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「オスカー、こんな時間にどちらへ?」
 見当は付いているだろうに、リュミエールが愚問を投げかけてきた。
 ――――――いや、見当がついているからこそ、か。
 オスカーは内心で呟いて、不機嫌さを取り繕うこともせずに答えた。
「女王試験が始まるとなれば、これから忙しくなるだろうと思ってな。息抜きに外へ出る」
「いい加減にしたらどうなのです?これ以上女性を傷つけるのはお止めなさい」

 眉間に僅かに皺を寄せ、吐き捨てるように言う同僚とは以前から不仲であったが、半年程前からは執務に差し障りが出るほど険悪な関係になっていた。

「何に対して怒っているのか知らないが、余計な世話を焼かないでくれるか。お前には関係ない」
 原因となった出来事について、なぜか具体的に言及しようとしないことを逆手に取って言ってやると、珍しく怒りを露にした。
「…今となっては関係を失ってしまいました。しかし、そうではない時もありました。私はもう、あなたによって傷つく人を見たくないのです」

 名前さえ出してはいないが、ロザリアのことを指しているとはっきり認識できる発言をしたリュミエールを不思議そうに眺めた後、オスカーは一人納得したように頷いた。
「今日の陛下のお話で、お前も思い出していたのか」
 返事はなかった。沈黙は肯定を表しているのだろう。
「知らなかったな。お前は蒼い瞳のお嬢ちゃんのことが好きだったのか?」
 その言葉に、リュミエールは眉を顰めた。
「なんでもそういった話に繋げようとするあなたには、嫌悪の念を禁じえません。それほど色恋沙汰をお好みなら、割り切った女性とだけお願いしたいところですね」
「無粋なことを言うなよ。女性達と関係を持つことだけに興味を持っているわけではない」
 リュミエールの表情に、苛立ちが見えた。
「それならば、なぜ女性達を使い捨てのように扱うのです。落ち着いて、一人の女性とお付き合いすればいいでしょう」
 オスカーは嘲笑した。
「ならばお前が見つけてくれないか?俺が夢中になれるほどの女性を。一生かかっても無理かもしれんがな」
 夜の中で、リュミエールの端正な顔が歪んだ。
「ジュリアス様がなぜあなたと時間を共にできるのかわかりません」
 言葉が全く通じないのに、と言い捨て、オスカーを一瞥もせず去って行く。

「しかたがないじゃないか。俺だって傷つけようと思って近づいているわけじゃないんだぜ」
 リュミエールがいなくなった後に、なぜか言い訳がましく独り言を呟いている自分がおかしく思えて、オスカーは笑った。

「ついでだから答えてやるが、ジュリアス様はそんな馬鹿げた話はされないからだろう。それに、俺から女性達に声をかけるよりも、女性達から声をかけてくる方が多いんだ。そんな彼女達を断る理由として『本当の恋がしたいから』なんて青臭い答えは、いささか弱すぎると思わないか?」

 一人芝居をそこで終え、オスカーは歩き出す。

 楽しい夜になればいいが、と考えながら。






 会員制のバーでゆっくりとグラスを傾けていた魅力的な女性の正体に気づけなかったオスカーは、それを自分らしいと思うはずだった。




 通いなれた店のドアを開けると、否応無しに視線は一点に惹き付けられた。
 裕福で洗練された者が集まるこのバーでは、美しい女性は珍しくはない。
 しかしオスカーは、その女性に存在自体で挑発されているように感じた。
 美女というのも楽ではないだろう、とオスカーは思う。
 自身が望まなくても、その美しさに意味を勝手につけられてしまうのだから。

 年齢は二十代半ばから後半くらいであろうか、高く結い上げた髪に惜しげなく散りばめられている宝石は光を放ち、長い睫に縁取られている瞳は物憂げな表情を湛えている。体のラインに沿って作らせたと思われる漆黒のロングドレスには浅くスリットが入っていて、そこから見える足は薄暗い照明の中でも艶かしくその白さを強調している。
 官能的でありながら、容易く声をかけさせない雰囲気を持つこの女性にどのように近づこうかと考えを巡らせながら、慎重に彼女の様子を窺う。

 …名のある家柄の奥方といったところか。
 それにしても、これほどの美貌を持つ女性が一人で飲んでいるというのに、男達といったらどうだろう。恐れと羨望が入り混じったような視線を投げかけるばかりだ。

 オスカーは立ち上がって男達を見回した後、彼女が座っている席へと歩いた。

「申し訳ございませんが、少々お時間をいただけませんか?」
 滑稽なほど改まった言葉遣いで話しかけたオスカーを見もせずに、女性は答える。
「どなたか存じませんけれど、わたくしの時間を奪うとおっしゃるのであれば、相応の理由があるのでしょうね」

「このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが、この先の人生におそらく二度とは現われないほど魅力的な女性だと思わせてしまうあなたには、数分だけでも私と話して私を諦めさせる責任がある、と思いますが…理由にはならないでしょうか?」
 手強そうな女性だ、と嬉しく思いながら哀れな男を演じる。

「理由にはなりませんわね。一人の時間を楽しんでいる者に対する礼儀を他の方はご存知なのに、あなただけは知らないようですわね。お引取りくださいな」

 ようやくオスカーの顔を見た女性は、目を大きく見開いて、オスカーの名を呟いた。

 既視感がオスカーを包む。
 蒼い瞳を見開いて自分の名を呼んだ少女と、目の前にいる女性が重なる。
 今朝、そして数時間前にも思い浮かべた少女が、この女性なのか?

「君は…ロザリア、か?」
 確信を持てないまま、その名を呼ぶ。

 驚愕の表情をゆるやかに消し、彼女は瞳を閉じて、開いた。
 そして、落ち着いた口調で言った。
「そうですわ。オスカー様、お久しぶりですわね」
 懐かしそうに、女性は笑った。その笑顔が作り物とは思えず、オスカーは戸惑った。

「…ああ、久しぶりだな。驚いたぜ」
「わたくしも驚きましたわ。もう二度とお会いすることはないと思っておりましたし、あれから随分時間が経っておりますから気づかなくて…失礼な態度を取ってしまって申し訳ございません」
 気にしなくていいと口にする前に、女性は笑って付け足した。
「ですけれど、オスカー様もお気づきにならなかったのですからお気になさいませんわね?」

 半年前に甘い時間を共にした女王候補だった少女と、自分よりも年上に見える美女が同一人物であると理解はしたが、実感が湧かない。
 蒼い瞳と蒼い髪、丁寧な口調は確かに同じものなのだろうが、同じものには思えない。
 返事を待つ視線に気づいて、オスカーはいくつかあるストックから適した言葉を選ぶ。
「俺が君に気づけなかった理由は、あまりにも君が美しくなっていたからだぜ?」
「無理はなさらなくて結構ですわよ。わたくしは気にしておりませんわ。それにしても、本当に全くお変わりになっていらっしゃらないのね」

 おかしそうに笑う彼女を見て、オスカーは胸に痛みを覚えた。
 きっと、彼女に気づいてあげられなかったことに対する罪悪感だろう、とオスカーは結論付けた。
 珍しいが、自分にもそのような感情があったのだろうと。
 罪悪感という言葉がしっくりこないような気もしたが、なんでも構わないのだからそれでよかった。

「君は、変わったな」
「それはそうですわ。わたくしがこちらに戻ってから八年も経っているのですもの」
 八年。下界との時の流れの違いについては当然把握していたが、それによって生じる時間差の結果を目の前に突き出されると、戸惑いばかりが先に立つ。
「不思議な気分だとしか言いようがないな。君は…いや、女性に年齢の話をするのはマナー違反だな」
「オスカー様のマナーは、わたくしにとっては逆に失礼に思えますけれど。25歳になりましたわ」
 どうでも良さそうに言ってから、ロザリアは相好を崩した。

「オスカー様。どうやらお時間がお有りのようですし、どうぞお掛け下さいませ」
「…いいのか?」
 状況を把握することに精一杯だったためか、間の抜けた返答をしてしまった自分を内心恥じているオスカーにロザリアは言った。
「ええ、初恋の方とお話をするということであれば、わたくしの時間を割く立派な理由になりますわ」
 彼女がロザリアであることを証明する言葉だが、その事実を否定してしまいそうになるのは穏やか過ぎる口調のせいだろうか。
「しかし、ここには君の知り合いが多くいるんじゃないか?およそ好意的とは言いかねる視線が先ほどから俺に浴びせられているが…」
 そう言いながらも椅子に腰掛けたオスカーを、ロザリアは楽しげに見ていた。



「もう結婚はしたのか?」
「いえ、まだですわ。そのうち機会があればそういうこともあるかも知れませんけれど…オスカー様、そんなことをお聞きになってどうなさるおつもりですの?」
 からかうように答える。
「様はつけなくていいぜ、オスカーと呼んでくれ」
 守護聖様を呼び捨てなんて、と一度は拒否されたが、重ねて頼むと意外なことにあっさりと頷いた。
「わかりましたわ、オスカー」
 様付けで呼ばれることになんとなく抵抗があったため頼んでみたのだが、間違いではなかった。彼女によく似合っている。

「八年も経っているのだから、当たり前…。確かに、そうだな」
 呟くことによって違和感を消化したオスカーは、不敵に笑った。









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