11
家に戻ったオレを待っていたのは、怒り狂った母親だった。
理由も聞かずに頭から怒鳴りつけられて、これがオレじゃなくてもっと繊細なヤツだったら逆に非行に走るんじゃねーか、と思った。まあ、理由を聞かれる方が都合ワリーんだけど。
父親にも当然叱られたが、母親に散々言われたことを知っているようで、適当に切り上げてくれた。
バイト先には電話を入れて、事情を話して謝った。監督は休みだと言われたので、約束を破ってしまったことを詫びておいてほしいと頼んだ。親には何も思わなかったのに、電話を切った後申し訳ない気分になった。
久しぶりに行った学校は、相変わらず騒々しかった。
クラスメイトは休んだ理由を聞きたがってうるさかったし、教師には厭味を言われた。
思わず苦笑いしちまったくらいに何も変わってなくて、オレは退屈な日常に帰ってきたことを実感した。
あの後、ジュリアスとルヴァは、舌先と実力を使って、いとも簡単に追っ手を追い返した。オレがビビッてた追っ手達は、完全に迫力負けしていた。
おそらく、幾ばくかの金があの店に入るのだろう。口止め料も含めたそれは、オレには想像もつかないような額になるに違いない。
騒動が済んで、ルヴァに聞かれるまま住所を言った。ロザリアとジュリアスがまた押し問答を始めて、その隙にオレはそっと帰った。オレを呼び止めようとするロザリアの声が聞こえたが、振り返らなかった。
オレが休んでる間に席替えがあったらしく、オレの席は教卓の真ん前だった。席替えの日に休んだやつはたいがいこーなるから文句は言えねー。言えねーんだけど、やっぱり不便は不便だ。
朗々と古文を読み上げる教師を前にスマホをいじるわけにもいかず、オレはひじをついてぼんやりと考えた。
ロザリアと出会ってからの一連の出来事は、映画…というより、良く出来たゲームみたいに思える。
ジャンルは、恋愛+アクション、ってとこか?
刺激的で、やたらとリアルで、実際に触れることもできて、でも別世界の出来事だ。
極上の仮想現実をあれだけ堪能したんだと思えば、かけた金も惜しくない。
そこまで考えて、オレは頭を振った。
そんなわけないだろ。いくら別世界みたいに遠くても、現実だったんだ。
確かにロザリアはいたんだ。今だって、ちゃんとどっかにいるんだ。
…ただ、オレの手が届かないところにいるってだけだ。
「いないも同然じゃねーか」
知らず知らずに出た自分の言葉に、オレの胸は痛んだ。
土曜日が来た。オレは昼に起きてから、しばらくベッドの上でぼんやりしていた。ぼんやりしてばかりで嫌になるが、何をする気にもなれない。気晴らしをしようにも金がない。
金がなくなった原因に思いを馳せて、またオレの胸はギシギシと音を立てた。
本当にどうしようもねー、とオレは呟いた。何度思い出せば、この記憶は色褪せてくれるのだろう。
いい思い出になんてできそうになかった。ロザリアが幸せならそれでいい、なんて思えなかった。会いに行きたかった。でも、それもできなかった。
こんな思いをするのなら、出会わなければ良かったとも思う。望みのない片思いなんて、甘くもなんともない。ただ苦しいだけだ。
一階から物音が聞こえて、オレは体を起こした。どうやら来客らしい。母親の茶飲み友達が来たのだろう、と判断してオレはまた寝転んだ。
もやもやした気分を抱えて何度も寝返りをうっていると、母親が部屋に入ってきた。
「ノックくれーしてくれよ」
顔だけ母親に向けてそう言うと、真顔でタオルケットを剥ぎ取られた。
「美少女が来たわ」
「は?」
「ものすごい美少女が来たわ…」
母親は興奮気味に、オレの肩を掴んで揺さぶった。
「すっごい綺麗な子なのよ。しかもなんか上品なのよ!あんた何!?っていうかあれ何!?もしかして彼女!?えー、それはない!ないない!…ないわよね?」
「あー!なんなんだよ!わかるように言えよ!」
怒鳴ると、母親は真顔を崩して、大笑いした。
「アーハッハッハッ!そうよね、やっぱり彼女なわけないわよねー。こんな子にあんな彼女ができるわけないわ。違うのよ、あんたを訪ねて女の子が来てるの。それがすっごい綺麗な子でね、なんと自分のこと”わたくし”って言うのよー!クラスメイト?ロザリアさんだって」
最後まで聞かずに、オレは階段を駆け下りた。
オレの両親は、結婚と同時に新築の二階建てを購入した。つまりオレの家は築二十年近い。平凡な3LDKで、一階にリビングと和室が一部屋、二階に洋室が二部屋ある(オレに兄弟がいたらオレの部屋はなかっただろう。その点に関してはラッキーだ)。
どの部屋も所狭しと物が置かれていて、ごちゃごちゃしているが、リビングは特にひどい。
母親手製のフラワーアレンジメントとかいう花や、釣りが趣味の父親の魚拓が飾られている。テレビの上には木彫りの熊だ。今時こんなん置いてる家って他にあんのか?少なくともオレは自分の家以外で見かけたことがない。
生活感が溢れすぎているリビングのソファに、ロザリアは座っていた。薄手のワンピースを身につけたロザリアは、髪を綺麗に巻いていて、どこからどう見ても”お嬢様”だった。
慌てすぎて転びそうになりながら登場したオレに驚いて、ロザリアは跳ねるように立ち上がった。
「ゼフェル様!どうなさったのですか!?」
「ど、どーしたもこーしたも」
夢でも見ているような気分だった。もう二度と会えないと思っていたのに、こんなにすぐに会えるなんて信じられなかった。
「突然お邪魔して申し訳ございません。ですが、兄が明日にでもこちらへお礼に伺うと言っていたでしょう?その前にお会いしたくて」
照れたようにはにかみながらそう言われたが、オレは混乱したままだ。
「なあ、なんで来たんだ…?」
ロザリアは、納得したように頷いた。
「兄よりも先に、お会いしたかったからですわ」
少し大きめの声で、同じ内容を繰り返す。さっきは声が届かなかったのだろうと勘違いしたらしい。
「そうじゃなくて…ロザリアとまた会えるなんて思ってなかったからよ」
「え?」
「もう二度と会えないって思ってたから、オレ…」
言葉に詰まったオレを見て、ロザリアは不思議そうに首を傾げた。
「どうしてですの?」
「え!?どーしてって言われても…おめー、カタルヘナのお嬢さんなんだろ?」
「ええ、そうですわ。それがなにか?」
話が全く噛みあわない。
「なあ、ロザリア。オレとこれからもつきあうつもりなのか?」
そう言うと、ロザリアは顔を真っ赤にした。
「ゼ、ゼフェル様…!わたくし、もちろんお受けいたしますけれど、交際のお申し込みにしては軽すぎますわ!…それも、こんなに唐突にだなんて」
ロザリアは、恥ずかしそうに俯いたが、オレは唖然とした。
ただ単にこれからもオレと関わっていくつもりなのかどうかを聞いただけだったのに、”付き合い”の意味を取り違えられたようだ。しかも、受けられてしまった。考えた結果、オレは訂正しないことにした。この幸運を逃してたまるか。
「…いや、その…照れちまって…。そうだ、ジュリアスってヤツは?婚約者じゃなかったのか?」
「婚約は解消いたしましたわ。ジュリアス様を説得するのは大変でしたけれど」
「なんで…」
思わず言うと、ロザリアは怒ったように言った。
「互いに違う方が好きなのですもの。婚約している方が不自然ですわ」
「でもよ、ジュリアスのことが好きだったんじゃねーのか?」
「わたくし、これまで恋を知りませんでしたから、ジュリアス様と婚約しても問題はないと思っていただけなのですわ。ジュリアス様もわたくしと同じお気持ちだと思っておりましたの」
わかるようなわからないような感じだ。とりあえずもう一度聞いてみた。
「好きじゃなかったのか?」
「ルヴァお兄様を好きなように、ジュリアス様も好きでしたわ。ジュリアス様がディアお姉様をお好きだと知った時は、悲しくありませんでしたもの。それよりも怒りが先に立ちましたわ。恋する女性がいるのにわたくしと婚約しているのは、間違っておりますでしょう?」
やっぱりよくわからなかったが、とりあえずジュリアスのことは好きって感じじゃなかったみたいだ、と納得することにした。オレはそのまま勢いに乗って言った。
「おめーが好きだ。オレとつきあってくれ」
緊張する間もなく、ロザリアは即答してくれた。
「先ほども申し上げましたけれど、喜んでお受けしますわ。わたくし、とても嬉しいですわ」
オレは、ロザリアを抱きしめた。キスのひとつくらいはしたかったが、家だから止めておいた。
…その選択は正しかった。
突然、階段の上から拍手が降ってきたのだ。見ると、母親が満面の笑みを浮かべながら拍手をしていた。
「よくわからないけど、おめでとう!ロザリアさん、これからもうちのバカをよろしくお願いね!」
驚きすぎて動けずに抱き合ったままだったオレ達は、顔を見合わせた。ロザリアは、母親に向かって二度首を縦に振ってみせた。
次の日、約束通り(オレの住所を聞いた時、日曜日に礼に来ると言っていたらしい。全然覚えていなかった)ルヴァがやってきた。
玄関先で構わない、と恐縮していたが、結局母親に強引に家に上げられて、歓待された。
妹であるロザリアが、性質の悪い男達に絡まれているところをオレに助けてもらった、とルヴァは説明した。
母親は、話を合わせるのに精一杯のオレの背中を叩いて、「うまいことやったわね」と言った。どうにかしてくれ、と思っているところに父親が帰ってきた。父親とルヴァは、釣りの話で意気投合して打ち解けた。何杯もの酒が、ルヴァのグラスに注がれた。
悲恋ものの映画の主人公を演じていたヤツが、突然ホームドラマの真ん中に投げ込まれたらこんな気分になるのだろうか、とオレは目の前で繰り広げられる光景を見ながら思った。
前日から引き続いての想像もつかなかった展開に、驚くばかりだった。
ルヴァは本当に礼を言いに来ただけのようで、今後はロザリアに近づくな、というような台詞を言う気配すら見せなかった。
それどころか、ルヴァは帰り際に足をもつれさせながらオレにこう耳打ちをした。
「両親はまだロザリアに好きな人がいることを知りませんけど、私はあなた達を応援していますからねー」
スマホが鳴った。画面には、昨日登録したロザリアの部屋の電話番号が表示されている。
オレ達の恋は、わりと順風満帆ってやつなのかもしれない、なんて思った。
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