守護聖として聖地に来てすぐの頃。
僕は、初めて恋をした。
ランディの私邸でお手伝いさんをしていた彼女は僕より四つも年上だったけど、小柄で幼く見えたから話しかけやすかったし、僕と同じでお花が好きだったから、あっと言う間に仲良くなった。
もっと仲良くなりたいと思う気持ちが恋心に変わるまで、時間はあまりかからなかった。
相手になんてしてもらえるわけないって思ったけど、気持ちを抑えておくことができなくなったから、好きだって言ってしまった。
すると彼女は、少し考えてから「私も、マルセル様が好きです」って言ってくれた。
聞いた時は信じられなかったけど、彼女はとても真剣な顔をしていたから、本当にそうなんだってわかった。僕はとっても嬉しかった。
それからも僕達の関係はあまり変わらなかったけど、恋人になれたってことだけでも気持ちは全然違った。
僕は彼女が好きで、彼女も僕が好き。
初めてキスをした日の夕焼けは、見たこともないくらいに綺麗に見えた。
僕は、とても幸せだった。
日の曜日にはいつも二人で遊んだ。
一緒に球根を植えたりピクニックに行ったりして、本当に楽しかった。
日が落ちて帰らなくちゃいけない時間が来るのが寂しくて、大人になって結婚したらいつも一緒にいられるのにって思うほど大好きだった。
でも、今はそうじゃない。
ずっと一緒にいようねって言ってくれたその人は、もういない。
他に好きな人ができたって彼女は言った。
それから一週間も経たないうちに、研究院に勤めてた男の人と一緒に下界に帰ってしまった。
男の人は彼女よりも大人で、僕はそのことも悲しかった。
『あなたの力が尽きるまで、私は待てない。今ならまだ、私を知っている人達と会えるから』
いっぱい泣いた。
泣き疲れて眠ろうとしても、彼女が最後に言った言葉が頭から離れなかった。
『もともと、身分違いの恋だったの』
そんなバカな話ってない。
たとえそうだとしても、最初からわかってたことじゃない。
僕は、何に負けたのかわからなかった。
ランディが何度も訪ねて来てくれたけど、僕はしばらく会わなかった。
どうしても彼女を強く思い出してしまうし、どっちにしても誰とも会いたくなかった。
彼女のどの言葉が本当でどれが嘘なのかもわからなくて、また泣いた。
だから、君達と初めて会った時、二人にいろんな説明をするディア様の声を聞きながら僕は思った。
この人達なら、身分違いだなんて言わない。
この人達なら、ずっと一緒にいられるはずだ。
次期女王を決める大切な試験が始まるのに、そんなことを考えてる自分がちょっと怖くなったけど、それが本当の気持ちだった。
少し年上の女王候補達を、初めから恋愛対象として僕は見ていた。
アンジェリークは元気でかわいい女の子。
ロザリアは上品で綺麗な女の子。
二人ともとっても素敵で、試験が進むうちにもっともっといろんないいところが見えてきた。
育成が上手くいかなくて落ち込んでいても、いつもにこにこ笑ってみんなが良い気持ちでいられるようにって一生懸命頑張るアンジェリーク。
普通に振舞っているのに、近寄りがたいってみんなに思われてるみたいなロザリアも、なんとかみんなと馴染めるように、努力していた。
どうして誰も二人の考えてることがわからないんだろうって不思議に思ったけど、僕が最初に気づいたのは、二人に一番興味を持ってたってだけなのかも知れない。
あの日、朝早くに花壇の前で微笑んでいたロザリアは、まるでお花の女神様みたいに見えた。
声をかけられなくてもじもじしてた僕に気づいて、ロザリアはおはようございます、と言ってくれた。
僕はなんだか言葉に詰まって、ジョウロを持っていた右手を高くあげた。
『こんなにお早い時間に、お水をお遣りになるのですか?』
ロザリアに聞かれて、いつもの調子が戻ってきた。
『そうだよ。僕、たくさんのお花にお水をあげなくちゃいけないから、結構時間がかかっちゃうんだ』
だからいつも早起きなんだ、とちょっと胸を張って言った僕に、優しく笑ってくれた。
それからロザリアがもう一つジョウロを取ってくるって言ったから、まさかと思って聞いたら頷いたんだ。
『わたくしも、お手伝いさせていただきますわ』
なんだかとっても張り切っているみたいなロザリアがかわいくみえたから、僕は心臓が止まるかと思ったんだ。
多分、その時にはもうロザリアのことが好きになってたんだと思う。
思うっていうのは、その日からずっとお花の水遣りを手伝ってくれるようになったロザリアへの気持ちが一日ずつ大きくなっていったから、いつのどの気持ちが『好き』っていう気持ちなのか、よくわからなくなっちゃったから。
しばらくして、ランディがロザリアのことを気にしてるってゼフェルが教えてくれた。
ゼフェルは僕の気持ちを知らないけれど、ランディは知ってるから、僕には言えなかったんだろうなって思った。
ランディは僕に遠慮して、ロザリアのことを諦めようとしてるみたいだった。
あの人が僕から去って行ったのはランディのせいじゃないのに、ずっと気にしてくれてたことがわかった。僕はランディに申し訳なく思ったけど、それに甘えた。
この人しかいないって、思うようになってたから。
毎朝顔を合わせるだけじゃ足りなくて、日の曜日もロザリアを誘いに行った。
ロザリアが嬉しそうにしてくれることもあって、毎週のように僕たちはデートをした。
十回目のデートの時に、ロザリアはお菓子を作って持ってきてくれた。
僕は何回デートしたかって数えてたから、記念にカフェに連れて行ってあげようって思ってたんだけど、早く食べたかったから、湖の奥のお花畑に行くことにした。
ドキドキしながら丁寧にラッピングされた箱を開けると、苺をたくさん使ったパイが出てきた。
パイが好きって言ったこと覚えててくれたのって聞くと、ロザリアは恥ずかしそうに頷いた。
甘い物は大好き。甘い匂いも大好き。
甘いお菓子と甘い匂いとロザリアが大好き。
ご機嫌斜めな顔をしてる時のロザリアはちょっと怖いけど、そういう時でも美人だなって思っちゃうよ。
ロザリアとお花と美味しいパイ。
とっても素敵な一日だった。僕は何回もロザリアにお礼を言った。
ロザリアを寮まで送ってから、なんだかすぐには帰るのがもったいない気がしたから公園を散歩することにした。
夕焼けが綺麗で、立ち止まってしばらく眺めてたら、ふとあの彼女のことを思い出した。
でも、僕はもう大丈夫みたいだった。やっとさよならできたんだって思えた。
あっという間に彼女の顔は消えて、ロザリアの顔が浮かんだ。
ありがとうって、今度はお菓子のお礼じゃないつもりで言った。
アンジェリークが女王に決まった時、僕は僕の好きな人が試験に負けちゃったことが悲しかったけど、すぐに補佐官になるって言ってくれたからすごく嬉しかった。
でも、やっぱり落ち込んでるんだろうなって思ったから元気を出して欲しくてロザリアの部屋に行ったら、いつもと変わらない態度で迎えてくれたから安心した。
『落ち込んでいないと言ったら嘘になりますけれど、補佐官としての務めにも魅力を感じておりますからご心配なさらないで下さいね』
『そっか、良かった!僕、ロザリアが補佐官になってくれてとっても嬉しいよ!』
『アンジェリークにはわたくしが付いていないと心配ですし、これからも皆様と共にありたいと思っておりますから』
『ねえ、僕とも一緒にいたいと思ってくれてる?』
『ええ、もちろんですわ、マルセル様』
『僕にとってロザリアは特別な人なんだって、知ってた?』
『…存じておりましたわ。でも、わたくしにとってもマルセル様は特別な方だということはご存知でしたか?』
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