機械油で爪の先まで黒くなった手には不釣合いな青い花。 そんなものを摘んでしまったのは、ロザリアのせいだ。 ゼフェルは着ていた服で指をぬぐうと、なるべく花を汚さないように親指と中指のはらだけを使って花をもった。 ゼフェルが起きたのは、ランチタイムからさらに1時間が経過してからだった。 寝すぎていて逆に頭痛が襲ってくる。 ゼフェルはテーブルに置きっ放しにばっていたぬるいミネラルウォーターを口に含むと、 ふふぁ、と息をついた。 「さて、どうするかだな」 執務はとっくにはじまってしまっている。今から向かっても大遅刻だ。 宮殿に行くか、行かないか。 今から向っても中途半端な仕事しかできないだろうし、女王試験という奴もゼフェルに とってはあまり面白いものではなかった。 二人の女王候補をめぐって、他のやつらが使命に燃えたり色気づいたりしているのを、 輪から離れたところで観察していて、その感想が強くなった。 つまんねぇ。 あーつまんねぇ、つまんねぇ。 ゼフェルは床に何枚も散らばっていた設計図の中からひとつを拾い上げると、 それを持って部屋をでた。 設計図を見ながら、ぶらぶらと道を歩く。 聖地に来る前は両親が技術者だったし、機械いじりをするのは得意だったから 自分も将来はそんなことをしているのだと思っていた。 得意なことを褒められるのは悪い気はしない。もっとそれが好きになった。 「だからといって、いきなり鋼の守護聖様にまで選ばれるかよ」 そのことには、いまだにゼフェルは釈然としていない。 設計図を力を入れて握る。それがゼフェルの気持ちを主張する。 もし守護聖に選ばれてなかったら、ゼフェルはこんな紙に執着することはなかった かもしれない。 機械や技術者ではなく、もっと違うものに興味をもっていたかもしれない。 だけど、両親のもとで普通に暮らしていた時のゼフェルの遺産はこれしかなく、 その時に自分の好きだと感じていた――機械いじりだのに執着する。 それから離れたら、それまでゼフェルを形成していたものが崩れて、 ゼフェルじゃない記号的な”鋼の守護聖”になってしまう気がしていた。 「守護聖なんかやりたくてやってるわけじゃねぇ」 この口癖ばかりが先行して、それ以上のことをゼフェル自身も考えてはいなかったが、 気持ちの根底には確かにそれが存在していた。 ゼフェルの足は宮殿へと向かっていた。 今更いくのもバカバカしいし、ディアやルヴァが注意しにくるのは目にみえている。 無断欠勤して、寝る前までやっていたエアバイクのメンテナンスの続きをした方が有意義な時間の使い方だ。 それでもゼフェルは宮殿に向かってしまう律儀さを〜ゼフェル自身は認めてはいないのはともかくとして〜 持っているからだ。 自分がいなかったらダメだ。 守護聖を否定しながら、それを自覚しているアンバランス。 女王試験が始まってからひと月が経過しようとしていた。 試験が始まってから守護聖たちの一番の仕事は、女王候補に力を貸すことになった。そして、どちらが女王に相応しいか を見極めることだった。 定期審査では、壇上でどちらが女王に相応しいかひとりひとり言わされる。 そのために女王候補たちは、我こそは女王に相応しいと主張するために、守護聖どもの間を行ったり来たりを繰り返している。 一体、何が楽しいのだか。 自分がまだ受け入れていない場所に、進んで関わろうとする彼女たちをゼフェルは受け入れられなかった。 候補のひとりのアンジェリークは、ゼフェルと良く似た境遇でここに連れてこられたと知り気になっていたが、結論をいえば余計なお世話だった。アンジェリークはあっという間にこの世界に馴染んで女王になろうとしている。 ぐずぐずと反抗している自分よりもずっと太く生きている。 もうひとりの女王候補のロザリア。こちらの方はゼフェルにとってはわかりやすい人間だった。 生まれてきてからずっと女王になるために育てられてきた。ロザリア本人もそれを望んでいる。 つまりゼフェルとは逆。ロザリアにはゼフェルに気持ちなどは一生わからないだろうと思った。 普通の家に暮らして、両親みたいな技術者になって、まぁ適当に普通の女と結婚して、 ガキが生まれる。自分はそんな平凡といわれる生き方をするものだとゼフェルは漠然と思っていた。 それをいくとアイツはすっげー貴族の家に生まれて――。 と、そんな事をゼフェルが考えながら歩いていると、 「ゼフェル様、お待ちになって」 と、言う高いソプラノの声がゼフェルを追ってきた。今ほど考えていた女王候補、ロザリアの声だとわかる。 ゼフェルは声に構わずに同じ速度で歩きつづけた。 特別な悪意はない。ただ、ゼフェルを守護聖にしてしまう声に答えることが嫌だった。 ロザリアはゼフェルの事を守護聖としか見ていない。執務室で会話するときも、こうして外で会った時も それは同じだった。 すっげー貴族の家に生まれて、女王教育をうけてきて、自分が女王になるのだと思いこんでいる少女。 ロザリアはゼフェルの考える普通の女ではなかった。 ロザリアも本音は、女王に相応しいと認めてもらう為といえど、守護聖だという事さえ受け入れていないゼフェルなんかに媚びをうりたくはないだろう、とゼフェルは思った。 ごくろうさん。 嫌いな女性のタイプを”男に媚びる奴”と答えたのは、アンジェリークに尋ねられた時だった。 オレに頼るな、かかわるな。女王候補に対するゼフェルの感想だ。 「ゼフェル様、ごきげんよう」 オレに追いついたロザリアが腰を曲げてお辞儀した。 「よぉ。育成の話なら執務室以外ではきかないぜ」 ゼフェルの挨拶に、ロザリアは当然ですわ、とばかりに返す。 「ゼフェル様が規則を重んじる方で良かったですわ。ライバルに抜け駆けされるのは困りますもの」 にこりとゼフェルにお愛想笑いをしてみせるロザリアに、 「ハン。規則を重んじる奴が、こんな時間に宮殿に行くか」 と、わざと否定するようにゼフェルは答えた。 そんな言葉で丸め込まれてたまるか、とサボテンの棘のようにゼフェルは構える。 「……それは感心できませんわ。ですけど、ご事情があられたのでしょう。わたくしはそう信じますわ」 「どうしてだよ」 「わたくしは女王候補で、ゼフェル様はこの宇宙の守護聖様ですもの。この答えでは不満足でしょうか」 間違っている。ゼフェルにロザリアを納得させるだけの”ご事情”なんてない。 そして、そんな事はロザリアは百も承知という顔をしているのが、ゼフェルは気に食わなかった。 「ふーん、目をつむろうって言うのか」 もっていた設計図をぐしゃっと握りながら、挑むようにゼフェルはロザリアに言った。 ゼフェルとロザリアの上下関係というのは微妙である。候補の段階ではゼフェルの立ち位置の方が上になるのだが、 女王にロザリアは選ばれれば、ゼフェルはロザリアに忠誠を誓うことになる。 ロザリアは、その日のために貸しをゼフェルに対して作ろうとしているように見えた。 「信頼していると申し上げていますの。ですから、こうしてゼフェル様の事を知りたくてご一緒させていただいてますわ」 利用されるのはゴメンだ、とばかりにゼフェルは首を横に振った。 他の守護聖たちのように女王試験に巻き込まれていくということは、ゼフェルが守護聖としての自分を認めてしまう ことにもなる。 もうそれから逃げることは出来ないが、それでもギリギリの意地がある。 ゼフェルは逆に攻撃に出ることにした。この質問にこの女がどう答えるか純粋に興味もあった。 「なぁ、もしも女王になれなかったらおめーはどうするんだ?」 ロザリアは即答した。 「女王に即位できないことなど、仮といえども考えたことはございませんわ」 きっぱりとそう言い放った。 熱意は伝わるが、賢い回答ではない。ロザリアが女王になる可能性は二分の一。 ゼフェルはどちらの贔屓もする気が ないが、ロザリアが女王になれるとは限らない。例えばディアみたいに補佐官を志したり、実家に帰って家を継ぐなり を事前に考えてもいいじゃないか、とゼフェルは思った。 ゼフェルにはもうない選択肢をロザリアはもっているのに、ロザリアはそんなものを必要としない。 もったいねぇと、その未来をオレに寄こせよと、ゼフェルは無茶を承知で言いたくなった。 だけど。 同時にロザリアの答えはゼフェルに、手に持っていた設計図に目をおとさせた。 ロザリアの”女王”とこの”設計図”が、その頑なさにおいて似ている気がしたのだ。 手を離したら、自分のすべてが抜け落ちてしまいそうなアイデンティティ。 こいつはアンジェリークのように、器用に別の生き方を受け入れられない。 ゼフェルは初めてロザリアに親近感のようなものをもった。この親近感は守護聖になってから初めて感じたものだった。 それはゼフェルの気持ちを優しく撫でた。 ロザリアと適当に別れた後、青い花が咲いているのをゼフェルは見つけた。 幾重にも花びらがついた綺麗な花だった。これまでも見たことはあった気がするが花の名前なんてゼフェルは知らない。 その花の青はロザリアの瞳や髪を映したかのような青で、ロザリアみたいだとゼフェルは思った。 花を媒介にロザリアの顔が浮かんでくる。 ゼフェルがロザリアに感じた親近感を、ロザリアがゼフェルに感じることはないと思った。 元一般市民の守護聖と女王になりたい貴族の娘。接点などまるでない。 「オレとは逆の生き方ってわけか」 守護聖にならなかったとしたら。さっき想像した自分の生き方をゼフェルはもう一度反芻した。 では、もし自分が守護聖になったように、これから進む道の途中で思いもよらない出来事がロザリアに起きるとしたら。 ゼフェルは想像を重ねるように、その青い花に手をのばした。 夜明けまでエアバイクを修理して、そのまま倒れこむように眠りについたゼフェルの手には、 まだ頑固な機械油の匂いが残っており、この花を持つには似つかわしくなかった。 それでもゼフェルが力を加えると、青い花はプチンと音をたてて簡単に手折れた。 その場に女王のように咲き誇っていた花が、思いもよらない力でその道を断たれる。 花は意思をはさむ間もなく、ゼフェルの手の中。 ゼフェルの手の中にいることは青い花にとって、自分が守護聖になったのと同じくらいの衝撃だろう とゼフェルは想像した。 それまでの自分が必要とされなくなる瞬間。積み重ねていた日々が崩れた瞬間。 ロザリアが女王にならなかったら、ゼフェルは誰よりもロザリアと分かり合えるような気がした。 女王になんてならなんてならなきゃいいのに。 ロザリアの女王としての適正や育成の様子、ロザリアの意思。 そんなことを全部無視してゼフェルは思った。 6月4日。 ゼフェルのもとに黄色の薔薇の花束が届けられた。 『お誕生日おめでとうございます ロザリア』とメッセージが記されていた。 守護聖の誕生日への根回しを忘れない、完璧な女王候補様登場。 自分の誕生日を把握してなかったゼフェルはポカンと使用人からそれを受け取ると、 「やっぱオレ、おめーのこと嫌いだぜ」 と呟くように言った。 いかにもロザリアらしい豪華な薔薇の花は、付け入る隙がないほど澄ましている。 ゼフェル宛ではなく、鋼の守護聖様宛の花束のつもりでロザリアは贈ったに違いない。 ざっと30本はありそうな薔薇は、ゼフェルが先日摘んだロザリアみたいな花一輪より存在感がある。 こっちが少しだけ近づいたつもりでも、簡単に引き離してくれる。 ゼフェルは受け取った薔薇の花束の中に、自分が触れた青い花を一緒に入れた。 この青い花の名前はアネモネというのだとマルセルが教えてくれた。 黄色の花畑に咲く一輪の青い花、 どこかで見たようなアンバランス。 それでも薔薇とアネモネは綺麗に咲いている。 その花達を見ているうちにゼフェルは、女王試験の行方に関わるのも面白いかもしれねぇ、という気になってきた。 ―――そしていつか、薔薇とアネモネの比率を逆転させてやる。 悪戯を企てる子供のような顔で、ゼフェルはそう心に決めた。 |
またしても「まいうた。」様の姫香ちゃんからフリー創作をいただきました。50000hit、おめでとうございます! まず、冒頭の文章が詩的でとても好きです。 読み終わって、とても面白いお話だと思いました。 当然のように女王を目指す彼女と、かつて当然のように日常を送っていた自分を重ねるゼフェル。これは意外でした。 現在の自分と同じように、『当たり前』のものを失ったロザリアと話がしたいと願うゼフェルが、少し歪んで見えました。 それでも、何も期待してはいなかったぜフェルが、何かに期待するようになったことは、良いことだと思うのです。 これからのロザリアとの関わりの中で、彼もまた変わっていく。良い方に進んでいくんじゃないかな、とも思います。 姫香ちゃん、いつも素敵なお話を読ませて下さってありがとうございます! top |