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 父親が予想した通りの日々が十七歳の彼女を待っていたが、自身が驚くほどロザリアの心は何も感じなかった。
 それを苦々しく思った瞬間のみ、彼女の心は痛んだ。

 悪意ある言葉や態度に怯むことなく堂々と振舞い、臆さず様々な集会へと顔を出す彼女を、父親は頼もしく、ある種の人間は忌々しく見ていた。
 どれほど辛辣な言葉も彼女のプライドを傷つけることができなかっただけであるのに、それらの人間は『強がっている』と言い立て、何とかロザリアの落ち込む姿を見ようと躍起になった。

 遠縁の者が主催したパーティーに招かれた際に声をかけてきた青年には、一度交際を申し込まれたことがあった。丁重に断ったのだが、当然のようにその申し込みは結婚を前提としたものであったので、ロザリアは罪悪感を持ってはいない。

「お久しぶりですね。あなたのお姿を様々な場所でお見かけいたしますが、あまり無理をなさらない方がよろしいのでは?」
 仕立てのいい洋服を身にまとい、上品な笑みを顔に貼りつけている。
 ロザリアも、にこやかに応対する。

「お久しぶりですわね。それにしてもおかしいですわね…」
「どうなさいました?」
「わたくし、最近とても体調が良いのですわ。はしたないお話になりますけれど、今朝も朝食を取りすぎてしまって使用人に呆れられてしまったほどですの」
「は、はあ…」
 戸惑いを見せる青年貴族に、ロザリアは優美な微笑を見せ、さらに言葉を重ねる。
「わたくし、体調が悪いように見えますでしょうか?」
 戸惑いは困惑に変わったらしく、青年貴族は周りをチラチラと窺い始めた。
「いや、そういうことではなく…」
「では、どういうことなのでしょうか?」
 小首を傾げて問うその姿は、愛らしい少女にしか見えない。
「ほら……。いえ、なんでもありません」
 視線を逸らした彼を真っ直ぐ見据えてロザリアは笑った。
「あら、言いたいことがお有りでしたらはっきりとおっしゃってくださればよろしいのに。ご自分のお考えがみっともないことだと自覚されているから口に出せないのですか?」
 虚を衝かれて、青年貴族は呆然とロザリアを見た。
「中途半端な羞恥心をお持ちの方は、いろいろと大変ですのね」
 反論しようと思えば十分にできるくらいの時間を待って、ロザリアは再度口を開いた。
「もうお話はお済みのようですわね。それではごきげんよう」

 後には、真っ赤になって体を震わせている青年貴族が残された。

 一部始終を見ていた人々によって、この話は上流階級に位置するほとんどの人間の耳に入った。
 いかに大貴族の令嬢とは言え、小娘に恥をかかされては面目が立たないと多くの者は恐れた。
 ロザリアにとって幸いなことに、これ以降少なくとも面と向かって彼女に敵意をぶつける者はいなくなった。




 父は、すぐに自分の庇護などは必要ないことを悟った。
 娘を一人前と認め、厳しさと愛情を持ってカタルヘナ家の跡取りに相応しい教育を施し始めた。
 『なかったこと』には決してならないが、表面上だけでも以前の生活を取り戻したことにより、ロザリア自身もまた、少なからず元の自分を取り戻しつつあった。

「カタルヘナ家をわたくしが背負っていくのですもの。情報収集や人脈作りは必要不可欠ですわ」
 そう言って生き生きと笑うロザリアは、エネルギーに満ち溢れていた。

 美貌と教養に加え、野心に振り回されないだけの自制心を持つ未だ年若い大貴族の一人娘。
 過去を別にすれば全てを手にしているように見える彼女にも、持たないものがある。
 それは、同年代の女性達がいとも容易く手にしている恋愛という名のお菓子。そして、それを欲する心。

 持たないまま、五年が過ぎた。






 女王試験に敗北した上逃げ帰ってきたという声はさすがに消え、周囲から向けられる視線も試験が行われる以前とよく似たものに戻っていた。
 同じだけの時が過ぎる頃には、昔話になるだろう。

 ロザリアが、ひいてはカタルヘナ家が完全に持ち堪えたことにより、ロザリアの身辺は騒がしくなりつつあった。
 二十二歳になったロザリアは、貴族社会では結婚適齢期をわずかに過ぎている。
 彼女を妻にと望む者は山のようにいたが、どの話にも全く興味を示さない娘に母親は尋ねた。
「どなたか想う方がいるの?」
「いいえお母様。そんな方はおりませんわ」
 薄く笑ったロザリアの瞳は五年前のあの日と同じように、何の感情も映していない。
「万一わたくしが婚姻を結ぶとすれば、それはカタルヘナにとって大きな利益を齎すお相手が現われた時ですわ」

 知らない女と話しているような気にすらさせられる瞳に気圧されそうになりながらも、威厳を保って母親は厳しい口調で言った。
「馬鹿なことを言わないで頂戴。私達はあなたに政略結婚などをさせるつもりはありませんよ」
 ロザリアは、若い娘らしく肩を竦めた。
「勘違いさせてしまいましたわね。お母様達がそのようなことをお考えになっていらっしゃらないことはわかっておりますわ」
「だったら、なぜ?」
 顔を輝かせてロザリアは言った。
「わたくしがそうしたいのですもの!もっともっとカタルヘナを大きくしたいのですわ!」
 夫が聞いたらさぞ喜ぶだろうと考えながら、母親は呆れて答える。
「カタルヘナという家名は、今でも十分大きいと思いますよ?」
「…わたくしの我が儘だと言われてしまえばそれまでですけれど、今のわたくしの生き甲斐ですのよ」
 娘の瞳は、見慣れたものに戻っている。
「だからお母様、そんなに怖いお顔をなさらないで?」
 甘えるようにロザリアは言った。


『よく帰ってきてくれたね』
 娘が戻った時に夫が口にした言葉が頭をよぎった。
 当時は驚いたが、今は自分もそう思う。


 貴族らしいものでしかなかったカタルヘナ家の家族の関係は、あの日を境に変わった。

 父親は、不器用ながらも娘に積極的に話しかけるようになり、娘もそれを喜んだ。
 当初夫婦で話し合って決めた『娘を助ける』必要はなかったが、気持ちは伝わっていたようで、その日にあった出来事を食事の際に話すことが増えた。
 災い転じて福となす、と冗談混じりに夫婦で笑うことすらある。

 気になるのは、恋愛についての話題が出た時に見せるあの瞳だけ。
 蝶よ花よと育てられた貴族の娘は、時として男性に対して嫌悪の感情を抱くことがある。
 自分にも、そういう時期があった。
 しかし、娘は違う。
 どれだけ楽観的に考えようとしても、そう思わせてくれない何かがある。
 恋愛に関して、全く興味を持ってはいないらしい娘。
 そのようなことは考えるだけ無駄だと言わんばかりの態度は、演技などではない。

 試験のために赴いた彼の地で何かが起こったことは間違いないだろうが、それに触れることができなかった。
 当時ロザリアと共に女王試験の地へ出向いた使用人に尋ねてみても、あやふやな返事が返ってくるだけだ。何も知らないのか、知っていて隠しているのかはわからないが、どちらにしても聞き出すことが不可能であることに変わりはなかった。

 想い想われる喜びを娘にも知って欲しいと願ってしまうのは、娘に取っては迷惑なだけなのかも知れない。
 恋心を置き去りにしてはいるが、それでも充実した日々を送っているように見える娘に対して、自分の願いが正しいものなのかどうかの判断をつきかねていた。

 『女の幸せは結婚』だと言うつもりはないが、ロザリアが息子であればこの願いは存在していただろうかと考えると、そうではないかもしれないとも思う。
 自分の価値観で全てを計ろうとするのは、愚かなことだ。

 ロザリアにとっての幸せを考えるのは、ロザリア自身の仕事なのだろう。
 そう自分に言い聞かせてみるが、それでも母親は考えるのをやめることができない。


「わたくし、エンディングが見たいのです」
 変わらない笑顔のままで呟いた言葉は、母親の耳には届かなかった。



 そしてまた、月日は流れる。





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「女王試験を行います」

 その言葉に、守護聖達は驚いた。

 現女王が即位してから、半年ほどしか時は経過していない。
「お言葉ですが陛下、陛下のお力は未だ十分に」
 ジュリアスの言葉を遮って、金の髪の女王はにっこりと笑った。
「間もなく女王候補達が来るから、よろしくね」
「しかし陛下…」
「大丈夫よジュリアス。私に任せておいて」
「…何か深いお考えがあってのお言葉だと思ってよろしいのですね?」

 女王と首座がおよそ終わりそうにないやり取りを続けていたが、誰も横槍を入れようとはしなかった。
 その場に居合わせている守護聖の誰もが、現女王と共に女王試験を受けていた少女の姿を脳裏に思い浮かべていたため、耳に入らなかったのだ。
 蒼い瞳を持つ少女…ロザリア・デ・カタルヘナの面影が消えるまでにかかった時間は、それぞれに違っていたが。










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