女王補佐官ロザリアは、毎週日の曜日の早朝、公園へでかける。
散歩を楽しむために朝早く起きているのだと言うと、彼女の恋人は信じられないものを見るような顔をするが、ロザリアはこの習慣を止める気はさらさらなかった。
女王試験が始まってからというもの、ロザリアの仕事量は急増した。太陽を見ない日もあるほどに多忙な彼女にとって、日の曜日のこの時間はかけがえのないひと時だった。
ぽかぽかと温かい日差しを楽しみながら公園に入ると、小さな屋台が見えた。
女王候補達のために呼び寄せた商人の店なのだが、補佐官であると同時に年頃の少女である彼女にとって、ここを覗くのも散歩の楽しみの一つだった。
「商人さん、ごきげんよう」
声をかけると、ああでもない、こうでもないと品物の配置に没頭していた主人は、顔を上げて挨拶を返してくれた。
「毎度おおきにロザリア様〜!お美しいロザリア様とお会いできて、今日も幸せですわ〜」
初めて言われた時は顔が赤くなったロザリアだったが、今ではもう慣れているので軽く受け流して微笑んだ。なにより、商売人が客を褒めるのはただの挨拶にしか過ぎない。紳士がパーティーで口にするそれと同じだ。
「あ!ロザリア様、ちょっとこれ買うてくれません?」
そう言って彼が出してきたのは、何の変哲もないチョコレートだった。特徴というと、ハート型をしていることくらいである。
商人らしからぬ強引な売り方に首を傾げると、彼は慌てて続けた。
「いや、お代は要りません。買うと言って下さるだけでええんです。そんで、それを俺にください」
もちろん、おまけもつけさせてもらいますから、と続けた商人は、他愛無い悪戯を企む少年のような目をしている。
ロザリアは、笑って頷いた。
「よくわからないけれど、まあいいわ。これ、いただけるかしら?」
「はいな喜んで!」
いそいそとラッピングを施して、ロザリアにチョコレートを手渡した。
「では商人さん。これをあなたに差し上げますわ」
「おおきに!おおきに!ほんま嬉しいわ〜!ロザリア様からチョコレートもろてもた!」
「ねえ、これにはどういう意味があるのかしら?」
「まあええやないですか!ほなおまけ、差し上げます!」
そう言って、商人はロザリアの手のひらに青い石のついたブローチを置いた。
「こんなに素敵なもの、いただけないわ」
「えーから!ほら、つけてみて下さい。どうしてもつけられへんと仰るなら、俺がつけてあげましょか?」
結局、ロザリアは自分の手でブローチをつけた。身に着けているドレスに映えるブローチは、ロザリアの好みに見事に合っていた。まんざらでもない気分で商人を見やると、ロザリアの内心の変化を見透かしているかのように、笑顔で頷いた。
「ようお似合いです。きっとあの方もそう言いまっせ」
「…ありがとう」
久しぶりに補佐官の頬が赤く染まるのを見た商人は、短く口笛を吹いた。
公園をゆっくり一周したロザリアが入り口に戻った時には、既に商人の姿はなかった。
「本当に、なんだったのかしら」
そう言いながら、ロザリアは深く考えてはいなかった。なにしろ次の予定は、付き合い始めて二ヶ月になる恋人とのデートなのだ。
ベルを鳴らすと、鋼の守護聖が作ったロボットが出迎えてくれた。
「コレハロザリアサマ。ヨウコソオイデクダサイマシタ」
「ごきげんよう。あら、ゼフェルは?」
「ソレガ、マダネテハリマスノデス」
「もう!またですの!?」
こうなることが嫌だから遅めに来ましたのに、とロザリアは眉を吊り上げた。
公園で商人に見せていた、優雅な補佐官、といった趣は、この時跡形もなく消えている。
「モウシワケゴザイマセン!ト、トリアエズアガッテイッテオクンナマシー」
何度も頼み込まれて帰れなくなったロザリアは、先導するロボットに続いてしかたなく屋敷に上がった。
「ココデオマチクダサイ」
そう言われて入った部屋は、目も当てられないほどに散らかっていた。
「ねえ、ここは…」
何の部屋なのか、と続ける前に、盛り上がっている白い布が目に入った。シーツらしいその布の端からは、にょっきりと手が生えている。
「ワタシノテニハオエマセンカラ、ロザリアサマガオコシテヤッテクダサイー!」
突然の大声に驚いて振り向くと、ドアが閉まった。慌ててドアを開けると、フルスピードで移動していくロボットの後姿が見えた。
ため息をついて白い塊に向き直り、何度か名を呼んでみたが、全く起きる気配がない。
躊躇いながら揺さぶると、迷惑そうに呻かれた。
頭にきたロザリアは、彼の耳元に唇を近づけて怒鳴った。
「ゼフェル!」
「うおっ!?」
間抜けな声を出して、ゼフェルは目を薄く開いた。
目を擦りながら、なにやらむにゃむにゃと呟く。
ゆっくりとロザリアに目を向けて、頭をかいた。
「なんらよ、おめーかぁ」
ビックリしたじゃねーかよー、と言ってまた目を閉じる。
「おめーか、じゃありませんでしょう!?起きなさい!」
再び怒鳴ると、今度こそゼフェルは跳ね起きた。
「…な、なんでここに」
言いかけて、目を逸らした。ヤベー、という小さな声が、彼女の耳に届いた。
「ようやく状況がおわかりになったようね」
冷ややかに言うロザリアに、ゼフェルは両手を顔の前で合わせた。
「わりー!マジで悪かった!」
「役目も済みましたから、わたくしお暇致しますわ」
言い放って立ち上がろうとしたロザリアだったが、手を掴まれたために中腰のまま動けなくなった。
「ちょっと待てって!…とにかく座れよ、な?じゃねーとこの手、離さねーぜ?」
後半部分だけを聞けばロマンティックだわ、などと考えてしまった時点で許しているようなものだったが、そう悟られるのは癪なので、表情を和らげないまま乱暴に座った。
「まず、だ。役目ってなんなんだ?」
「ロボットさんからあなたを起こすように言われたのですわ」
「げ、アイツなに勝手なことしてやがんだ」
文句を言うゼフェルに、厳しい声が飛んだ。
「ゼフェルが悪いのでしょう?今日こそはすぐに出かけられるようにしておくって約束しておりましたのに」
共に多忙な身であるから、日の曜日はなるべく長く一緒にいたいのだと言った時に見せてくれた笑顔は嘘だったのか。そう詰りたくなる。
「だから悪かったって。機嫌直せよー」
「また朝まで機械いじりをしてましたの?」
「あー、まあ」
顔を顰めたロザリアを見て、ゼフェルは首を振った。
「いや、そーなんだけどよ、いつもとは違うんだよ」
「何が、どう違いますの?」
「なんか言い訳っぽくなるから言いたくねーんだけど…わかった、言うって!」
逃げられまいとロザリアの手を掴んだままの右手はそのままで、余った左手で器用にリモコンを操作し始めた。
ピ、と音がして、部屋の電気が消える。
停電かと慌てたロザリアだったが、「まあ前見てろって」と言われ、素直にそれに従った。ほどなく、大きなスクリーンが静かに下りてきた。白い画面が明るくなる。
ロザリアがあっけにとられているうちに、横に設置されていたらしいスピーカーから美しい音楽が流れ始めた。
「これ…」
「この映画、ずっと観たかったんだろ?」
浮かび上がった文字は、ロザリアが前から観たいと思っていた、古い恋愛映画のタイトルだった。
「陛下から聞いたんだよ。オレとこーゆーの観てみたいって言ってるって。そりゃオレはアクションとかの方が好きだけどよー、言ってくれりゃーよかったのによ」
「ねえ、もしかして、この大掛かりな装置を作るためにずっと起きていたの?」
「…そーだよ」
「わたくしのために?」
その言葉に顔を赤くしたゼフェルはロザリアを睨んだが、ぶっきらぼうに頷いた。
「わたくしのために、作ってくれたの?」
「何回も聞くなよ!そーだよ、おめーのために作ったんだよ!わりーかよ!」
素直なのかそうでないのかわからない台詞を怒鳴ったゼフェルに、ロザリアはおかしそうに笑った。
「ゼフェル、映画が始まりますわ。だから、静かにしなければダメですわよ」
かわいらしく人差し指を口元に当てたロザリアは、もう一度小さく笑った。
「おめー!…ま、いいや。そっちがそーならこっちにも考えがあんだぜ?」
しつこく掴んでいた手を強引に引っ張って、ロザリアを自分の胸に引き寄せた。驚いて声を上げたロザリアに向かって、不敵に笑った。
「映画、始まってるからよ。静かにしろよ」
そう言って、自分とロザリアにシーツをかける。ロザリアの鼻先を、ゼフェルの匂いが掠めた。
「さみーだろ?」
気遣うゼフェルに、ロザリアは答えられない。
二人で一つのシーツに包まっているという事実に、息が止まりそうなほどドキドキしていたのだ。一度だけ抱きしめられたことはあるが、それはたった数秒だった。
「おい、おめー、いっくら静かにしろっつってもよー、黙っちまうことねーだろ」
注意深く聞くと、ゼフェルの声がやや上ずっていることに気づいただろうが、ロザリアはそれどころではなかった。
ゼフェルの顔を見上げると、目が合った。
「もう、帰らねーよな?」
ロザリアは頷いて、平静を装って言った。
「この映画、観たかったのですもの。ですから、帰りませんわ」
「そっか」
唐突に手が離された。掴まれている時は不自由だと感じたのに、いざ離されてしまったら少し寂しいと思う自分が不思議だった。
「やっとこーできるようになったぜ」
これもまた唐突に、自由になった彼の両手で抱きしめられた。不思議だ、とのんきに考えてはいられなくなった。とにかく、驚くことしかできなかった。
ゼフェルの匂い。先ほどまで眠っていたせいなのか、自分よりも高いゼフェルの体温。頭の中も、感じるものも、ゼフェルでいっぱいになる。
ロザリアの鼓動の早さはさらに増した。息苦しくなって顔を上げると、それを待ち構えていたようにゼフェルの顔が彼女の顔に近づいた。一瞬のキスだった。
唇が離れた後、映画が終わるまで二人は一言も喋らなかった。
明るくなった部屋で、二人は取るに足りない会話だけをひたすら続けた。キスをしたことにも、映画の内容についてにも触れることはなかった。観たがっていたはずのロザリアですら、全く覚えていなかったのだ。
帰り際、ロザリアのドレスを飾るブローチに目を留めて、ゼフェルは言った。
「それ、見たことねーヤツだな」
「今日ね、商人さんが下さったの」
「買ったんじゃねーのか?」
経緯を説明されて、ゼフェルは首を捻った。
「ワケわかんねーヤツだな。自分の店のモンなんだから食いたかったら勝手に食えばいーのによ」
「わたくしにもよくわかりませんわ。でも、とても綺麗ですわよね」
褒めてもらいたくてそう言ったのに、ゼフェルの思考はブローチそのものではなく、商人の行動の方に移っているようで、一人でブツブツと言っている。
「絶対おかしーぜ。まさかあの野郎」
「ゼフェル!」
「うわ、なんだよ!?」
「…このブローチ、似合ってます?」
長い沈黙の末、ゼフェルは頷いた。他の男からの贈り物だというところが気に入らなかったが、そのブローチは確かに彼女によく似合っていた。
それから3年後、二人は女王の口から2月14日に特別な意味を持たせている辺境の惑星の存在を知った(ゼフェルは、緑色の髪をした商人に対して密かに腹を立てた。自分よりも先にチョコレートをもらった、というのがその理由だった)。それと同時に、自分たちが初めてキスをした日付も知ることになった。
その情報を女王に齎した商人と、女王その人によりその習慣は聖地にも伝わり、一般化した。彼女と彼が住む家のカレンダーには、赤い丸印が一つ増えた。
「ねえ、どうしてバレンタインデーに印がついてるの?」
お忍びで遊びに来た女王にそう聞かれたロザリアは、お茶を淹れながら答えた。
「ああ、それ?二月十四日だからよ」
「チョコレートをあげた記念日?そんなの、わざわざ印をつけなくても忘れないじゃない。うん、このカレンダーにもちゃーんと書いてあるわね」
女王は、全てのカレンダーの二月十四日に『バレンタインデー』という文字を入れるよう下した命令が守られているのを確認して、不思議そうに言った。
「まあいいじゃないの」
顔を赤らめながら短く言ったロザリアに、アンジェリークはニッと笑った。
「ね、本当は何か理由があるんでしょ?私、教えてもらうまでは帰らないもんねー!いいわよね、ゼフェル?」
女同士のお喋りに巻き込まれてはかなわない、とコンピュータに向かっていたゼフェルは、呆れたように首を横に振った。
「オレは知らねーけど、なんとなくつけただけなんじゃねーの?」
そう言って、欠伸をしながらのっそりと立ち上がった。
面倒そうに歩くゼフェルの横顔にもまた、赤みが差していることに気づかない女王ではなかった。
「やっぱり怪しいー!」
その声を背に受けた彼は、普段通りの機敏さで、慌てて隣室に逃げ込んだ。
end
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