールと彼女の仲はいたって良好で、トラブルが起きることは考えにくかった。
「首都からだと結構かかっただろ?さっき着いたのか?」
「こちらに着いたのは、昨日の夜ですわ。午前中は市場を見に行って、お買い物をしたり食事をしたり、お土産も買いましたわ」
「先にここに来てたら、案内くらいはしてやれたのによ」
 少し不満げに言うゼフェルに、ロザリアは意外そうな顔をした。
「ゼフェルを起こさないように、午後になるのを待ちましたのよ?」
 聖地での生活を知る者なら、昼過ぎまで寝ていると考えて当然で、ゼフェルは苦笑した。
「こっちにきてからはコンピュータも触ってねーからすぐに寝ちまうし、わりと早く目が覚めるんだよ。今日も明日も特にやることねーから、おめーさえよけりゃ観光でもなんでも付き合うぜ」
「まあ、でしたらお願いいたしますわ」
 昼寝をしようとしていたことは、言わずにおくことにした。



 
「もう昼は過ぎてるけど、お腹は減ってないかい?」
 ちょうど話がひと段落したところに、女将が話しかけてきた。
「ええ、昼食は済ませておりますわ。ありがとうございます」
「その恰好じゃ動きにくいだろ?うちの娘の服を貸してあげるから、着替えていくといい。多分サイズも合うはずだよ」

 グリーンのサマーニットと黒いスキニーパンツに着替えたロザリアを連れて食堂に戻ってきた女将は、誇らしげに言った。
「よく似合ってるだろ?」
 カジュアルな服装のロザリアを見ることはほとんどなかったが、女将の言う通りだった。緑がそう見せているのか、健康的な印象だ。
「学生っつってもおかしくねー感じだな」
「それくらいの年齢ですけれど?」
 軽く睨まれて失言に気づいたゼフェルは、助けを求めるために女将を見た。
「うちの娘は今年二十三になるんだけど、そう変わらないのかい?」
「ええ、同じくらいですわ」
「娘が最近一人暮らしを始めたから、こうしてると娘といるみたいで楽しくなるよ」
「わたくしも、とても楽しいですわ」
 そう答えたロザリアは、照れたように微笑んだ。


 宿を出る頃には十四時を回っていたが、まだまだ気温は高い。常春の聖地に慣れたロザリアには、厳しい暑さだ。
「暑いだろ?ちょっと距離があるからバスに乗ることになるけどよ、手紙にも書いた泉にでも行ってみるか?」
「ええ、ぜひ」
 並んで歩きながら話していると、否応なしに付き合っていた頃が思い出される。
 屈託のない笑顔は変わらずにきれいで、胸が苦しくなった。
「ゼフェルは、バスに乗ったことはあって?」
「ああ、あるぜ。今はあんまり見かけねーけど、オレが守護聖になる前は結構走ってたからな」
「わたくしは初めて乗りますの。レモネードもそうですけれど、今日は初めてのことが多くて新鮮ですわ」
 彼女の足元は黒のスニーカーで、浮き発つ心を表すように白い足首がのぞいている。
「ゼフェル?」
 自分の名を呼ぶ声を聞いていると、簡単に昔に戻れるような気がしてくる。少し手を伸ばせば、あの頃と同じように彼女と手を繋げる近さだ。
「何考えてんだろーな」
 ひとり言が出てしまい、ゼフェルは首を振った。
 怪訝そうな表情を浮かべたロザリアから、視線を外して応えた。
「いや、なんでもねー。ああ、バス停が見えてきたぜ」
 

 小さなバスは思ったよりも混んでいた。生活に根ざした路線なのだろう、バス停の間隔はかなり短かく、速度も遅い。
 距離に対して倍ほどの時間をかけて、バスは目的地に到着した。

 一人がけの席がひとつだけ空いていたのは、彼にとって幸運だった。
 
 







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