愛の賛歌 -番外編-


 前編




 季節は移って、今は冬。
 
 次の夏が来るまで、あの暑さを実感としては思い出せそうにないけれど、わたくしの人生を変えたあの日々は確かにあった。だからこそ、今のわたくしがある。
 その中で出会った大切な人は、今わたくしの隣で白い息を立ち上らせている。
「なんだよ?」照れくさそうに、彼はわたくしを見る。
「ゼフェルとこうしていられて、幸せですわ」
 思ったままを口にすると、彼は顔を赤らめて、わたくしの手を握った。
 互いに見つめ合って、笑った。


―――――――――――――――――――――――――――


「……で?」
「で?とは、どういう意味かしら?」
 アンジェリーク・リモージュは、じれったそうに声を張り上げた。
「だーかーらー!それで?その後は?」
「その後?家に帰りましたわよ?」
 同じくクラスメイトのレイチェルが、長い髪をかきあげてため息をついた。
「リモージュさんは、キスとかしなかったのかって聞いてるのよ…」
「もちろんしておりませんわ!キスは、そう頻繁にするものではありませんでしょう!?」
 思わず大声で言ってしまって、大急ぎで口を閉じた。昼下がりのカフェに不適切な言葉を言ってしまった自分が恥ずかしくなった。

 元気で明るいアンジェリーク・リモージュ。
 はきはきとものを言う、レイチェル・ハート。
 穏やかで柔らかい雰囲気の、アンジェリーク・コレット。
 そしてわたくし、ロザリア・デ・カタルヘナは、それぞれ性格が全く違うけれど、なぜかとても気が合う。最近は、こうして学校帰りによくお茶をする仲だ。

 ”アンジェリーク”が二人いるので、最初はどちらもファミリーネームで呼んでいたが、アンジェリーク・リモージュが水臭いと嫌がるので、”アンジェリーク””コレットさん”とそれぞれを呼ぶようにした。
 レイチェルは逆で、アンジェリークを”リモージュさん”と呼び、コレットさんを”アンジェリーク”と呼ぶ。そして、”アンジェリーク”の二人は、互いを”アンジェリーク”と呼び合う。
 彼にこのことを話すと、「聞いてるだけでややこしー」と言われてしまった。オレにはとても覚えられない、なんて続けたけれど、実はちゃんと覚えてくれているのだ。
 話を聞かない男の人が多いと聞くけれど、わたくしの彼がそうではないことは喜ぶべきことだと思っている。

「ロザリア…?」
 コレットさんの声で我に返ったわたくしは、アンジェリークとレイチェルの呆れ顔を見た。
「やーっと戻ってきた。なによ、ニヤニヤしちゃってー」
「ニヤニヤなんてしてませんわよ!」
 人聞きの悪いことを言うレイチェルを軽く睨むと、笑みを含んだ視線が返ってきた。
「そんなことより、キスよ。まさかしたことないなんて言わないわよね?」
「そーそー!ロザリアったら全然そういう話してくれないんだもん!」
「……私も聞きたいな。ねえロザリア、本当のところはどうなの?」
 三人に詰め寄られる。揃って真剣な表情だ。
「皆、声が大きくてよ」
 厳しい顔を作って言ってみたものの、効果は全くなかった。
「じゃあ、静かに話すわ。だから、聞かせてほしいな」
 コレットさんに囁くように言われて、わたくしは諦めた。
「…したことはありましてよ。…一度ですけれど」

 そう、あれはクリスマス。
 器用な彼は、手作りのネックレスをくれた。安い石ばかりで作ったと言っていたけれど、繊細な作りのそれを、わたくしは一目で気に入った。
 けれど、わたくしの心は沈んでいた。わたくしはプレゼントを用意できなかったのだ。

 クリスマスプレゼントとして、赤い毛糸でマフラーを編んではいた。
 男性に贈るにはちょっとかわいらしすぎはしないかとも思ったけれど、彼の銀髪と赤い瞳を思い出すと、赤以外の色は考えられなくなった。
 一週間前には完成し、あとは包装されるのを待つばかりだったそれは、結局裸のままバッグに入っていた。想いを込めて編んだマフラーを渡す勇気はなくなっていた。
 前日に読んだ雑誌の”男の子がもらって困るプレゼント”の一位が、まさに手編みのマフラーだったのだ(第二位は、手作りのお菓子。マフラーを編む前はお菓子にしようかと考えていたから、二重に衝撃を受けた)。あまりのことに、わたくしの思考回路は停止した。


 プレゼントを用意できなかったことを言って謝ると、彼は意外そうな顔をしたけれど、すぐに笑顔を見せてくれた。
「女だからって全員がイベント好きってわけじゃねーもんな」
 彼の優しさが身に沁みた。だからこそ誤解されたくなくて、全てを正直に話した。
 クリスマスをずっと楽しみにしていたこと。雑誌にあった”男の子がもらって困るプレゼント”のこと。考え無しに、マフラーを編んでしまったこと。
「オレのプレゼントも手作りだぜ?それによ、男だからって全員手作りのモンが嫌いってワケじゃねーよ」
「ですが……」
 わたくしが口ごもっていると、チラチラと雪が降り始めた。
「うわ、雪だ。どーりで寒いと思ったぜ。…こーゆー雪の日にマフラーがあれば、すげー助かるんだけどよ」
 彼のその言葉で、わたくしはバッグの留め金を外し、未練がましく入れていたマフラーを掴んで引っぱり出した。赤いマフラーが、ズルズルとバッグから姿を見せる。なんだかみっともない。情けなくて、俯きながら手渡した。
「すげー!なげー!」
 嬉しそうな声に顔を上げると、さっそくマフラーを巻いてくれていた。
「すっげーあったけー!サンキュ、毎日使うな。マフラーが今一番欲しいモンだったんだぜ。さっすがロザリア」
 マフラーを撫でて微笑んだ彼に、わたくしは感動していた。おおげさに思われるかもしれないけれど、本当に感動したのだ。
 この人は、わたくしの王子様だ。いつだって優しくて、いつだってわたくしの想像よりも遥か上を行く。
 そう思った。

「そんなこと言われると、どーしていーかわかんなくなるんだけどよ」
 突然言われた言葉が理解できずに戸惑っていると、彼は続けた。
「王子様とか…マジで照れるからやめろよな。いや、そりゃ嬉しーんだけどよ」
 そこで、あまりに感激していたせいで、声に出して言っていたことに気がついた。
「ごめんなさい!いえ、あの…本当にごめんなさい」
 顔が熱くなった。とんでもない失態だ。世間知らずと言われるわたくしでも、”王子様”などという単語が日常で使われないことくらいは知っている。…だからこれまでは、心の中でこっそり思うだけにしていたのに。
「嬉しーから、いや、謝んなって」
「あの…ごめんなさい」
「謝んなって!ったく、おめーは本当に」
 そこで言葉を止めて、ゼフェルはわたくしの手をとり、抱き寄せてキスをした。
 
 思い出すと照れてしまうけれど、何度も思い返してしまう。
 冷たい空気、ゼフェルの体温、鼻先を掠める赤いマフラー。ゼフェルの髪に、肩に、睫毛に落ちては、消えていく白い雪。
 夢のような出来事だった。なにもかもが、この上なくロマンティックだった。
 特別な日の、大切な思い出………
「ロザリアってば…本当にニヤニヤしてるわよ」
 コレットさんに肩を揺らされて、わたくしは再び我に返った。
 アンジェリークとレイチェルは、もうわたくしを見てはいず、顔を寄せ合って好き勝手に言葉を交わしている。
「一回だけなんて、信じられない!」
「ていうか、半年つきあってキスだけって時点で信じられナイんだけど」
「まー、レイチェルとロザリアは性格違うしそのへんはいいとしても、キスくらいは会うたびにするよね?アンジェリークもそう思わない?」
「意識したことなかったけど、そうかも」
 コレットさんにまでそう言われて、わたくしは動揺した。
「彼氏、絶対我慢してるよね」
 レイチェルの一言が気になった。
「我慢って?」
「そりゃしてるデショ。エッチしたいって思ってるんじゃない?」
「え……!?」
 その言葉に驚いたのはわたくしだけで、アンジェリークもコレットさんも、真面目な顔で頷いていた。









next  
under