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「ここは…」
 美しく整備された道だった。先には聖殿によく似た建物が見える。
 ということは、また同じ場所だろう。

「おい、おめー迷子か?」
 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのは鋼の守護聖だった。
 そう、目の前に立っているのはゼフェルなのだが、オスカーと出会った時にはなかった違和感があった。
 身長差はあまりないはずなのに、ロザリアはゼフェルを見上げている。
 「一人か?親はどこだ?」
 心配そうに身をかがめたゼフェルとの距離が一気に近くなり、思わず緊張した。
「いえ、大丈夫ですわ」
 そう言って、口を押えた。どうも声がおかしい。
「いくら聖殿の近くとは言え、おめーみてーな子どもが一人でいるのはどうかと思うぜ」
「子ども…」
「何歳だ?七歳くれーか?」
「ななさい…」
 眩暈がした。



 聖殿で働く母親の様子が見たくて、つい一人でここまで来てしまったと言うと、ゼフェルは納得してくれたようだった。
「家はどこなんだ?」
「ええと、すぐ近くですわ。ですから、どうぞご心配なく」
「まだガキなのにすげー丁寧な言葉遣いだな。とにかくあんまりウロウロしてるとあぶねーぞ。送ってやるから早く帰れ」
 子どもにはこんなに親切なのかと感心すると同時に、困惑する。
「家はどっちだ?」
 近くだと言ったのは自分だが、もちろん近くに家などない。余計なことを言わなければよかったと後悔した。
「と、とにかく、大丈夫ですわ!」
 それだけ言って、ロザリアは駆け出した。言い訳も思い浮かばなかったし、女王候補ではない少女…ギリギリではあるが少女として話もできたので、光に包まれるのを待てばどうにかなりそうな気がしたからだ。
 そして、派手に転倒した。

「立てるか?」
 すぐに追いついてきたゼフェルに手を差し伸べられる。
「…ありがとうございます」
「勢いよく転んだわりに、怪我はねーみてーだな」
 手を借りて立ち上がると、ゼフェルは少し考えてから口を開いた。
「帰りたくねー理由でもあんのか?」
「今はまだ、帰れませんの」
「今は、か。いろいろ事情があるってことか」
「ええ」
「行くあてはあんのかよ」
「いえ。でも、適当に時間を潰しますわ」
 少し迷ったが、正直に答えた。先ほどの二の舞は避けたかった。
「そっか。ならしばらくつきあわせてもらうぜ。迷子を保護してたってことにすりゃ、つまんねー会議サボっても説教は短けーだろーし」
「会議には出席なさらないといけませんわよ」
 ついいつもの調子で言ってしまったが、おかしそうに笑われただけだった。



 ゼフェルに連れられて来たのは、広い公園だった。
「退屈だろ?オレが作ったゲームでもやって時間潰すか?鬼ごっことかの方がいいか?でも二人で鬼ごっこってのもな」
「あまり得意ではありませんが、ゲームをやってみますわ」
 ゲームは苦手だったが、鬼ごっこよりはマシだと考えたのだ。しかし結果は散々だった。
「すっげー下手だな」
「手が小さいから操作しづらかっただけですわ!これは大人向けではありませんの!?」
「幼児でも遊べるように作ったはずなんだけどよ」
「…でしたら、もっと改良が必要だと思いますわ」
「わかったわかった」
 苦笑された。完全に子ども扱いされている。見た目が子どもだからしかたがないのだが。
「貴重なご意見は後で活かすとして、次はどーする?この公園、すげーでけー滑り台があるけど行ってみるか?それか、オレが作った超高性能のラジコンで遊んでみるか?」
 
「な、すげーだろ!」
 楽しそうに笑うゼフェルの横で、ロザリアは固まっていた。
「わたくしが知っている滑り台とは違いますわ」
 横幅も高さも並外れた大きさで、巨大なという形容詞がしっくりくるほどのスケールだ。
「そーだろ!」
 ラジコンの操縦は絶対にしたくなかったので、苦渋の決断で滑り台を選んだのだが、またしても失敗だった。
「高すぎますわ」
 滑り台の上から見下ろすと、恐怖を感じるほどの高さだ。
「立ってるから余計そう思うんじゃねーか?座ってみろって」
 言われた通りにしてみたが、変わらなかった。
「む、無理ですわ」
「しゃーねーな。一緒に滑ってやるよ」
 そう言って、後ろに回り込んで座ったかと思うと、ロザリアに抱きつく態勢を取った。
「離れねーよーにしっかり持っててやるから安心しろって」
 頭のすぐ上で、ゼフェルの声が響いた。
「な、な、なにを」
 ゼフェルの体温に包まれて、心臓が早鐘のように打つ。
 何も考えられなくなった瞬間、体が傾いた。

 気がついたら、滑り台の下まで降りていた。
「思ったより怖くなかっただろ?」
「怖かったですわ!」
 何を根拠にそう言うのかと聞いてやりたかった。十分怖かった。怖すぎて声も出なかったくらいだ。
「そんなに怖かったのか。悪いことしちまったな。じゃあ休憩でもしよーぜ」 
 そう言って、脇の下に手を差し込んで立たせてくれた。



 幹の太い大きな木の下は、ひんやりとして心地よかった。
 子どもの頃、滑り台で遊んだことはあっただろうかと考える。絵を描いたり散歩をした覚えはあるが、遊具で遊んだ記憶は見つからなかった。
 手に持っている缶ジュースは、ゼフェルが買ってくれたものだ。
 無果汁で、人工甘味料たっぷりのそれを一口飲むと、口いっぱいに甘さが広がった。
「うめーだろ」
「とてもおいしいですわ。こういったジュースを飲むのも初めてかもしれません」
 疲れているせいか、甘ったるいジュースが本当においしくて、一息に飲み干してしまった。
「ああ、おめー、ミラに似てるんだな」
 突然知らない名前を出されて、ロザリアは戸惑った。それに、ゼフェルは女性が苦手なはずだ。
「ミラってのは仕事場の裏に住みついてる猫だ。最初はすげー警戒されてたんだけどよ、ちょっとずつ慣れてきて、最近は向こうから撫でろって頭出してくることもあるんだぜ」
 ゼフェルの好きな動物が猫であることを知っているロザリアは、嬉しくなった。
「きっと、とてもかわいい猫なんでしょうね」
 ゼフェルは吹き出して、そのまま芝生の上に寝ころんだ。
 風が吹いて、ゼフェルの髪を揺らす。
 気持ちよさそうに目を閉じた横顔を眺めているうちに、また光に包まれた。



 次に見たのは、アンジェリークの顔だった。
 互いの名を呼び合った後、しばらく沈黙が続いた。
「ねえ、ロザリア。ずっとこの部屋にいた?」
 恐る恐るアンジェリークが口を開いた。
「いいえ。アンジェリークは?」
「やっぱり!!」
 どこからどう話そうかと考えていると、ドアがノックされた。
「ばあやだわ!きっと、わたくしの帰りが遅いから迎えにきたのよ」
「えー!話したいことがいっぱいあるのに!」
 アンジェリークは嘆いたが、ロザリアも同じ思いだ。
「明日、育成の後に少し時間があるの。あなたはどう?」
「わかったわ、明日ね!でも少しじゃだめ。たくさん時間作って!」
「アンジェリークの言う通りね。そうするわ」
 
 扉を開くと、やはりばあやが立っていた。
「ごめんなさい。時間を忘れて話し込んでしまっていたわ」
「もう夕食のお時間ですよ。アンジェリークさま、遅くまでお邪魔をして、申し訳ございませんでした」
「いいえ、私が引き止めちゃったんです。こちらの方こそごめんなさい」

 二人の会話を聞きながら、一番を決めることは可能だろうかと考えてみた。
「…絶対に選べないわ」
 ロザリアのひとり言に気づいたアンジェリークも、首を大きく縦に振っていた。




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