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取り残されたオレ達が揃って呆然としているうちに、10分ほどが過ぎた。
「あのよ…」
とりあえず声をかけると、女はハッとしたようにオレに顔を向けた。話すことを決めていなかったオレもまた、女の顔を見つめた。
確かに、美人だ。
いや、マジですげーキレーな女だ。元々女を見慣れてねーってこともあるのかも知んねーけど、多分オレが今まで会った女の中で、一番キレーだ。
「申し訳ございませんでした…」
紅を差した唇がゆっくりと動いた。
あでやかな顔立ちの中にある瞳は、諦めの色を湛えている。
先ほどのドタバタ劇によって乱れた裾をきっちり合わせて、女は三つ指をついた。
「ロザリアと申します。よろしくお願い致します」
深々と頭を下げられて、戸惑った。
「いや、よろしくって…」
顔を上げた女は堅苦しい口調で言った。
「至らぬ点があるかと存じますが、一生懸命お相手させていただきます」
ため息と言葉を同時に吐き出して、もう一度頭を下げた。
女は少し考えるような素振りをした後、言うべき言葉を見つけ出したようで小さく頷いた。
「お客様、シャワーはあちらでございます」
手で奥の扉を示された。どうすればいいのかわからないまま、指示に従うべく立ち上がった。
「お手伝いをさせていただきましょうか?」
機械的に発せられた声を背中に受けた。激しく頭を振って急いで扉を開けた。
生温いシャワーを頭から浴びる。
「あー…どーすりゃいーんだ…」
湯が口の中に入るのも構わず、独り言を続ける。
「あんなに嫌がってんの見てんのによー…でも、金払っちまったし、覚悟決めてるみてーだったし」
ロザリアと名乗った女の華奢で綺麗な指を思い出して、身震いした。
「いくつなんだろ…」
中年女の声が蘇る。
『女にしてやっとくれ!』
「二十歳は超えてるっぽかったよな。こんな仕事が初めてなだけで、初めてなわけ、ねーよな」
だよな、と自分に言い聞かせるように呟いて、頭を洗い始めた。頭の片隅で、部屋に入ってから何分くらい経ったのだろうかと考えていることに気づいて、恥ずかしくなった。
服を着て扉を開けると、正座で待っていたらしい女は振り向いた。強張った笑みを浮かべたが、それでも優雅な身のこなしで立ち上がり、敷布団の上に座りなおした。
音を立ててはいけないような気がして、足音を立てないように彼女の元に向かった。
女の前に腰を降ろしたはいいが、どうすればいいのか全くわからない。
気を使うことには慣れていない。
徐々に苛立ち始めたオレの内心を見抜いたのか、女は前置きもなく突然帯に手をかけた。
「おい!止めろよ!」
思わず叫んで女の手を自分の手で止めた。そして、後悔した。
止めろも何も、そーいう店に来てんのに…いい子ぶってる場合じゃねーだろ。
「お客様…?わたくしではいけませんでしょうか?」
悲しそうに呟かれて、さらに自己嫌悪に陥った。
「わりー、違う。…あんたは綺麗だよ」
窺うような瞳は大きくて、胸が甘く痛んだ。なんだよこれ。
「ガキだから、緊張してるだけで…あんたのせーじゃねー」
「お優しい方ですのね。…マリーさんの言った通り、お客様のような方で良かったのかもしれません」
「マリー?」
まさか、と思って聞き返すと、先ほどお客様をご案内した女性です、と説明された。
マリーって…オイ。
ぎこちなく笑うと、ロザリアは不思議そうな顔をした。そして、思い出したように、声を上げた。
「お客様!もう一時間も経ってしまいましたわ!」
大変、と慌てた様子で言って、視線をあちらこちらに彷徨わせた挙句、困り果てたように布団の上に落とした
そして、何事かを呟いて、目を閉じたまま顔を上げた。
キスしていいってことだよな、と判断して、また頭が沸騰した。
いーのか?マジでいーのか?いや、でもその前に上手くできるわけねーって!
今日のところは止めといて、どっかで練習させてもらってから来た方がいいかもな。
いや、やっぱ先に童貞捨ててからの方が…っておかしーだろ。今日それを捨てに来たんじゃねーかよ。
「…あの?」
何もしようとしない客を訝って瞳を開いたロザリアに、笑いかけた。
「なあ、ロザリア…さん。さっきすげー嫌がってたよな?無理しなくていーんだぜ?」
「でも…お客様、お代金はお返しできないのです。ですから」
彼女が部屋に入って来た時から考えてはいたことだった。
未練がましく抱えていた欲望が邪魔をして言えなかったのだが、たった数分のやりとりで、それよりもさらに強い思いが生まれていた。
三万は痛いが、落としたとでも思って諦めちまえばいい。
嫌われるより、よっぽどマシだ。
優しい男だと思われたままでいたかった。
もう、ただの行きずりの女ではなかった。
「なあ、さっき…『家に帰して』って言ってたよな?帰れねーの?」
気になっていたことを質問すると、ロザリアの瞳が潤んだ。涙が零れ落ちそうになった。余計なことを聞いたと、オレは後悔した。
「わりー、色々事情あんだよな…」
頬に透明の筋を作りながら、安心したように笑った。
「違いますわ。あなたが優しいから、それがとても嬉しくて…」
「オレも今、嬉しいんだ。あなた、って言ってくれただろ?お客様、じゃなくてよ」
「あ…ごめんなさい!いえ、失礼致しました!」
「謝らなくていーって。嬉しいんだからよ。そーいや、言ってなかったな。名前はゼフェル。呼び捨ててくれていーからよ」
「お客様…!」
驚いて言ったロザリアに、首を振ってみせる。
「いえ、あの…ゼフェル…様。で、よろしいのでしょうか?」
「ま、いきなり呼び捨てってのは無理か。それでいーや」
「では、わたくしのことは呼び捨てにして下さいませ」
「でも、あんたが様つけて呼んで、年下のオレが呼び捨てってのもよ…」
「ゼフェル様は、おいくつですの?」
故意に目立たない場所を選んだとしか思えない場所にあった、18歳以下入店禁止、と書かれた貼り紙を思い出した。
「十九…じゃねーや。嘘つきたくねーから正直に言う。十七だ」
「わたくしも十七歳ですわ!ですから、呼び捨てて下さいな」
「じゅっ…十七!?」
ね?同い年でしょう?と笑顔を作ったロザリアは、すぐにそれを凍りつかせた。
「あ…違いますわ。十九歳…だったはずですわ。確か」
しどろもどろで言ったロザリアと目が合うと、どちらともなく笑った。
ところで、何歳だと思っていらっしゃったのかしら?と頬を膨らませた彼女は、年齢相応に愛らしかった。
小さな窓の外を見ると、遠くに赤やピンクのネオンが見えた。
卓袱台と座布団、他には布団だけしかない狭い部屋。白すぎる室内灯。
狂ったように高鳴る鼓動の音。着物姿の美しい女。落ちたかんざしと涙。
ありったけの勇気を出して、ロザリアをそっと抱き寄せた。
非日常の極みのような夜、オレは恋に落ちた。驚く暇もなかった。
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