チョコレートは私に







「以前から存じ上げておりましたけれど、ルヴァ様の知識の広さには脱帽しますわ」
 …いやだわ、わたくしったら誰も聞いていないのに皮肉っぽい言い回しになってしまってるわね。
「余計なことを言いすぎですわよ、ルヴァ様」
 苛々を吐き出すように独り言を繰り返して、ため息をついた。

「ごめんなさい、ルヴァ様は何も悪くないのに。八つ当たりなんて最低」
 ため息をもう一つ吐いて、ロザリアは寮に備え付けてある小さなキッチンに向かった。





 事の発端は、二週間ほど前に開かれたお茶会だった。
 ディアが主催だということもあってか、用意された椅子は一つも余らなかった。
 テーブルに並ぶ様々なお菓子やケーキを見て、アンジェリークとマルセルは目を輝かせた。
 そこまでは、いつも通りの風景。しかし、もう一人目を輝かせた人物がいたのだ。

「あー、チョコレートですかー。あの惑星ではちょうど盛り上がっている時期なんでしょうねー」
 チョコレートをつまみながらのルヴァの独り言は、すぐ近くにいたリュミエールに届いた。
「チョコレートがどうかなさいましたか?」
 その質問が嬉しかったらしく、満面の笑みを浮かべてルヴァは説明を始めた。
「とある星の、とある地域では、二月十四日を『バレンタインデー』といって、女性から男性にチョコレートをプレゼントする習慣があるんですよー」
 マルセルの目の輝きはさらに増した。

「もちろん、誰でももらえるわけではないんですよー。夫婦や恋人などの特別な関係の場合に、という条件が付いてるんです」
「じゃあ僕はどっちにしてももらえないじゃないですかー」
 その星に住んでいるわけでもないのに、いやに真剣に嘆いている。
「いえいえ、日頃世話になっていたり、仲良くしている男性に渡す場合もあるんですよ。その場合は『義理チョコ』と言いまして、比較的安価なチョコレートを贈るのが一般的なんです」
 ジュリアスが頷いて、質問を投げかけた。
「なるほど、感謝の意を表す役割を果たす場合もあるのだな。しかし、なぜ女性からと決まっているのだ?男性にもそういった日は必要なのではないだろうか」

 再度問われた彼は、うんうんと頷いて続けた。
「三月十四日が『ホワイトデー』と名づけられていましてね、バレンタインデーにチョコレートを貰った男性がお返しにプレゼントを贈るのです。以前はマシュマロが多かったようですが、最近では多様化してきているみたいですねー」
 話を聞きながら、ロザリアは周りを見渡した。
 マルセルとジュリアスは興味深そうに聞いているが、その他の者はやはり歓迎はしていないようである。
 ルヴァには申し訳ないが、彼らの気持ちはわかる。

 ロザリア自身は彼の話を聞くために積極的に執務室のドアをノックするくらいであるから、ルヴァから新たな知識を得ることに対して異存は全くない。むしろ大歓迎だ。
 しかし、彼は話が長い。それはもう、致命的に長い。
 二人だけで話をしている時はいいのだ。
 質問する者と答える者がはっきりと分かれているからポイントを掴みやすいし、時に意見を戦わせるのも楽しい。
 だが、それが多人数になるといただけない。
 各々が興味を持つ部分も違うし、そもそもその内容に全く興味が無い者もいる。

 せっかく守護聖が全員揃っているのだから、楽しく過ごしたい。
 そう、皆様で楽しく…ここで思考はストップした。
 彼らが『みんなで楽しく過ごす』図を想像することができなかったからである。

 一口に歓迎していないとは言っても、その反応は様々だ。
 目上のルヴァに対する礼を守って、眠たげにしながらもきちんと聞こうと努力している者。
 あからさまに欠伸をする者。
 忙しくお菓子を口に運んでいる者。
 化粧直しをしている者。
 話を聞いているのか否かの判断がつかないほど無表情を通している者。

 ジュリアスは、質問を重ねた。
「しかし、それは先にチョコレートを贈ってくれた女性にのみ、ということなのだろう?どうも納得行かぬな」
「実はですねー、ジュリアス。バレンタインデーにはもう一つ、大きな意味があるのですよ」
「まだ他にあるのか」
「意中の男性にチョコレートを渡す、つまり女性が男性に愛を告白するのを手伝う日でもあるんです。最後になってしまいましたが、現在はこれがメインになっているようですよー」

 何人かが表情を変えた。
 俄然興味を持ったらしいオスカーはしたり顔で嘯く。
「女性から告白するのはやはり勇気が必要だろうからな、素晴らしい習慣だと俺は思うぜ」
 身を乗り出したのはアンジェリーク。
「なんだかとっても素敵ですね!」
 オリヴィエも頷く。
「楽しそうだよねー!ワタシが女の子だったら、そういうイベントには絶対参加しちゃうね」

 そうですよね!とオリヴィエに同意したアンジェリークは思いついたように宣言した。
「私、二月十四日に皆様にチョコレートをプレゼントしちゃいます!せっかく女の子なんですしね!」
 そして、小さな声で付け足した。
「…好きな人にプレゼントできる機会なんて、そうないですし」
 あら聞き捨てならないね、とオリヴィエがすかさず突っ込む。
「アンジェリークー?アンタ好きな人でもいるわけー?ネェ、誰なんだい?ワタシにだけこっそり教えてくれない?」
「ち、違いますよー!ほらルヴァ様もおっしゃってたじゃないですか、お世話になっている人にもあげるって。皆様にお世話になってますから皆様に!」
 必死で言い募る彼女の顔には、『これは言い訳です』と大きく書かれていた。

「ね、ねえ。ロザリアも一緒にバレンタインデーにプレゼントしない?」
 ニヤニヤと笑うオリヴィエから逃れるように、声をかけてきた。
 恋心を告白する、という言葉に心惹かれるものはあった。
 普段は喧嘩ばかりしている彼に、素直に好きだと伝えたかった。

 わたくしが好きだと言ったら、彼はどんな反応をするかしら。
 喜ぶかしら?それとも、嫌われてしまうかしら?がっかりされてしまったらわたくし立ち直れませんわ。
 最近では、ベッドに入ると想いを告げて上手く行った時のことを想像する癖がついてしまっている。
『オレもおめーのこと好きだから…すっげー嬉しい』
 そう言ってにっこり笑うあの人の顔を思い浮かべてから、自分で作った台詞を言わせていることに嫌気がさすのも毎夜恒例。

 勇気がなくてそれができないロザリアだったから、何かに背中を押してもらいたかった。
 これはチャンスかもしれないと考えた瞬間に、耳に入ってきたのはその彼の声。
「なんだよそれ。バッカバカしー」
 ゼフェルが呆れた口調で言い放った。
 ロザリアの心中など知る由もないゼフェルは、ロザリアに顔を向けた。
「なあ、おめーもそう思うよな?」

 …バカバカしい、ですのね。
 わたくしの気持ちなんて、バカバカしいだけなんですのね。

 自分に向けての言葉ではないことは理解できるが、その言葉の持つ力が強すぎてショックが消えない。

 『バカバカしい』なんて…ひどいですわ。

「おい、どーしたロザリア…」
「いえ、ゼフェル様のおっしゃる通りですわ。わたくしもそう思いましてよ。バカバカしい、ですわ!」
 自棄になって大声で言ったロザリアに、全員が驚いて注目した。
 冷たい空気が場を支配して、ロザリアは青くなった。

 ああ、せっかく皆様で楽しそうにされていたのに、わたくしが盛り下げてしまうなんて…。
 興を削がれた顔つきの面々に今すぐ言い訳をしたいが、無論不可能だ。
 …本当のことなんて言えるわけないじゃない…。

 ゼフェルだけが何も気づかず、嬉しそうに言った。
「おっ!やっぱおめーもそーか!気が合うよな!」
「…そうですわね」
 力なく答えると、つられたのかゼフェルの声もやや小さくなった。
「おめーのそーいうとこ、結構気に入ってんだよな」

 …わたくしは、ゼフェル様のそういうところが、嫌いですわ。





 重い気分のままチョコレートをいくつも作るのは空しくて、途中で止めてしまった。
 テーブルの上には、小さな包みが一つ。
「明日が終わったら、わたくしが食べることにしましょう」


 バレンタインデーなんて、早く過ぎてしまえばいい。








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