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オレの言葉を受けて目を瞠ったロザリアは、そのまま静止した。
薄く開いた唇から息を漏らすだけの彼女は、先ほどまでの真剣な表情とは打って変わって”ポカンとした顔”をしている。どちらかというとコミカルな印象を受けたが、オレは笑わなかった。
「イヤか?」
そう言うと、ロザリアは微かに顔を上げた。返事を促すために、まだ呆然としている彼女を見つめ続けて数分、ようやく表情が変わった。困惑を隠さず、彼女はオレをおそるおそる見返した。
何から考えればいいのか、何から言えばいいのか、悩んでいるように見えた。
その前に、オレの言葉が冗談なのか本気なのか、判断をつきかねているのかもしれない。
だから、オレは続けた。
「オレはマジで言ってる。イヤだったらそう言ってくれ」
彼女の頭は揺れたが、縦になのか横になのかの判別がまたもやつかなかった。
今は腕を離しているから、彼女は彼女の思う通りに動けるはずだ。それなのにはっきりしない行動をとったのは、きっとなにかを答えたいけれど、どう答えていいのかわからない、そういうことなのだろう。そうオレは勝手に結論づけた。
「イヤってわけじゃねーんだよな?」
「…ええ、いやなはずがございませんわ。ですけれど」
その言葉だけで十分だった。先手必勝、とばかりにオレは彼女の言葉を遮った。
「イヤじゃねーんだったら、オレは無理にでも連れてく。もう決めちまったから、諦めろ」
かっこよく決めたつもりだったが「それはできませんわ」と即答された。一刀両断。ものすごい切れ味だ。
それでもなんとか立ち直って、オレは理由を聞いた。それはふたつあった。
ひとつは、オレの未来を壊したくないから、だそうだ。もちろん、オレはそれを予想していた。
「一緒に逃げてくれねー方が、よっぽどオレの未来を不幸にするんだよ」
用意していた言葉を言うと、彼女は顔を赤らめた。
頬に手をあてながらも反論しようとするロザリアに言ってやる。
「おめーが来てくれねーと、オレは自棄になって学校も行かず、働きもせず、酒に溺れることになるぜ」
ロザリアの頬の赤みは一瞬で消えた。
「未成年者の飲酒はよくありませんわよ」
そう真顔で言われて、オレは自分が地雷を踏んだことを知った。
勢いで言っただけだ、と言い訳したが、最初に会った時にここで出された酒を飲んでいたことを思い出されて、叱られた。
同い年の女に『叱られる』というのもおかしいが、それ以外に言いようがない。とにかくオレは叱られてしまった。耳が痛くなるような説教が続いて、オレは新しい彼女を発見した。嬉しくもあり、本音を言うと鬱陶しくもあった。
あと三年は飲まないと誓うと、ロザリアは風紀委員が校則を守っている生徒に向けるような瞳でオレを見て、優しく二度頷いた。その笑顔で彼女の欠点(オレにとっての、だが)は帳消しになった。オレは、誉められたガキみたいに、やに下がった。
次に、オレはくだらない失言で貴重な時間を浪費してしまったことを悔やんだ。
焦ったオレは、部屋中転げまわりたくなるような台詞を知らず知らず口から吐き出していた。
「もしおめーが来てくれねーんだったら、オレは絶望のあまり死んじまうかもしんねー」
言った瞬間に、オレは本当に死にそうになった。死ぬ、という言葉もそうだが、絶望というのもまたひどい。
恥ずかしさに悶えているオレの手をとって、ロザリアは叫んだ。
「そんなこと、許しませんわ!死ぬだなんて仰らないで!」
悲痛な声のロザリアは、オレの言葉を額面通り受け取ってしまったらしい。
彼女の真面目さを利用することに罪悪感を覚えたが、オレは何も言わないことにした。今はなによりも効率が大事だ。
「そこまでわたくしを思って下さっているなら…。ああ、でも、でも、わたくしを置いて下さっている方や、マリーさんに申し訳が…」
ようやくもうひとつの理由を彼女は口にした。まずはひとつめの壁をクリアしたことを知って、オレは喜んだ。
だが、それでも首を縦に振ろうとしないロザリアを説得するのは骨だった。
親に売られたというわけではない、自分の意思で家を飛び出したということを聞き出して、オレは言った。
「なら、おめーが今まで世話になってる分しかこの店のやつは金は出してねーってことだろ?」
「ええ、現金はいただいておりませんから」
家を飛び出した理由や、その後にここに身を寄せることになった経緯が知りたかった。
だが、聞かれたことにだけ答える(しかも、これ以上ないくらい簡潔に)ロザリアから事情を聞きだすのは難しそうだった。
それが少し寂しかったが、突然の自分の告白に応えてくれただけで満足すべきだと、とりあえず自分を納得させた。
プライベートな部分は、いつか彼女が自然に話してくれる時を待つべきだろう。物事には順序がある、そんな言葉を思い出した。
…まずは、その順序を踏むための時間を奪い取るのが先だ。
そう考えて、説得を再開した。
「おめーがかけてもらった金は、後で二人で返す。それでもおめーが納得できねーんだったら、納得できるだけの額にして返そう。それでいーだろ?」
”オレが返す”と言いたかったが、責任感が強いロザリアには逆効果になりそうだったので、”二人で”にした。
結局それが決定打になってくれたようで、彼女は頷いてくれた。時間にして一時間半。長い戦いだった。
椅子に腰掛けて古い映画を見ていたマリーは、階段の軋む音を聞いた。
まだどの部屋も時間は来ていないはずだ。なにかトラブルでもあったのだろうか。
そう訝りながら、視線を移す。面倒なことにならなけりゃいいけど、と呟いた。
姿を現したのは、銀髪の少年だった。来た時とは違って、学生服を着ている。
「兄ちゃん、もう帰るのかい?」
少年は、その問いには答えず後ろを振り返り、リラックスした声で少女の名を呼んだ。再び階段の軋む音がして、やがて少年の服を身に着けた少女が姿を見せた。
少年の影に隠れて見えにくいが、少女は手を後ろにまわしてもじもじしている。男物の服が恥ずかしいのだろう。
「ちょっとコンビニに行きてーんだけどよ、なんかロザリアに着せてやれるような服ねーかな?オレの服じゃさすがにかわいそうだろ?」
二人並ぶと、初々しい高校生の恋人達のようだ。場違いな爽やかさに、マリーは思わず微笑んだ。
「悪いけど、女の子を連れ出すのはダメなんだよ。兄ちゃん一人で行ってくれないかい?」
「ちょっとだけでもダメなのかよ。すぐそこだぜ?」
「これからはうちのルールを守ってもらうってさっき言っただろ?それと兄ちゃん!あんたその格好で出入りされちゃ困るよ!」
例えスーツを着たとしても、この少年は学生以外には見えないだろうが、建前というものがある。制服はさすがにまずいのだ。
「とにかく、行くんならその子に着せた服にもう一回着替えてきなよ。兄ちゃんも恥ずかしいだろうに」
カウンターの上に置いたタバコを取るため、マリーが手を伸ばしたその時だった。
「背に腹は代えらんねーからな!」
言うや否や、少年は駆け出した。突然のことに、マリーにはなにが起きたのか理解できなかった。少女につけてやった香水の匂いが鼻を掠めた。少年に手を引かれたその少女が、泣き出しそうな顔でマリーに向かって叫んだ。
「ごめんなさい!」
その表情と言葉によって、マリーは悟った。彼らはもう戻ってこないつもりだ!
二人を追って外に出たマリーは、彼らの後姿が遠ざかっていくのを見た。少女の手に赤いものが見える。少年が持ってきた薔薇の花束の色だ。
「本当に、若いモンはしょうがないねえ」
マリーは、気を取り直すようにタバコを抜いて火を点けた。美味そうに煙を吸い込み、吐き出す。
何度かそれを繰り返した後、短くなったタバコを名残惜しそうに灰皿に押し付けて、火を消した。
「さて、と」
ゆっくりと腰を上げて、面倒そうに緊急用のブザーを鳴らして受話器をとった。
「女が逃げたよ!早く来とくれ!!」
声に緊張感を漲らせて叫んだマリーの視線は、テレビ画面に戻っていた。
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