「ロザリア!こっちだよ!」 明るい茶色の髪の毛が、風に撫でられてそよそよと揺れている。 ああ、この人はなんてかわいらしいのかしら…気持ちよさそうですこと。 思わず笑みが漏れてしまう。 「ねえ、どうして笑っているんだい?」 「いえ、ランディ様の髪が風に撫でられている様子が、あまりに気持ち良さそうに見えたものですから」 さすがに『かわいらしい』とは言えませんものね。 そうだったのか、と納得したように頷いたあと、考え込むような顔をし始めた。 くるくる表情が変わる。 知り合った当初は落ち着きがないと思っていたけれど、今ではそんな彼を見ていると心が弾む。 恋愛って良いものね、と一人呟いてみる。 いささか冷静過ぎるように聞こえる台詞であるが、彼女の胸は温かい感情で満たされていた。 ロザリアは、恋をしたことがなかった。 友達から恋人についての話を聞かせてもらう時、あるいは聞かされる時にこっそり悩んでいたことがある。 『わたくしも、いつかこの人のようになれるのかしら』と。 全くの他人である男性の発言や行動で、自分が一喜一憂できるのかが不安だったのだ。 人が聞けばおかしな悩みなのだろうと思いながらも、彼女自身は大真面目に考えていた。 好きになったからって、その人の笑顔を見るだけで幸せになったりするものなの? その人から連絡が少し途絶えたくらいでも、不安に思うことができるものなの? …わたくしは、とてもそんな風になれるとは思えない。 そんなことを考えていると、なおさら恋愛が遠く感じられるようになった。 互いに依存し、依存され、縛り合って喜んでいるように見えるカップルを内心では馬鹿にしていた。 しかし、自分はそうはなれないと思うと、少し寂しかった。 時々、そんな想いを親しい友人にこぼしてしまうこともあった。 だが、本当は少しだけ誇らしくもあったのだ。 皆が吸っている甘い蜜を味わえないことで、やはり自分は特別だと思う事ができたから。 恋を特別視している、という点ではなんら他の少女と変わりはなかったのだが、彼女の辞書にある恋愛がらみの単語は、彼女自身の手によって様々な味付けがなされ、原型を留めてはいなかった。 自分自身の意識が変わらなければ、恋など永遠にやってこないような気がしたし、意識が変わることはあり得ないように思いこんでいた。 憧れも、軽蔑も、寂しさも、優越感も、どれも同じだけあった。 「ロザリア、どっちのこと?」 ランディの笑顔が間近にあった。 「え…?」 少し前までの自分を思いだして分析していたので、突然の接近にも質問にも対応できない。 「気持ち良さそうって言っただろ?」 つい先ほどのやりとりのことだと気づき、慌ててロザリアは笑顔を作る。 そして、後ろに少し下がりながら、ええ、とだけ言った。 ―――――――なぜこんなに屈託なく近くまでいらっしゃることが出来るのかしら…心臓に悪いですわ。 「それってさ、風が?それとも俺の髪が?」 言っている意味が、よくわからない。 首を傾げたロザリアに、ランディは爽やかに笑って言った。 「もし俺の髪の毛が気持ち良さそうだって思ったんだったら、いつでも触っていいから!」 ロザリアの瞳が、大きく開かれる。 「もうっランディ様ったら…!」 先ほどから少し赤かった頬の色を強めて、胸を押さえながら恥ずかしそうに呟くロザリアを不思議そうに眺めた彼は、しばらく考えてからようやく顔を赤らめた。 「へ、変なこと言っちゃってゴメン!」 「…いえ」 ランディの執務室で長い話をした時のことを思い出す。 誰にも言わなかった恋愛に対しての価値観を初めてぶつけた日。 何のてらいもなく恋愛への賛辞を口にする彼に苛立ちを覚えて、思わず吐き出してしまった。 憧れも、軽蔑も、寂しさも、優越感も、全て。 『その時その時の自分の気持ちに素直に従えばいいんじゃないかな』 勿論、考えることだってすごく大事だけど、と付け加えた後に言ったあの言葉。 『恋愛ってさ、きっと特別で、特別じゃないものだと思うから』 一笑に付すのは簡単だった。 しかし、なぜかそれはロザリアの道しるべとなった。 この先どうなるのかは、わからない。 ある日突然、どうでもよくなるのかも知れない。 だが、それは今考えることではない。 そうなってから考えれば良いのだから。 ――――――――――今、わたくしはドキドキしている。 溜め息を一つ吐いて、負けましたわ、と口に出す。 「え?負けたって君が?…どういうことだい?」 突然の言葉に戸惑いながらも、負けず嫌いのロザリアのその言葉に不穏なものを感じ、ランディは心配そうな顔をする。 「あら、ご心配には及びませんわよ?」 そんな彼を横目で観察しながら、ロザリアは澄ましている。 ―――――――――意地悪をして申し訳ございません…でもランディ様のせいなのですわよ? 負けず嫌いの女王候補は、恋愛に身を任せる気持ち良さに、素直に敗北を認めたのだ。 状況が把握出来ないランディだが、ロザリアの様子を見て安心する。 負けたとは穏やかではない言葉だけれど、目の前の彼女は少し照れながらも微笑みを浮かべているから。 青い薔薇だと称されることが多い彼女だが、今はかわいらしいピンク色の小さな薔薇のように見える。 風が草をサワサワと揺らしながらやってきて、二人の鼻先を掠めた。 まるで風が草の匂いを二人に届けようとしたように、ロザリアは感じた。 そして、それを彼に向かって口にしてみる。 「素敵だね」 にっこり笑って応える彼の目は本当に口よりも饒舌で、ロザリアは幸せで目がくらみそうになったから。 そっと目を閉じた。 end novel top |