12



 オスカーはゆっくり近づくと、腕を広げてロザリアを包み込んだ。
 できる限り優しく抱きしめる。

 だが、腕の中の大切なものは微笑んではくれないのだろう。
 …ほら、今だって、体を強張らせているじゃないか。
 俺がこんなに想いを込めているのに、彼女は怖がっている。
 なぜだ?なぜよりによって彼女が俺から離れていこうとするんだ?
 どうしてそれが他の女じゃないんだ?

 俺に別れを告げた女は何人もいた。
  しかし、それを遙かに凌駕する数の女は、俺を愛し続けてくれたじゃないか。
 確率で考えてもおかしいだろう。

『お前はまだわかっていない』
 そう言ったのは、カティス…だったか?

 情熱をなくしてしまった恋人に縋っても意味などない。
 追われれば追われるだけ、嫌悪感が増すだけだ。それを誰より知っているのは俺…俺のはずだった。
 引き際くらいはわきまえている。
 たくさんの愛すべき女性達が、俺にそれを教えてくれたからな。
『彼女に見る目がなかったってだけだ』
 恋人に振られて落ち込んでいた屋敷の使用人に、俺はそう言った。
 だから俺は言う。
「君は男を見る目がないな。ロザリア」
「…ごめんなさい」
 君に言ったんじゃない。俺のために言っただけなのだから。
 
 それでも、本当は他の言葉が欲しかった。
 今は謝罪の言葉しかくれないとわかっていても、何か違う言葉が欲しかった。

「俺は今日、やけ酒ってやつを飲むことになるだろうな。本当に…罪なレディになった」
 ごめんなさい、と繰り返す。
「謝らないでくれ」
 ごめんなさいと聞くたび、打ちのめされる。
 だから、言わないでくれ。
 
 顔を上げた彼女の瞳には、涙があった。
 濡れた青い瞳を見た途端、愛おしさが溢れ出した。
 最初は唇と唇をただ合わせるだけの優しいキスを。
 すぐにロザリアの唇をこじ開け、口腔を激しく舐る。
 勢いよく顔を背けて、なぜ?とロザリアは唇を動かした。

「君を離したくない」
 自分をもう偽れない。だが、本心を口にするってことがこんなに辛いだなんて。
「…でもわたくしは決めたのです」
 至極もっともな意見だが、それでは終われない。
 ああカティス、お前の言った通りだ。俺はわかっていなかったみたいだな。

 俺の手練手管は完璧だ。恋愛を語らせると、右に出る奴はいないはずだ。
 そう、俺は数え切れないほどの女と、数え切れないほどの経験をしてきた。
 だがそれは、ある種の恋愛に限って、ということだったらしい。
 俺は、俺自身が強く想いを捧げる恋は知らなかった。
 女性に好意を持っても、いつだって自分の想いをコントロールしてきた。
 そんな恋しか知らなかった俺は、それが恋愛の全てだと思っていた。
 だから…俺はいつだって自信があった。
 恋愛で傷つくことなどない、と不遜にも考えていることができたんだ。

 どちらが幸せだったんだろう。

 傷付かない恋しか知らない俺と、今まで知らなかった想いを知って、深く傷付いている俺と。

「俺はどうしたらいいんだ?」
 ロザリアは、返事をくれない。
「俺を馬鹿だと思うか?」
「…いいえ」
 俺は救いようのない馬鹿で、別れを受け入れるしかない。
 誰でもそう思うだろう。俺だって、そう思う。
 だが、この感情をどうしていいのかわからない。

 壁際まで追いつめて、瞳を覗き込む。
 ロザリアは、何かを言いかけて口を噤んだ。
 腕に痛みが走った。きっと、彼女の綺麗な爪のせいだろう。

「もう、遅いのか?」
 自分自身にではなく、彼女に向けて問いかける。
 返事は、もちろんない。
「ロザリア」
 目を逸らされる。
「俺は…君を奪えば良かったのか!?」
 運命の女性になるはずだったんだ。
 後悔など、縁のないものだと思っていた。しかし、今はそればかりが胸に渦巻く。
「答えてくれ!ロザリア!」
 ドレスに手をかけると、我に返ったようにロザリアは大声を張り上げた。
 恐怖と悲しみに彩られた声。それは悲鳴だった。

 オスカーは彼女を束縛していた手を離した。ロザリアは彼の体から離れた。
「…君は違ったんだな」
 何も言わずに部屋を飛び出したロザリアを止めることもできず、オスカーは立ちつくした。










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