エルンストが淹れたコーヒーはインスタントのものだったが、レイチェルには美味しく感じられた。彼女がそう伝えると、エルンストは苦笑した。
「粉末に熱湯を注いだだけなので、そう言われるとどうお答えすればよいのかわからなくなりますが…ともかく、ありがとうございます」

 それからしばらくの間、コーヒーを飲みながらの沈黙が続いた。
 しかし、今度は先にエルンストが口を開いた。

「チョコレートの話でしたね。ある辺境の星…ああ、あなたならご存知でしょう。地球の一部の地域の風習らしいのですが」
「地球って…。商人さん、なんでそんなマイナーな星のこと知ってるんダロ。本当、何者なのかな。タダモノじゃないよね」
「まったく、同感です」頷いてから、エルンストは”バレンタインデー”なる風習の概要を説明した。
「なるほどねー!それであんなコト言ってたんだ。お祭り好きの商人さんらしいよネ。ロザリア様からもらったってはしゃいでたけど、そりゃ逃げちゃうよね」
 彼の慌てぶりを思い出して、レイチェルは笑った。
「なぜですか?」
 ゼフェルが来た、と言ったことを教えると、エルンストはさもありなんと言わんばかりに眉を顰めた。
「…ロザリア様と交際されているゼフェル様がそれをお知りになったら、さぞお怒りになるでしょうね」
「ワタシ、今から商人さん探して、チョコレート売ってもらおうかな」
 なにげなく言うと、エルンストは驚いたように背筋を伸ばした。
「あなたも彼にチョコレートを?」
「え!?そんなわけないジャン!」
「…では、どなたに?」
 真剣な眼差しで問われたレイチェルは口ごもったが、一息に言った。
「特に思いつかないけど、せっかくだしエルンストにあげちゃおっかな!……なーんて」
 ごまかすように明るく笑って、次の台詞を言うために口を開いたレイチェルだったが、結局その台詞は飲み込まれた。
「わ、私に下さるのですか?」
 どもりながら言ったエルンストは無表情ではあったが、顔を赤く染めていたのだ。

 今日のワタシは、”ジョーダン”という単語を言えない星の下にあるらしい、と頭のどこかで思ったのは一瞬で、レイチェルはこぶしを握りしめて立ち上がった。
「エルンスト、欲しいんだヨネ!?」
「え、ええ」
 気迫に押されるように答えたエルンストに、レイチェルは力強く続けた。
「ゼーッタイアゲルから、ここで待ってて!」
「そうは言っても、彼の居場所をご存知なのですか?」
「探してくる。どーしてもいなかったら、違うところで買ってくるから!」
「しかし、聖地にああいった店がないから、彼が呼ばれたわけで」
「ワタシを信じて!」
「信じる信じないの問題では」
「チョコレート、欲しいって言ったじゃない!それとも、いらないの!?」
 言い合っているうちに体が熱くなってきた。絶対にこの使命をやり遂げてみせる、とレイチェルは燃えていた。
 彼女の両手がひんやりとしたものに包み込まれた。エルンストが自分の両手で握ったのだ。
「わかりました。ですが、あなたばかりを走らせるわけには参りません。私もお供いたしましょう」
 まばたきもせずにそう言いきったエルンストもまた、低い体温とは裏腹に、何かに燃えているようだった。




 二時間後、二人は予め決めていた待ち合わせ場所である公園の前にいた。
「ね、いた?」
「いえ。彼の行動をシミュレーションしようと試みたのですが、何分情報が少なすぎるもので、不本意ながら芳しい結果を上げることができませんでした」
 走ってきたのか、エルンストは額に汗をかいていた。辛そうに息をしている。
「エルンスト、休んでていーよ?」
 気遣いから出たレイチェルの言葉だったが、エルンストは彼には珍しい、強い口調で言い放った。
「嫌です」
「嫌って…。もう、子供じゃないんだから。とりあえず、ちょっと休憩しよ?」
 そう言ったレイチェルは、思いついたように目を大きく開いた。
「ね!イイこと思いついちゃった!チョコレートでしょ?カフェ!カフェに行けばきっとあるよ!」
 疲れが滲んでいたエルンストの顔に、驚きと喜びの色が差した。
「なるほど。チョコレートケーキやクッキーがあるはずですね。さすがレイチェル、あなたの発想の柔軟さはすばらしい」
「エルンストが汗かいちゃうほどがんばってくれてるから思いついたんだヨ?エルンストのオカゲ!」
 普段の彼らであれば、商人を探し出す前に考えつくようなアイデアだったが、彼らはそれにさえ気づけないほど興奮していた。互いを褒めあう姿は、まるで多くの戦いを共に勝ち抜いてきた、戦友同士のようだった。
 見つめあった二人は一つ頷くと、同時に駆け出した。





 荒い息を吐きながら飛び込んできた二人を見て、ウエイトレスは驚いたが、接客業のプロらしく、すぐに完璧な笑顔を作った。
「いらっしゃいませ。お二人様でよろしいですか?」
 レイチェルが頷く前に、エルンストが一歩前に進み出た。
「その前にお聞きしたいのですが、チョコレートの入ったお菓子はありますでしょうか?」
 当然あるだろう、と確認のために言ったエルンストに、ウエイトレスは首を横に振った。
「申し訳ございません。チョコレートを使ったものは売り切れてしまいました」
 言葉もなく立ち尽くした二人の落胆している様に、ウエイトレスも言葉を失くした。おどろおどろしい雰囲気すら発しながら、二人は揃ってうなだれた。
「…そう、ですか」
 暗い目で店を出ようとする二人に、ウエイトレスが慌てた様子で声をかけた。
「あの、飲み物なら…ホットチョコレートがございますが」



 ウエイトレスの機転によって、二人の旅は終わりを迎えた。
 向かい合って、汗を流しながら飲んだホットチョコレートは、ひたすら熱く、甘かった。
 だが、二人は大きな達成感に包まれていた。隣の客が飲んでいるオレンジジュースを横目で見ながら、羨ましい、と笑顔で言い合った。何も考えなくても会話は続く。
 レイチェルは、閉店の声を聞くまで時間の経つのも忘れていた。

 遠慮するレイチェルを制して、エルンストが会計をした。最後の客だった二人が店を出ると、すっかり夜になっていた。
 
「あーーーー!!」
 突然のレイチェルの大声に、良い気分で月を見ていたエルンストは驚いた。レイチェルは、今にも泣きそうな顔をしている。
「どうしたのですか!?」
「…ワタシたちが走り回ってた目的、覚えてる?」
「ええ。チョコレートを……。ああ!」
「そう。二人でチョコレートを食べるのが目的じゃなくて!ワタシが、アナタに、チョコレートをアゲルためだったのに!それなのに…おごってもらっちゃったし…」
 頭をかかえて悔やむレイチェルに、エルンストが優しい口調で声をかけた。
「レイチェル。私は満足していますよ」
「だって…エルンストがせっかく欲しいって言ってくれたのに」
「ホットチョコレートを飲みました」
「でも、アレじゃただ二人でお茶しただけだヨ」
 なおも反論するレイチェルに、エルンストは生真面目な顔で言った。
「なぜそんなにこだわるのですか?」
「え…」
「あまり言われますと、困ります」
 そう言ったエルンストの顔が月明かりに照らされて冷たく見えて、レイチェルは冷水を浴びせられたような気持ちになった。
「そ、そーだよネ。いまさらどうしようもないしネ」
 レイチェルは俯いて目を伏せた。時間が戻ってしまった気がして、寂しかった。
「…期待してしまうでしょう」
 言葉の意味がわからずに顔を上げたレイチェルに、困惑しきった様子でエルンストは言った。
「あなたがそんなにこだわるのは、相手が私だからなのか、と思ってしまいそうになる。それは、あなたも困るでしょう?」
「こ、困らないヨ!だって…」
「だって、の後はなんですか?」
「ワタシが好きなのは、エルンストだもん!」
「本当ですか!?…ああ、私はずっとあなたに嫌われていると思っていました」
「エー!?どーしてそんなこと思ってたの!?」
「他の人にはそうではないのに、私と接している時のあなたは刺々しい態度でしたから」
「…それは好きだからだヨ!素直になれなかったの!」
 レイチェルが叫ぶと、エルンストは再び顔を赤くして、額に手をやった。
 熱はやはりないようですね、と観念したように呟いて、続ける。
「私も、あなたが好きです。もしよろしければ、これからも日の曜日には研究院に遊びに来て下さい」
「迷惑じゃなかったの…?」
「あなたにお会いしたいから、せっかくの休日にわざわざ仕事場にいたのですが」
 そう言って、エルンストは眼鏡を外した。一瞬ドキリとしたレイチェルだったが、彼はすぐに眼鏡をかけ直した。どうやら照れ隠しのための行動だったらしい。
 それを確認したレイチェルは、彼をかわいいと思った。だから、たった今自分が少し恐れたはずの行為がしたくてたまらなくなった。

「ね、眼鏡もう一度外して?」
 言った通りにそうしたエルンストに近づいて、レイチェルは手を彼の首に回した。慌てるエルンストに構わず、そのまま背伸びをして唇を触れ合わせた。
 唇を離すと、エルンストは得心がいったように言った。
「チョコレートを下さったのですね?」
 あっけにとられたレイチェルは、エルンストの顔をまじまじと見た。相変わらず顔を赤くしているくせに、冷静な表情を作ることに成功した彼が少し小憎らしい。
「えー、ですから、ホットチョコレートを飲んだあなたの口に残っているチョコレートを、口移しで私に下さった。そういうことではないのですか?」
「…そうだけど…いちいち説明しないでヨ」
 恥ずかしいじゃナイ、と呟いたレイチェルを、エルンストはぎこちない動作で抱きしめた。


 
 

 








 

end




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