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周りの店とよく似ているが、間違えようのないつぎはぎだらけの店。
オレにとって特別なその店に、脇目も振らず飛び込んだ。
「ロザリアをっ!ロザリアを頼むっ!」
透明の液体(多分、酒だ)が入ったグラスを片手に持ったマリーが、何事かと振り返った。
「ロザリアって…ああ、兄ちゃんかい!元気だったかい?」
のんきな挨拶に気が抜けて苦笑いで頷いたオレに、マリーは明るく続けた。
「それがね、あの子今日からまた店に出してるんだけどね、ついさっきお客さんが来ちまったんだよ。だから」
オレの目の前は真っ暗になった。例え話なんかじゃなく、本当に暗くなった(思わず目を閉じちまってたからだ)。
だが、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。
断られてたまるか。最後まで言わせねーぜ。
「そいつは、いくら出したんだ」
「まだ新人だし接客にも不慣れだろうから、今日は三十分二万で手を打っといたよ」
今日くらいまでは安めにしとこうと思ってね、とマリーは言ったが、オレは死ぬほどビックリした。
オレん時は確か二時間で三万だった。とんでもなく高くなってやがる。インフレもいいとこだ。
オレは財布から万札全部を抜いて、マリーの鼻先につきつけた。
「三十分も待ってらんねーんだ!十万ある。これでなんとかなんねーか!?」
目を丸くして、マリーはオレと金を交互に見た。
「兄ちゃん、あんたまだ高校、いや…まあとにかく若いだろ?この金どうやって作ったんだい?」
「オレん家、金持ってんだよ。まだ金はあるから次もすぐに来る。だから、頼む」
予想外の質問をされて慌てたオレは、適当にそう言った。もちろんオレんちは金持ちなんかじゃない。
オレにしては上手く取り繕えた、と思いながらマリーを見る。
だが、マリーは先ほどまでの親しげな態度を消して、鋭い視線でオレを見据えていた。
疑っていることを隠そうともせず、品定めをするように、マリーの視線はオレの全身をゆっくりと移動する。その間中、オレの心臓は飛び跳ねまくっていた。
最後に右手に下げた花束に視線を止めて、視線をオレの顔に戻した。
何か言いたげな様子で口を動かしたが、結局何も言わなかった。
そのままオレを十秒ほど見つめてから、やっとマリーは口を開いた。
「…ちょっとここで待っときな。期待するんじゃないよ」
言うや否や、マリーはオレに背を向けて階段を上がって行った。その言いつけを守るのを一分ほどでやめて、オレも二階へと上がった。
音を立てないように摺り足で歩いていると、前から中年男が廊下を軋ませながらドスドスと歩いてきた。
オレは体半分避けたが、オッサンは減速もせず勢いよく向かってくる。肩が当たった。
文句を言われるかと身構えたが、オッサンは舌打ちをしただけで再び歩き出した。
静かに喧嘩をする方法なんて知らねーから、気分はわりーけどとりあえず安心した。よし、もう一回摺り足だ。
「おいガキ!あの女は止めとけ!商売女のくせにお高くとまってやがって最低だからよ!」
いきなり後ろで大声がした。単純に声の大きさに驚いて、オレは足を止めた。
振り向くと、さっきぶつかったオッサンがオレを睨んでいた。そこで初めてオレはそれが自分に向けられていたことに気づいた。
オレが視線を合わせると、オッサンは一目散に階段を降りていった。
”あの女”がロザリアなのだとしたら、追いかけて殴ってやりたかったが、オレは音を立てて部屋へと急いだ。オッサンの声はマリーの耳にも届いたに違いない。
「入るぜ」
都合も聞かず部屋にずかずかと入りこむと、手前に呆れた顔のマリーが立っていた。
ロザリアもいた。ちゃんといた。
彼女は布団を体に巻きつけた姿で、壁を背にして座っていた。
鋭い目でオレを見たかと思うと、突然の闖入者がオレだと確認すると安心したように笑った。
ずっと見たかった笑顔に勇気づけられて、オレは言った。
「よう」
いざ目の前にすると気の利いた台詞一つ言えない自分がもどかしかった。
「若いモンはしょうがないねえ」
マリーはなぜか照れたように頭をかいて、笑った。
「この子も兄ちゃんには慣れてるみたいだし、今日だけだよ」
「サンキュー。わりーな」
「次はちゃんと、うちの店のルールに従ってもらうからね」
「ああ、今日だけってことで」
今日だけ。そう、今日だけだ。
「サービスついでに、今日は閉店まで貸切にしといてあげるから、慌てなくていいよ」
そう言うと、マリーは器用にウインクをひとつ残して部屋を出て行った。彼女のウインクは、意外にもサマになっていた。
「ゼフェル様…」
「来たぜ」
「ありがとうございます」
「礼を言われるよーなことじゃねーよ」
「でも、嬉しいですわ」
「…そっか」
オレらは、ぎこちなくポツポツと短い言葉を交した。
前に会った時、オレはロザリアを抱きしめた。ロザリアも、オレの腕ん中にいてくれてた。
でも、今はあの時の親密な空気は消えて、オレは変に緊張しちまってる。初めて会った時みてーに。
でも、初めて会った時と今のオレは違う。
あの時と違うオレ。今のオレは、ロザリアが好きだ。
改めてそう思った。
二人とも、オレがこの部屋に入ってきた時から全然動いてねーから、オレらの間にはかなりの距離がある。とにかく、彼女の近くに行きたい。
深呼吸してから、オレは笑ってみた。
ロザリアは目をぱちぱちと瞬かせた。かわいーな、と思った。
誤魔化すように咳払いをして、ロザリアの前まで歩いた。胡坐をかいて座る。
ほぼ同じ高さの目線で、ロザリアを見つめた。すると、ロザリアもオレを見つめ返してきた。すげードキドキする。
「これ、やる」
それだけ言って、オレは花束をロザリアの前に突き出した。
なるべくさりげなく見えるようにと努力したが、早く渡したくてしかたなかったオレの声は不自然に高かった。
「わたくしに…?」
「ああ、そーだ」
思った通り、ロザリアは喜んでくれた。大輪の薔薇に似た笑顔を咲かせて礼を言った。
「ありがとうございます!」
彼女のその笑顔で、オレも笑顔になった。買ってよかった、と心の底から思った。
花屋の店員に内心で感謝しているオレから、ロザリアは花束を受け取るために手を伸ばした。
彼女の体に巻きついていた布団が、落ちた。
「うわーーーー!?」
自分の耳が痛くなるくらいの大声で、オレは絶叫した。
オレの大声に驚いたロザリアは、花束を落として耳を塞いだ。
その動作で、ロザリアの大きな胸が揺れた。
彼女が身にまとっているのは、レースで飾られたスリップドレスだった。
それだけでも十分刺激的だったが、さらにその生地は透けていた。
ロザリアの乳房の先端が薄いピンク色であることがわかってしまうほど、透けていた。
「お、お、おいっ!おめー、そ、それっ!」
ロザリアを見ないように横を向いて、オレは怒鳴った。
ちゃぶ台の茶色を眺めながら、オレはなんとか落ち着こうと息を吸って吐いた。
ロザリアも、ようやく自分の姿に気づいたらしく、小さく声を上げた。
目に映る布団の端がごそごそと動いた。
「あ…もう、大丈夫ですわ」
目線を下にしながら、オレは少しずつ首の角度をロザリアの方に向けていった。
合わせられた布団の裾から、彼女のひざ小僧が覗いているのが目に入った。間抜けな声を出しそうになったが、こらえた。
反射的に顔を上げると、ロザリアは恥ずかしそうに俯いていた。
「な、なんでそんなカッコ…」
「今朝、着替えるように申し渡されたのですわ。覚悟は決めておりましたから」
静かな声でロザリアは言った。
「でも、それじゃ風邪ひくだろ」
ロザリアの声とは対照的に、オレの声は上がったり下がったりでみっともなかった。だいたい、なんだよ風邪って。バカじゃねーの。他にもっと言うことあるだろ。
自分に向けて毒づいてみたが、”言うこと”を見つけるどころか、息をするのも辛いくらいに心臓が暴れていた。頭が上手く働かない。
「空調は整えられておりますから、大丈夫ですわ」
ロザリアは、困った顔でそう言った。彼女もまた、何を言えばいいのかわからないようだった。返答に困るようなことしか言えない自分が嫌になった。
「ああ、だからか。どーりで暑いと思ったぜ」
言った途端、再び後悔した。今は真夏だ。完全にバカだ。
オレは盛大にため息を吐いた。
誰でもいい。誰か、オレが今言うべき台詞ってやつを教えてくれ。
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