10
「…アンタもタイミングが悪い男だね」
ロザリアを隠すようにオスカーの前に立つ。
「よりによって、今来なくてもいいんじゃないの?」
演技ではなく、これは本音だ。
「おいおいオリヴィエ、、そこにいるレディは俺の恋人なんだぜ?恋人の泣き声が耳に届いているのに、駆けつけない男なんて男じゃないと思わないか?」
突然のことにさぞ驚いただろうと思って振り返って様子を窺ってみたが、彼女は落ち着いているように見えた。
ただ、一言も声を出さない。
オスカーはそんなロザリアをしばらく見つめていたが、オリヴィエに視線を戻した。
「で、だ。オリヴィエ…何があったのか」
いったん言葉を切って、言い直す。
「いや、なぜ彼女が泣いているのか、理由を教えてくれないか?」
同僚の部屋で取り乱し、涙を流している恋人。
どうにでも誤解できるような状況ではあるが、オスカーは冷静さを保っている。
それどころか、慎重に状況を把握しようと努めてさえいる。
いわゆる修羅場というものを何度も経験しているオスカーだからこそ、その多くの原因が勘違いのようなものであることを知っているからなのだろう。
しかし、瞳の奧に油断なく燃えさかっている炎を隠しきれてはいない。
それに気づかない振りをして、面倒そうな態度を取ってみせる。
「オスカー、それは後だよ。さっきも言ったろ?取り込み中だって。悪いけど今は出て行ってくれないか」
炎が揺れた。
「どういう意味だ?」
「そのままだよ。とにかくここはワタシの部屋なんだ。後でまた連絡する」
会話をしながら、オリヴィエは内心驚いていた。
オスカーは動揺している…いや、不安になっている。
だから、今どう行動すべきか迷っている。自信家で、鼻持ちならないこの男が。
ごめんねオスカー。アンタがそんな顔するなんて、きっとロザリアは特別なんだね。
でも今はまだダメだ。 アンタに渡すわけにはいかないよ。
そう…この子はワタシにとっても特別な存在なんだ。
全部は守れないだろうけど、守れるところくらいは守ってあげたいんだ。
「ロザリア」
物問いたげにオスカーが彼女の名を呼ぶと、ロザリアはゆっくりと立ち上がった。
「…ごめんなさいね。わたくしは大丈夫です。オリヴィエ、迷惑を掛けました」
オリヴィエに笑顔を向けた。
「ありがとう。わたくし、もうそろそろお暇いたしますわ」
まだロザリアの震えは止んでいない。
それに気づいているワタシが行かせるわけにいかないだろ?
「アンタが大丈夫でも、ワタシが大丈夫じゃないの。もう少しだけここに残ってよ。…というわけだから、今だけはアンタのお姫様の時間をもらうよ。いいだろ?」
オスカーは苦笑して頷き、ロザリアに近づいて頬にキスをした。
「後で必ず会ってくれよ?君の夢に出演させてもらうためにも、一日の最後は必ず俺の顔を見てもらわないとな」
ウインクを一つ残して、オスカーは出ていった。
足音が遠ざかり、部屋は静寂に満たされた。
「ごめんねロザリア」
知らず知らず、ため息が出る。
「…え?」
「ワタシがアンタを引き留めたから、ややこしいことになっちゃったね。後でオスカーにはワタシから上手いこと言っとくから安心して」
ふと、オスカーの目を思い出す。
…上手いこと言うにしても、本気でかからなくちゃいけないね。
「謝らなければならないのは、わたくしの方ですわ。本当にごめんなさい。オリヴィエに甘えてしまった結果、あなたに大変な迷惑をかけてしまいましたわね。…先ほど言いました通り、わたくしが後ほどオスカーに会いに行きますから。これ以上オリヴィエを巻き込むわけには参りませんわ」
沈痛な面もちで言うロザリアを見て、自分が情けなくなった。
あ〜あ、何やってんだろーね。 大切な女の子の気持ちを楽にしてあげることもできないなんて。
それどころか、さらに荷物を背負わせてしまうなんて、さ。
「もし辛いことがあったら、いつでもワタシのところにおいで。ワタシはいつでも待ってるから。アンタも言ってくれたろ?ワタシが兄みたいだってさ。いつだって妹の幸せを望んでるんだから…もっと甘えてほしいんだよ」
だから、せめてアンタの心の受け皿にならせてよ。
アンタが孤独を感じた時に、ワタシがいるってだけでも気が楽になるんじゃないかって思うんだ。
「ありがとう…オリヴィエ」
「どーいたしましてって、何もできなかったけどね」
返事はなかった。
ロザリアを見ると、ぼんやりした顔で冷めてしまったカップに手を伸ばそうとしている。
「とりあえず、もう少しだけゆっくりしていきなよ。お茶を淹れなおしてくるからさ」
席を立とうとした瞬間、突然ロザリアが口を開いた。
「そんなことありませんわ。…わたくし、オリヴィエのおかげで勇気が出ましたもの」
「勇気?」
聞き返したオリヴィエに向かって、力強く頷いた。
「ええ。オスカーと話すきっかけを作って下さったじゃありませんか。もちろん二人きりの時間はありましたけれど、これまでずっと何も言えませんでしたわ。でも今なら勢いを借りて…後で後悔するかもしれないけれど…言えますわ」
「何を言うんだい?」
当然の疑問を口にしたオリヴィエに、驚いた顔をして、首を傾げた。
「そういえば…何を言うかは考えてませんでしたわ。でも、とにかく行って、その時に思ったことを言いますわ。このままでは、誰も、何処へも行けませんもの。全ての原因はわたくしが作りました。わたくしだけが目を背けるわけには参りませんわ。流されるままに、と思ったこともありましたけれど…今となってはそうもいきませんから」
あまりの変わり様に、不安になる。
「大丈夫かい?」
「貴方には虚勢を張ることは止めましたから素直に言いますわね。大丈夫ではありませんわ。でも今しかないと思うのです」
その言葉に励まされて、さらに踏み込む。
「アンタは何を選ぼうとしてるんだい?選ぶものは決まったのかい?」
「わたくしは…何も選ばないことを選ぼうと考えています」
虚勢を張らないと言ったばかりなのに、彼女は精一杯虚勢を張りながら、笑って言った。
「わたくしが何もかも失って戻ってきたら、もう一度ここで泣かせて下さいね?」
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