羽をもがれた蝶は、必死で作り上げたはいいが完全な失敗作だと忌々しく思っていた巣に、自ら飛び込んできた。

 足音は聞こえなかった。
 急に手を取られ、驚いて振り返ると、顔面蒼白のロザリアが立っていた。
「ゼフェル…わたくし」

”失恋してしまったみたいですわ”

 おめーの絶望は、オレにとっての希望。
 福音が、鳴る。





裏側に在るもの 後編




 聖殿と公園を繋ぐ道はそれなりに人通りが多い。尋常ならざる様子の補佐官が、守護聖の手を取っている姿は目立つ。現に何人かが立ち止まってこちらを注目している。
 とにかく移動だ。
「オレの執務室に行くぞ」
 そう声をかけるとロザリアは手を離したが、その手を捕まえて握り締めた。
 何も言わさず、そのまままっすぐに聖殿へ向かう。
 普段よりもゆっくりめな彼女の歩調に合わせて歩いた。


「さきほどはごめんなさいね。取り乱してしまって」
 落ち着きを取り戻したのか、ロザリアはハキハキとした口調で謝った。
「…茶でも飲むか?」
「気を使わないで。…なんて言ったって、使いますわよね…」
「おめーら、上手く行ってたんじゃなかったのかよ」
 嫌ってほど、オレはそれを聞かされてたじゃねーか。
「…わたくしは上手く行っていると思っていたのだけれど、そうではなかったようね」
「オレは回りくどい言い方は好きじゃねー」
「わたくしだって好きではありませんわよ。でもしかたがないでしょう?わたくしには何もわからないのですもの!突然呼び出されて、突然言われたのよ」
 唇を噛み締めて、悔しげに吐きすてた。
「わたくしといると疲れるんですって。いつも演技をしていたんですって」

 一度大声を出すと止まらなくなったらしく、捲くし立てる。
「『本当の僕は、俗っぽくて矮小で、完璧な君とは釣り合わない男なんだ』ですって!本当の僕ってなによ。わたくしだって完璧じゃないわよ。ねえ、誰だって好きな人には良い所を見せようと見栄を張ってしまうものじゃないの?それが当たり前でしょう?そんなこと理由になる?なりませんわよ!最後にはわたくしがゼフェルのことを楽しそうに話すのも辛かったなんて言い出したの。今さらですわよ」

 そこまで言って、ため息をついた。

「…でも、わたくしも何も言えませんでしたの」
「肝っ玉の小せー奴だったんだな。そいつ」
 呆れたように言ってやった。実際呆れていた。それに、喉から手が出るほど求めている地位に居座っていたくせに、ロザリアを傷つけたことに怒りを感じてもいた。
 しかし、その男の気持ちもわからないでもない。
 女王補佐官であるというだけで、尊敬と畏怖の念を持たれる上、ロザリアは美しい女だ。大貴族出身ということも有り、ダメ押しのように品が良い。そんな女が”良い所を見せよう”と見栄を張ったらどうなる?それこそ男の言った通り、完璧な女に見えてしまうだろう。

 高嶺の花を手に入れて浮かれた後、空恐ろしくなった、ってとこか。

 そして、ロザリアの話からもう一つわかったことがある。
 まだこいつらは完全に別れたわけじゃねー。いや、今は別れたように見える。でも、こいつはもちろん、振ったはずのその男も未練たらたらだ。そーでなきゃ、嫉妬してたみてーなこといちいち言わねーはずだからな。

「ま、アレだ。そいつの言った通り、おめーはそいつなんかが手に負える女じゃなかったってこった。もともと合ってなかったんだよ」
 机の上に腰掛けて足を組むと、ロザリアは咎めるような目をした。
「机の上に座るのはよろしくなくてよ。それに、ゼフェルまでそんなこと言うなんて…」
 悲しそうに顔を歪ませるロザリアに、無言で手招きをする。
「なんですの?」
 怪訝な表情で近づいてきたロザリアの手を引っ張って、近寄せた。
「こんな時まで行儀がどーこー言うなって。おめーも横座れ」
「どうしてわたくしがそんなはしたない真似を!」
「いーから。慰めてやっから、よ」
 逡巡するロザリアを、何も言わずに見つめる。
「ありがとう、ゼフェル」
 ロザリアは、素直にオレの横に座った。

 オレは、ロザリアの友人であることに初めて感謝した。
 心を許してくれてるからこそ、警戒もせずに言うことを聞いてくれる。
 特別な出来事があった時、真っ先に報告してくれる。
 そう、リアルタイムで、正確に、彼女に起こった出来事を知ることができる。
 こっからが勝負だ。

「なあ、ロザリア。おめー悲しいんだろ?」
「当然でしょう。悲しくて涙が出そうですわよ」
「じゃあ泣けばいーじゃねーか」
「……いやですわ」
 横を向くと、ロザリアは瞬きを繰り返していた。
 長い睫毛はせわしなく上下し、眉は震えている。
「無理すんなって。今はオレとおめーしかいねーんだからよ」
「いやだと言っているでしょう」
 繰り返し拒否する声も震えている。

 胸がチクチクし始めた。
 まだ大丈夫だ、そいつはおめーのこと好きなまんまだと思うぜ。
 早けりゃ今日の夜にでも、きっと謝りに来るだろーよ。だから大丈夫だ。
 そう言ってやりたくなる。辛そうなロザリアを目の当たりにしてしまうと、やっぱり笑顔でいて欲しいと思ってしまう。それが他の男のための笑顔であっても。
 手に入らないのであれば、傷つけたいと思っていたはずなのに。

「なんでいやなんだよ」
 詰問調にならないようにと気をつけながら、ゆっくりと聞いた。
「わたくし、そんな弱みは見せられませんわ。たとえ相手があなただとしても。プライドが許しません」
「オレは、おめーが好きだ」
 子どもをあやすように、ロザリアの頭を撫でながら言った。
「……え?」
 驚いてこちらを向いたロザリアと視線が合った。
「譲らない強情さも、そのプライドの高さも、敬遠されがちな性格だって好きだ。オレにしか見せない子どもっぽさも好きだ。今んとこ嫌いなのは、おめーがオレを好きじゃねーってことだけだ」
 ロザリアとの距離を詰める。
「だから、泣けよ」
「…いろいろとわからないことがあるけれど、万が一ゼフェルがわたくしのことを好きだとして」
「万が一もなにも本人がそー言ってんだ」
 申し訳なさそうに、ロザリアは続けた。
「そ、そうですわね。ええと、それでですわね…その、好きだからと言って、それでなぜわたくしが泣かなくてはならないのかしら?」
「おめーそんなこともわかんねーのかよ」
「…わかりませんわよ!」
「だからよ、すげー弱みだと思わねーか?友達としか思われてねー女に惚れてるだなんてバラしてんだぜ?ここでおめーに思いっきり鼻で笑われでもしたら、オレの精神は完全崩壊だ。泣き顔見せるより、リスクあるだろ?」
 目を白黒させている隙に、オレはロザリアを抱きしめた。
「ついでに、好きなヤツができたってのも嘘だ。嘘吐いてたのはおめーに嫉妬してもらおーとしたからだ。どーだ、オレは二つも弱みを見せちまったぜ?」
「わかったか」と耳元で囁くと、ぎゅっと身体を堅くさせたあと、力を抜いた。
 安心したようにオレの胸に頭を預けて、じっとしている。
 しばらくして、喉を詰まらせたような声を漏らした。
 ロザリアは泣きながら、何度もオレに礼を言った。

 肩の震えが収まったのを確認して、オレは屋敷に連絡を入れた。
 超特急で持って来させたのは、二人分の夕飯。

「腹減っただろ?」
 首を振ったロザリアに、言い聞かせる。
「おめー昼飯も食ってねーんじゃねーの?食わねーと倒れちまうぜ。そんで食ったら空の散歩だ。エアバイクに乗せてやっから。今のおめー、なんかあったのバレバレだぜ。そんなとこ他の奴に見せたくねーだろ?」
「エアバイク?」
「夜風は気持ちいいぜ。月だって綺麗に出てるだろーし、気分転換には持って来いだ」
「…悪くありませんわね」
 笑顔。
 
 見やがれ。オレだってロザリアを笑わせることができるんだぜ。今頃悩んでるに違いねーバカ男。おめーが泣いとけ。

「そうだ!明日よ、仕事終わったらオレが作った花火見せてやるよ。改心の出来なんだぜ」
「花火!…素敵ですわ。でも、今日ではいけませんの?」
「ああ、もうちょっとだけ手ェ加えてーんだ。だから明日」
「ふふ、とても楽しみですわ。明日が来るのが待ち遠しいくらい」
 本当はもう完成してるけど、な。

 ロザリアの予定、しばらくはオレとの約束で埋めさせてもらうぜ。やり直したい、だなんて言葉、こいつには聞かせねーからな。ざまあみろ。
「ゼフェルがこんなに優しかったこと、わたくし知りませんでしたわ」
 オレが好きだって言ったことも、こうやって誘いまくってんのも、多分どっかでオレが気ィ使ってるからだって思ってんだろーな。
「うっせーな、オレはもともと優しーんだよ」
 言いながら、黙れ、というようにロザリアの唇に指で触れた。
 ロザリアの顔が赤くなる。
「オレ以上におめーのこと知ってるヤツはいねーし、知った上で好きでいてやれるのも多分オレくれーだ。だから、好きでいていーだろ?」
 あいつのためじゃなくて、オレのために赤くなる。


 この指が唇に変わる時、オレは元に戻る。
 ドロドロしたモンを抱えていやなことばっか考えてた時のことを、一時の気の迷いだったって切り捨ててやることができる。なんであんな気味わりーこと考えてたんだって、自分でも不思議に思うようになる日が来る。そうなってみせる。

 ロザリアは、恥ずかしそうに目を伏せたまま、机の上から降りた。
「とにかく、手を洗ってきますわね」
 ドアへ向かって歩いて行く。
「しばらくは”友達”でいてやっけど、覚悟しとけよ」
 彼女に聞こえないように小さく呟いて、背伸びをしながら笑った。
 
 









end







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