恋まであと一光年


 約束のない日の曜日、二人の女王候補はおしゃべりを楽しむ。
 ロザリアの部屋でお茶を飲みながらがほとんどだが、今日はアンジェリークが自室に招いていた。

「驚いたわ。紅茶の淹れ方、とても上手になったじゃない」
「やっぱりわかる?実は、ばあやさんに教えてもらったの」
「いつの間に…でも、これでわかったわ。腕前を披露するために誘ってくれたのね」
「そうね、それもあるわ」
 含みのある言い回しが気になったが、アンジェリークが話題を変えたので、そのままになった。

「ねえロザリア、最近私もがんばってるでしょ!」
 そう言って胸を張ったアンジェリークに、ロザリアは素直に頷いた。
「ええ、本当に。最初は心配したけれど、わたくしのライバルとして選出されるだけはありましてよ」

 これは本音だった。勝負にならないだろうと甘く見ていたが、試験が進むにつれて彼女の才能は大きく花開き、大陸の発展度はほぼ互角だ。それは、ロザリアにとっても喜ぶべきことだった。
「昨日、ジュリアスさまからほとんど同じことを言われたわ。最初は心配だったけどって」
 ぷうと頬を膨らませる。年齢にそぐわない仕草だが、彼女がすると愛らしく見える。
「そう言えば、最近ジュリアスさまとよく出かけているじゃない。少し前までは苦手と言っていたけれど、今はそうでもないのかしら?」
「そ!れ!」
 突然の大声に、心臓が止まりそうになる。
「声が大き過ぎますわよ!」
 ごめんごめんと笑顔で謝ってから、アンジェリークは真剣な表情を作った。
「ロザリア、まず言っておくわね。大切な女王試験中ってことはよーくわかってる」
 そこまで言って、お茶で喉を潤した。ついでにクッキーを三枚食べて、またお茶を飲む。
「でもね、ジュリアスさまとルヴァさまで迷ってるのよ」
「え?」
「もちろん、お付き合いとかそういうことじゃなくって、どちらを私の心の中の一番にしようかなって。ジュリアスさまは厳しい方だけど、かわいらしいところもあるし」
「かわいい」
「ルヴァさまは穏やかだけど、大人だなってドキドキしちゃう時があるわ」
「ドキドキ」
「ちょっと、復唱するのやめてよー!恥ずかしくなってきちゃったじゃないー!」
「あら、ごめんなさい」
「それで、ロザリアはどなたがいいの?」

 聞かれたロザリアは、口ごもった。
 真摯に試験に取り組んでいるため、誰も思い浮かばなかったから…ではない。
「…そうね、わたくしは」
「だ、誰!?」
「オスカーさま」
「オスカーさま!かっこいいもんね!」
「それと、ゼフェルさまですわ」
「え!?意外!ていうかロザリアも二人いるんだ!」

 そう、二人いるのだ。
 正直なところ、初めは二人とも苦手だった。むしろ、アンジェリークが挙げた二人に好印象を持っていたくらいだ。
「しかたがないじゃない。少しずつ違った面が見えてきて、知れば知るほど同じくらい気になるのよ」
 開き直って言ってみると、アンジェリークはロザリアの両手を強く握って言った。いや、叫んだ。
「わかるわ!!」

 ロザリアのお説教の後、おしゃべりは当然更に盛り上がり、瞬く間に二時間が経過した。
「女王候補としてじゃなくて、普通の女の子として守護聖さまとお話してみたいな〜」
 アンジェリークが新たな話題の種を投入したその時、突然部屋中が眩しい光に包まれた。
「その願い、叶えてあげましょう」
 謎の声を聞いた次の瞬間、ロザリアは見知らぬ場所に一人で立っていた。



「ここは…」
 美しく整備された道だった。先には聖殿によく似た建物が見える。
「何か困りごとかな?お嬢さん」
 聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは炎の守護聖だった。
「いえ、あの、不思議なことに、気がついたらここに一人で立っていたのですわ」
 普段と違う呼ばれ方だとは思ったが、今自分の身に起きている出来事に比べると、瑣末なことだった。
「迷ってしまったのかな?ここで働く者の縁者か?」
「え?わたくしは」
  何かの冗談なのだろうか。それとも夢でも見ているのだろうか。戸惑いながらも名を名乗ろうとしたが、なぜか音として発することはできなかった。

 返事をしないロザリアを見る瞳が、鋭いものになる。
 オスカーは冗談など言っていない。そう理解して、とりあえずの覚悟を決めた。
「信じていただけるかわかりませんが、つい先ほどまで友人の部屋で、二人でお茶を飲んでおりましたの。それが、突然光に包まれたかと思うと、一人でここにいたのですわ」  
 説明できる範囲で話してみたが、自分の耳にも荒唐無稽に響いた。
「ここはどこですの?」
 射抜くような視線を真っ向から捉える。後ろめたいことなどないのだ。アンジェリークとの会話の内容は別として。  

 張り詰めていた空気が緩み、オスカーは笑顔を見せた。
「君が嘘をついていないことはよくわかった。ここは聖地だ。何が起こっても不思議ではない場所でもあるしな」
「ここは、聖地ですの…」
 こんな形で聖地に足を踏み入れるとは思ってもみなかった。
 呆然としているロザリアを気遣うように、オスカーはいったん話を止めた。それから少し間を置いて、再び口を開く。
「君の話だと、瞬間移動をしたということになるが…王立研究院なら何かわかるかもしれないな。案内しよう」
 オスカーが自分を知らないということは、女王試験が行われる前、つまり過去なのだろう。場所だけではなく、時間も移動しているということだ。
 不安になって然るべき状況ではあったが、ロザリアは落ち着いていた。
 何らかの意思が働いているのは明らかで、謎の声からは敵意を感じなかったし、むしろ守られているような気さえしていたからだ。
「どうした?具合でも悪いのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが」
 考えながら話しているせいで、歯切れの悪い返答になる。
「ならいいんだが。実は、少し腹が減っているんだ。君さえよければ、付き合ってもらえるとありがたい」
 お菓子の食べ過ぎで苦しいくらいだったが、考える時間が欲しかったし、オスカーの配慮を無下にしたくもなかった。空腹を言い出せないのかもしれないと気遣って、食事に誘ってくれたのだろう。

 オスカーに連れられて入ったのは、小じんまりとした洋食屋だった。店内は明るく清潔で、席に通してくれた女性の笑顔に釣られて、ロザリアも微笑んだ。
「雰囲気の良いお店ですわね」
「そうだろう?味もいいんだぜ。なんでも食べてくれ。そうだ、ここはケーキもうまい。ん?ケーキのメニューがないな」
 メニューを頼もうとするオスカーを慌てて止めた。
「オスカーさま、お心遣いありがとうございます。でも、飲み物だけで十分ですわ。先ほどお菓子をたくさんいただきましたから、今はお腹が減っておりませんの」
「そうか、ぜひ食べてもらいたかったんだがな。ところで、俺のことを知ってくれているようだが、どこかで会っていただろうか。君のようなレディを忘れるはずがないんだが」
 信じがたいが、女王候補ではない少女として、オスカーと話をする機会が与えられているのだろう。
「いえ、オスカーさまは有名でいらっしゃるから、一方的に存じ上げているだけですわ」
「それは光栄だな」
 まだまだ子どもだとよく言われているが、今は一人の女性として扱ってくれている。
 それに、普段より親しみやすくて気さくに感じた。

 店内は賑やかで、皆おしゃべりや食事に夢中のようだ。
 オスカーからいくつかの質問があり、ロザリアは女王試験が始まる前の生活を基に返答した。
「しかし、突然こんなことになって、混乱しているだろうな」
「そうですわね。ですが、こちらは女王陛下がいらっしゃる聖地ですもの。悪いようにはなりませんわ。ですから、ご心配には及びません。それに、お忙しい守護聖さまにいつまでもお付き合いいただくのも…」
「そうは言っても、右も左もわからない状態の君を一人にしてはおけないな」
 なんとなく、王立研究院に行くのは気が引けた。もちろんパスハはいないだろうが。

 こんなに健啖家だっただろうかと思うほど、オスカーはよく食べた。
 自分が女王候補として守護聖たちに接しているのと同様に、オスカーもまた自身が守護聖であることをより意識しながら、自分たちに接しているのかもしれない。
「やっぱり、なにか食べた方がいいんじゃないか?」
 そう声をかけられて、自分がオスカーを見つめていたことに気づいた。
「いえ、オスカーさまが本当においしそうに召し上がっていらっしゃるから、つい見とれてしまったのですわ」
「君は、少し変わっているな」
 どういう意味かはわからなかったが、オスカーの穏やかな表情からは温かさが感じられた。

 店を出ると、陽が落ちる時間だった。
 結局、オスカーとの時間を楽しく過ごしただけだったが、考えてもしかたがないと割り切るようにもなっていた。



 研究院はそう遠くないようだったが、車を待つ間に少し歩こうと誘われた。
「君からは、特別な力を感じる。陛下から放たれるものに僅かにだが似ているように思う。だからだろうな、君を初めて見た時、少し緊張したんだ」
 今日は驚いてばかりだが、オスカーのこの発言に一番驚かされたかもしれない。
「なにか事情があって話せないことがあるんだろう?」
「お気づきになっていらっしゃったのですね」
「君はまるで天女のようだからな」
 そう言って、惜しむように夕陽を見た。
「俺ばかり話しているな。もしなにか聞きたいことがあるなら、遠慮なく言ってくれ」
「オスカーさまご自身の話をお聞きしたいですわ。どういったお話でも」
「俺の話か」
 オスカーは意外そうな顔したが、すぐに頷いた。
「そうだな、守護聖になった時の話をしよう」
 一度聞いてみたいと思っていたことだった。
「突然守護聖にと言われてもちろん驚いたし、家族や友人と別れるのは辛かった。でも、なぜだろうな。どこか腑に落ちたような感覚があったんだ。守護聖になりたいと願ったことも、守護聖になるなんて夢想したことも、一度もなかったんだがな」
「守護聖でなければ、と考えることはありませんか?」
 少し勇気を要する質問だったが、オスカーは特に気にする様子もなく答えた。
「女王陛下を支える力、皆の暮らしを良くするための力を得たことについては、嬉しく思っている。なるべく多くの人々の笑顔を見るためにはどうすればいいかと考えると、取るべき行動が自ずとわかるんだ。悪くないと思わないか?」
 満足そうにも、少し照れているようにも見える笑顔で、それを見たのが最後だった。

 再び眩しい光に包まれたと思ったら、オスカーの姿は消えていた。


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