この想いに、誰か名前をつけてくれないか?
 ”尊敬”でも、”友情”でも、”愛情”でも構わない。





名前





 聖地に召された当時の俺は、まだ子どもと呼ばれる年齢だった。
 守護聖に就任するのだと、頭でだけは理解していたが、自覚などといった立派なものは持ち合わせていなかった。
 予め指示されていた扉を開くと、人の気配があった。
 御伽話の中に紛れ込んだような不思議な気分と、緊張と、誇らしさと、僅かばかりの不安を持って、俺はその人物と向き合った。

 光の守護聖だと挨拶をしたその人の整いすぎた顔立ちに、まず驚いた。
 豪奢な金髪と深みのある青い瞳は、見ようによっては滑稽にも思える古代人の着るような衣装と調和しており、この上なく高貴な雰囲気が俺の背筋を正させた。
 そして、なによりその身から放たれる神聖ななにか…おそらくサクリアだったのだろう。とにかく、それによって俺の気分はひどく高揚した。

 神々しいと思った。
 この方は、まるで神そのもののようだ、と。
 

 振り返ってみると、ガキらしい安直な発想だと思うが、それが正直なところだ。
 憧憬は敬愛へと形を変えて、俺の胸にしっかりと息づいている。
 だが、いつの頃からか、それだけではなくなった。


 現女王はジュリアス様を慕っておられた。
 まだ候補であった頃の話だが。
 その頃の陛下は、彼の方よりもやや淡い色合いの金の髪を揺らして元気良く飛び回る、とても愛らしい少女だった。
 砂糖菓子のような微笑みを惜しげなく振りまく彼女に好意を寄せている者は多く、俺自身も彼女が好きだった。
 それは恋愛感情ではなかったが、嫌味の無い優しさと、真っ直ぐな心根を持つ彼女との会話は楽しいものであったから、好んで彼女に話しかけていた。

 だからこそ、俺は恐れた。
 ジュリアス様が、彼女の思いを受け入れてしまうのではないかと。
 そして、その不安を生んだ俺自身の想いを恐れた。

 眠りに就いても短時間で目が覚める日々が続いた。
 嫌な夢らしきものを見ていた覚えはあるのだが、具体的な内容は目覚めると同時に思い出せなくなった。
 胡乱な記憶の中で唯一覚えているものは、やはりジュリアス様の夢だった。
 占い師に見立てを頼むまでもない、筋書きも何もない、簡単な夢。

 二人でチェスを楽しんでいると、突然ジュリアス様が立ち上がられる。
『どうされたのですか?』
 得体の知れぬ胸騒ぎを隠して、何気なさを装いながら俺は質問する。
『いつまでもこうしているわけにもいかぬからな』
 そう言って破顔し、心持ち嬉しそうな顔で部屋を出ていかれる。
 俺は、ジュリアス様が二度とお戻りにならないことを知っている。
 しかし、それでもチェスの駒を動かさないように気をつけながら、律儀に待ち続ける。


 年端も行かない子どもが、友人に対して持つような独占欲なのだろうか、とも考えた。不本意ではあったが、その考えは全ての疑問を解決してくれた。
 幼稚な自分自身に呆れると同時に安堵したが、すぐにその仮説は覆された。
 
 ジュリアス様は、彼女の愛を拒絶された。
 失意の中で、彼女は女王になった。
 それを知った時、俺の目から涙が流れた。
 こみ上げる涙の正体を掴みかねてうろたえたが、もう一人の俺らしき男の声がおせっかいにも教えてくれた。

 受け入れてもらえなかった彼女に、自分を重ねて見ているのだと。
 だから悲しいのだ、と。

 そして、俺はまたわからなくなった。
 ジュリアス様を性の対象として見てはいなかった。
 俺の身体が女性専用であることは疑いない。
 …交わりたいと思ったことなど、ただの一度もない。
 万一そのような機会があったとしても、俺のその器官は機能を果たすことなく項垂れたままだろう。



 広い草原に出たところで、どちらともなく馬を止めた。
「どうだ、少し休憩にしないか?」
「ええ、そうしましょう」
 馬から降りて、木陰に入った。

 空を見上げて眩しそうに目を細めるジュリアス様は、普段よりも伸び伸びとされているように見える。

「気持ちの良い天気ですね」
 俺の言葉に、満足気に頷かれる。
「そうだな。宇宙の移動の後、天候は全く崩れていない。陛下のお力の恩恵を日々受けているのだと思うと、改めて身が引き締まる思いだ」

 ジュリアス様は、あの方を尊敬し、愛しておいでなのだろう。…一臣下として。

「どうしたのだ?」
「…いえ、なんでもありません」
 陛下も、この方を一臣下と思えるようになっていらっしゃればいいのだが。
 俺などの心配を必要とされるような女性ではないか。

 うっすらと汗をかいておられるのに気づいて、タオルをお渡しする。
「すまない」
 屈託のない笑顔。
 これ以上のものを求めるつもりはないが、俺だけに向けていてほしいとも思う。

 辻褄が合わない。
 俺が同性愛者であるなら、より多くのものを手にしたいと欲するだろう。
 しかし、そうではないのだとしたら、今も胸を苛んでいるこの切実な思いを抱えることもないはずだ。
 どちらでもいい、はっきりしてくれ。

「オスカー?」
 思考が破られる。
「気が乗らないなら、戻っても構わないが」
 突き放すような口調だが、気遣って下さっているのがよくわかる。

「…自分でもわからないのです」
 要領を得ない俺の返答。
「なにがわからないのだ?悩みがあるなら、話を聞くが」
「わからないから、わかりたいのです」
「そのような言い方だと、私にもわからぬ。お前の話には主語がないではないか」
 まるで熱病を患っているように、朦朧とする頭。
「私は、ジュリアス様を尊敬しております」

 風に吹かれて、金の髪が散る。
 木漏れ日がそれを輝かせ、俺は思わず手に取った。
 少し驚かれたが、変わらず視線を俺の上に止められている。
 
「それだけであれば、良かったのですが」
 言っては、行ってはいけない。
「…他になにかあるのか」
「はい。しかしその感情の名が判明いたしません。恋愛感情に極めて近いように感じておりますが…」
 職務上の報告をするような口調をそこで止めて、息を吐いた。
「…いえ、憚りながら申し上げます。同性でありながら、私はあなたに恋をしているのだと、思います」
 

 声になりそこねた音を漏らし、見てとれるほどはっきりと驚愕の表情を浮かべられたジュリアス様を、居た堪れない思いで俺は見た。
 だが、それでも俺から視線を外されなかったことに、深く感謝した。

 
 








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