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妨害。
それは女王候補が育成している大陸から、一度送った力を引き上げる行為だ。
守護聖の力を借りる時、女王候補は育成と妨害のどちらを頼むかを選択することができる。
試験を始める際に定められた正当な手段ではあるのだが、女王候補達が妨害を頼んだことは一度もなかった。
しかし、最近になって自発的に妨害を行う守護聖が出始めた。
一方の候補の力になってやろうと思う気持ちが先走ってのことだろう。
いつもの勝ち気な彼女はいなかった。
悲しそうに、消えそうな声でぽつぽつと呟いている。
「わたくしをお嫌いだからと言って、わたくしの大陸の民に罪はありません。尊き方々であらせられますから、人間の命などそうお気にかけてはいられないのが当然なのかも知れませんが、やりきれないのです。ですから、亡くなった彼らの為にお祈りをするのです。土の曜日に」
突然、ロザリアは話すのを止めた。目の前に立っている少年もまた、守護聖であることを思い出したようだった。
確かに守護聖がサクリアを引き上げた後は、育成している大陸の人口が減る。
それに守護聖は気づいていながら、努めて気にしないようにしているのだ。
守護聖は、女王候補達の育てる大陸に力を送るだけで目にしたことはない。
そこに人が住んでいること。生活をしていること。
彼らが様々な幸福を育てていることを、守護聖が実感することはできないのだ。
だからこそ、数字上の人命よりも、女王を決める試験の方が大切だと考えることができる。
そして、彼らは長い年月を生きている。
考えたくないことを、頭から上手く追い払う術を身につけるに十分な時間を。
もう片方の女王候補。
天真爛漫で、向日葵のような笑顔を振りまく少女。
ライバル同士ではあるが、ロザリアの親友。
あの少女は?
「アンジェリークは。アンジェリークの奴はどう考えてんだ」
彼女に好意を寄せる者たちが、ロザリアを苦しめている。
しかし、その名を聞いて、ロザリアは愛おしそうな笑顔になった。
「あの子は、知りませんわ」
「知らねー…?なんでだ!?何で知らねーんだ!?」
「あの子はなんでも気にするでしょう?ですから、気づかれないようにしているのですわ。見にこなくていいと言っておりますのに、視察の時にあの子はフェリシアの様子も見にきているようですので、少し忙しくはなりますけれど、わたくしほどになりますとその痕跡を完全に隠してしまうくらい、造作もないことですのよ」
なぜだろうか、彼女は誇らしそうにしている。
アンジェリークを逆恨みしていてもよさそうなものなのに。
そこまで考えて、ゼフェルの思考はある可能性に思い当たった。
「おめーが、おめーを応援してる奴らと今以上には親しくしようとしねーのは、それが原因なのか?エリューシオンの民の命を奪いかねないからか?」
ロザリアは少し迷った様子を見せてから、頷いた。
自分もまた、そういうことをしていたかも知れない。
育成を頼まれたら断れないとは言ったが、その後で力を戻していたかも知れない。
―――いや、そうしただろう。
罪悪感をひねり潰すように、半ば叫ぶように言った。
「なら、そういう奴らとも仲良くすりゃーいいんじゃねえか!?少しでも仲良くなれば、奴らだって妨害を止めるんじゃねえか!?オレんとこに来てたみてーに、奴らのところにも定期的に行けば、少しは違ったんじゃねえか!?
おめー、あいつらのところ、最近全然行ってなかっただろ!」
ロザリアは、大きく身を震わせた。
瞳から、再び滴が落ちた。
整った顔を歪めて、激しくしゃくりあげる。
苦しそうな嗚咽が耳に突き刺さり、ゼフェルは狼狽した。
こいつが泣くなんて。
いや、さっきも泣いてたけど、オレの言葉で泣くだなんて。
オレは…オレは今なんて言ったっけ?
「お、おい。今のは、あー、その、思いついたまま適当に……」
よく考えれば失礼な台詞だが、ゼフェルは気づかない。
「そうですわ。ゼフェル様のおっしゃる通りですわ」
ロザリアは、独り言を言うように続ける。
「…でも、わたくし、駄目なのです。 あの方達の執務室の扉の前に立つだけで、憎しみが、怒りが湧いてくるようになってしまったのです」
徐々に口調が激しくなっていく。
「わたくしの大切なフェリシアの民の命を奪ったことしか考えられなくなって…笑顔でお話できそうにないのです!わたくしにはフェリシアを導く資格など、天使と呼ばれる資格などないのですわ!」
―――オレはなんてことを言っちまったんだ。
ロザリアの青い瞳は、燃えさかるように輝いている。それを正視することができず、今度はゼフェルが俯いた。
「わたくしは最低です!その一歩が踏み出せないばかりに、明日もまた、わたくしをお嫌いな守護聖様によってかけがえのない命が奪われていくのです!」
彼女は、自分自身を責めている。
いや、これまでもずっと責め続けてきたのだろう。
高慢で、いつも自信に満ちあふれているロザリア。
それすらも演技だったのだろう。…少なくともここ最近は。
―――オレは何を言えばいいんだ?何が言えるんだ?…何も言えねーよな。
言葉をかけてやりたくても、何も思いつかない。
頭の中が真っ白だ。
嫌な事は考えないようにしてきた少年の思考回路は、この時当然のように動かなかった。
しかし、それでもなんとかしてやりたかった。
それだけを、ただ強く思った。
気がつくと、顔の下で柔らかい髪が揺れていた。
反射的に抱きしめていた。
卑怯だったかもしれない。でも、どうしようもなかった。
「悪かった…」
それだけ呟いた。もっとも、ロザリアの耳には届かなかったようだったが。
ゼフェルの肩が、温かい涙で濡れていく。
「ゼフェル様」
ロザリアは、彼を見上げた。
「わたくしが、なぜあなたの執務室に通っていたか、おわかりになりますか?」
妙な質問だとゼフェルは思ったが、答えるしかなかった。
「オレが嫌いだからだろ?オレの態度が悪かったからだろ?
対抗してたってさっき言ってたじゃねえか。…それにオレはまだフェリシアに妨害してなかったから、それを防ごうと思ってたからかもしれねーな」
アンジェリークに恋をするようになっていたら、自分もまた深く考えずに進んで妨害をしただろう。
―――その行為の残酷さに気づくこともできず。
ひどく惨めな気持ちだった。
しかし、 ロザリアは何度目かの笑顔を見せて言った。
「わたくし、ゼフェル様がどれだけ冷たい態度をお取りになっても、どれだけわたくしを嫌っていらっしゃっても、妨害だけはなさらなかったことが少し嬉しかったのですわ。ですから、どれだけ嫌われてもわたくしの取りたい態度を取ることができたのです。余計なことを考えずに、嫌がらせができたのですわ」
そして、最後にポツリと付け足した。
「…わたくし自身を出せることが、嬉しかったのですわ」
オレはそんな立派な人間じゃない!
そう大声で叫びたかった。
だけど、同時に救われたんだ。
感情を出せて嬉しかった、という彼女の言葉で。
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