valentineday kiss




 女王候補レイチェルは、毎週日の曜日の朝、公園へでかける。
 見るからに怪しげな商人が店主を務める、小さいながらも品物が豊富に揃った屋台を覗くのが彼女のお目当てだ。
 ストレス解消には買い物をするのが一番であると、レイチェルは固く信じている。
 
「おはようございまーす!」
 元気良く声をかけると、店主は一瞬肩をギクリと揺らしてから振り向いた。
「いらっしゃーい!」
 負けじと元気良く返事を返した商人は、右手に小さな包みを持っている。
 薄い紫色のセロファンに真っ白な紙、濃紺のリボンによって飾られたそれは、おそらく誰か…さらに言うなら、女性からのプレゼントだろう。
 誰からだろうか、と考えながら何気なく見ていると、包みを持った手を後ろに隠された。
「女王候補はん、あんまし見んといてくれへん?」
 レイチェルが顔を上げると、商人はご機嫌な様子でにこにこと笑っていた。
「別嬪さんに見つめられたら、仕事にならへんわー」
「ホーント、いつも口が上手いんだから!で、ナニ持ってるんですか?」
 レイチェルもまた、にこにこと笑いながら、鋭くつっこんだ。
 商人は、サングラスの上にある目をキョロキョロと落ち着きなく動かしたが、芝居がかっている、とレイチェルは感じた。
「ま、まーええやん。そやそや!そんなことより!な、このチョコレート買うてってや!あ、買うっちゅーても御代はいらへんで。タダで売るから、それを俺にくれへん?おまけもつけさせてもらいまっせー」
 商人は、ごまかすようにおどけた仕草で提案をしたが、レイチェルは取り合わない。
 意味がワカラナイんですケド、と言い捨ててから質問をする。
「そのかわいいの、誰にもらったんですか〜?まずは、それを教えてもらわなきゃネ」
 それを受けた商人は、なにやら考え始めた(もしくは、そのフリをした)。心なしか口の端が上がっているように見える。
 レイチェルは、強い意志をもって商人を見つめた。後一押しだ、とレイチェルは思った。どう考えても、話したがっているようにしか思えなかった。
 一分ほどそうしていた商人は、大げさにため息をついた。
 そして「内緒やで?」と言ったかと思うと、顔の筋肉を総動員して二カッと笑った。
「なーんと!ロザリア様なんやー!」
 うきうきと一人喜んでいた商人だったが、レイチェルの一言で笑顔を消した。
「アレ?いーんですか?ナニもらったのか知りませんケド、ゼフェル様、きっと怒りますよー?」
「だ、だから内緒やって言うたやーん!」
「ワタシが同意する前に言ってたじゃないですかー」
「別にやましいことちゃうねんって!」
「じゃ、言ってもいいですよネ?」
「そ、それは…」
「あ!ゼフェル様が歩いてきた!」
 レイチェルとしては、少し驚かせてやろうというつもりで軽いジョークを言っただけだったのだが、次の瞬間、商人は目にも止まらぬスピードで店じまいを始めていた。
「ちょーっと用事思い出したから、俺そろそろ帰るわ!」
 言い終わるやいなや、商人は(それでも笑顔で)走り出した。
 後には”ジョーダンですってー!”という言葉を発し損ねたまま口を開いたレイチェルだけが残された。



「うーん、悪いことしちゃったかなー。でも、あんなに焦ることないよネ。…ウン、気にしないでおこうっと」
 買い物をし損ねたレイチェルは、しかたなくその足で王立研究院に向かった。
 研究院に行けばストレス解消どころか、さらにストレスが溜まることになるとわかっていたが、勝手に進む足を止めることはできなかった。
「おやレイチェル。今日も来たのですか?」
 振り向いた人物を、レイチェルは思わず睨みつけた。
 常に冷静沈着な彼。王立研究院の主任であるエルンストこそが、彼女のストレスの主な原因であるのだ。

「なによ。来ちゃダメなの?」
 そんなことは言っていませんよ、と眉間に指をあてたエルンストを見て、レイチェルは絶望的な気分になった。しかし、彼女の口は止まらない。
「ベツにエルンストに会いに来たわけじゃないから、アナタにダメって言われても気にしないケドさ、もうちょっと歓迎してくれてもイイんじゃないの?元同僚なんだし」
「…絡まないで下さい。私は忙しいんです」
 休日にわざわざ研究院に来ているくらいなのだから、確かに彼は忙しいのだろう。
 そう思ったレイチェルは、僅かにだが申し訳ない気持ちになった。
 だが、言い終わらないうちに視線を資料に移したエルンストに謝ろうとまでは思えなかった。
「ルーティスの資料を見せてヨ」
 苛々している気分を隠さず、命令するようにレイチェルは言った。
「わかりました」
 視線をレイチェルに移すことなく扉の奥に消えたエルンストに向かって、彼女は舌を思いきり出した。


 三ヶ月前の日の曜日に、この建物の窓に映った彼の姿を発見したのは偶然だった。それから彼女は理由をつけては毎週覗きに来ているのだが、休日にも関わらず、彼はいつもここにいる。
 彼の仕事熱心さに呆れはするが、レイチェルにとっては歓迎すべきことであった。
 日の曜日だけは、二人きりでいることができるからである。
 …だから、普段とは違う、なにか特別な話がしたかった。


 一人相撲であることはわかっている。恋人でも、ましてや気持ちを伝えてもいないのだから、望み過ぎているとも思う。
 勝手に期待して、それが叶わないから怒って、呆れられる。
「エルンストが喋ってる時間って、ワタシが喋ってる時間の半分もないよネ」
 腹立ち紛れにレイチェルが言うと、エルンストは書類から視線を外した。眼鏡の奥の目が、レイチェルを捉える。

 嬉しいけど怖い。彼女はそう思った。
 すぐにまた自分から視線を外されてしまうことが怖い。そうされてしまうくらいなら、いっそ最初から見ないでいて欲しかった。
 でも、本当は見て欲しかった。だから今、彼女はここにいる。

『笑いかけてほしいから、ワタシはここにいるんだ』
 …まだエルンストをただの同僚としか見ていなかった頃は、カンタンなコトだったのに。

「ああ、私は元々口数が多くない方ですからね」
 たった一言で片付けられて、レイチェルは悲しくなった。話はここで終わりだ、と宣告された気がして、唇を噛む。
 そして、レイチェルは想像した。
 彼がまた自分から視線を外すだろう、ごく近い未来を。
 その後に見せるだろう、まるで自分など存在していないかのような横顔を。

 見たくないと思った。だから、反射的に目を閉じてしまった。目の前が暗くなる。
 その瞬間、すべてが嫌になった。
 …傲慢で、自分勝手で、臆病すぎるワタシはワタシじゃない!

「レイチェル?」
 彼女が目を開けると、怪訝そうな顔つきのエルンストがいた。
「どうしたのですか?」
 淡々としたその声で、彼女は一気に日常に戻された。
 適度な明るさが保たれている白い部屋。大型のコンピュータが機械的な音を立てている、いつも通りの研究院。

 どこまでも沈んでいきそうだった船が、すうっと浮上する。水面の下は渦が巻いていたのに、外の世界は何も変わらない。
 日常の明るさに照らされたレイチェルは、思いつめすぎていた自分を少し恥じた。
「あ…ううん。ちょっと考え事してただけ」
「考え事とは?」
「そ、そうそう!商人さんが今日ワケワカラナイこと言ってたんだ。なんかチョコレートあげるから、それを自分にくれって。なんなんだろーね」
 思いついたまま、先ほどの出来事を口にする。エルンストは手を顎にあてた。
 そのまま微動だにせず黙り込んだかと思うと、一つ頷いた。
「教えて差し上げましょう」
「え?エルンスト、知ってるの?」
『ていうか、アレに意味なんかあったんだ』という言葉を飲み込んで、レイチェルは身を乗り出した。
「ええ。実はつい先日彼に教えてもらったのです」
 そこまで言って、エルンストはふと顔を上げて言った。
「いつまでも立っていると疲れませんか?座って下さい」
 休憩用のソファを手で示して、エルンストは備え付けの簡易キッチンに向かった。

 ソファとエルンストの後姿を交互に見て、レイチェルは混乱した。
 まだ信じられなかった。あのエルンストが、自分と腰を据えて話そうとするだなんて!
 
 そう、ただ話をするだけだ。たいしたことではない。
 女王試験を受けるようになってからは、彼女は何度も、それこそ毎日のように教官や守護聖とお茶を楽しんでいる。もちろん、ただ楽しくお茶を飲むだけでは終わらない場合が多かった。課外授業としか思えないティータイムもある。だが、誰かと二人きりで会話を交わすことは日常茶飯事だ。
 しかし、自分とエルンストの間に限れば、起こりえないことだと思っていた。
 予測していなかった事態に、レイチェルは少なからず困惑していた。
「とにかく、座らなきゃ」
 慌てて腰を下ろす。焦ったせいか、勢いがつきすぎて体が跳ねた。
「あなたはいつも元気ですね」
 コーヒーをテーブルに置いて、エルンストが笑った。

 
 世界と自分が、やっとまともに戻ってくれた気がした。








 
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