口癖



 口癖。わたくしのそれは『当然ですわ』だと、突然あの人に言われた。
 その時は、馬鹿にされたのだと思って嫌な気分になった。
 何か言い返そうと彼の顔を睨みつけたけれど、いつものように人の良い笑顔を浮かべていたから、結局何も言えなくなってしまった。

「第一発見者は、俺だよね?」
 嬉しそうに続けた彼の顔を見て、わたくしは動けなくなった。
「おかしなことをおっしゃる方ですわね」
 少しの間を置いて、なんとかそれだけを返したわたくしの顔は、多分、その時の彼とそう変わらない表情をしていたのだと思う。

 だって、彼がわたくしを馬鹿にしているわけではないことがわかってしまったのですもの。
 それだけではなくて、ランディ様はきっとわたくしのことを…。
 ああ、でもそれはただの勘違いかもしれないわ。
 けれど、とにかく嬉しかったの。







 来客を知らせるベルが鳴った。
 訪問者はドアが開くのが待ちきれないようで、ドアの向こうからなにやら叫んでいる。

「アンジェリークさんのあのご様子では、今日はお泊り会になるんでしょうけど、できるだけ早くお休みになって下さいませね」
 そうロザリアに注意をしたばあやは、そのくせにこにこと笑いながらドアに向かって歩き出した。
 ばあやはあの子に甘いんだから、とロザリアは呆れ顔を作った。

 二人の女王候補は、時々『お泊り会』をする。
 会、と名づけられてはいるが、どちらかの部屋で夜を過ごすだけのことである。ただ、アンジェリークがそう呼ぶので、ロザリアも自然とそれに倣うようになっていた。ロザリアがそう呼び始めてからは、ばあやにもそれがうつった。

「こんばんはー!」
 元気良く挨拶をしたアンジェリークの姿を見て、ロザリアとばあやは顔を見合わせて笑った。
 彼女自身が『お泊りセット』と呼ぶ大きなバッグを両手に抱えたアンジェリークは、状況を掴めないながらも、つられて笑った。


 お茶を飲みながらのお喋りが止まった時、ロザリアはふと思い出してアンジェリークに聞いた。

「ランディ様の口癖?」
「そう、ランディ様に口癖なんてあったかしら?」
 しばらく考えてから、アンジェリークは顔を上げた。
「『こら、ゼフェル!』とか?」
 確かに鋼の守護聖に注意をしている姿をよく見かけはする。だが、ロザリアはそれは違うでしょう、と苦笑した。
「うーん、他には思いつかないわ。だいたい、ロザリアが気づかないことを私が気づくわけないじゃない」
 拗ねたように口を尖らせてそう言ったアンジェリークに、ロザリアは顔を赤らめた。
 そして、やや強い口調で言った。
「ちょっと!その言い方だとなんだかわたくしがランディ様に特別な感情を持っているみたいじゃないの!」
 頬杖をつくのをやめてロザリアの顔を見たアンジェリークは、顔をほころばせた。
「…そういうつもりで言ったんじゃないんだけど、ロザリア、もしかしてそうだったの?」
 言われて、初めて気がついた。
「え?…あ、そうなのかも…しれないわ」
 
 あら、ロザリアも今わかったの?と笑ったアンジェリークに、すぐに答えることができなかった。
 彼とのデートを楽しみにしている自分。
 他の守護聖の前では感情を上手くコントロールできるのに、彼の前でだけはそれができない自分。
 彼を見ると、思わず走りよって声をかけてしまう自分。
 
 多分、彼が好きなのだろう。ヒントは出揃っていたのだ。

 アンジェリークが空のティーポットを手に持って立ち上がった。その音で我に返ったロザリアは、慌てて声をかける。
「わたくしがやりますわよ!」
「いいのいいの!ロザリアは自分の気持ちを整理しておいて!」
 そういい残して、アンジェリークはいそいそとキッチンに向かった。
 諦めのため息と共にそれを見送ったロザリアだったが、それでも素直に考えを巡らせ始める。
 自分がランディを好きになったきっかけや、彼の好ましい部分をきっちりと簡潔に説明できなければ、長い夜になってしまうに違いないからだった。
 このようにして、二人の女王候補はロザリアが恋を始めていたことを同時に知った。




 最初に気づいたのは、やはりアンジェリークだった。
 親友の思い人もまた、親友に惹かれていることをいち早く知って、彼女は我が事のように喜んだ。
 親友思いの彼女は、二人の恋が実るように少なからぬ努力をした。
 あからさま過ぎる彼女の気遣いに、ロザリアとランディは何度か困らされ、赤面させられた。しかし、結局二人はそれに感謝することになる。


「アンジェリークから聞いていると思うけど、俺、ロザリアのことが好きだよ」
 公園で噴水を眺めながら、ランディはなんでもなさそうにロザリアに告げた。
「わたくしも、ランディ様が好きですわ。アンジェリークからお聞き及びかと思いますけれど」
 会話を止めて、二人は互いを見つめあった。そして、吹き出した。
 ひとしきり笑いあってから、二人は散歩の続きをした。歩きながら話したのは、アンジェリークのことばかりだった。ロザリアは、アンジェリークがランディをどのようにけしかけたのかを知り、ランディは、自分の行動を逐一ロザリアに報告されていたことを知った。
 ロザリアの長い話を聞いた後、アンジェリークは良いところばかりを選んで言ってくれてるみたいだ、とランディは笑った。
 
 ロザリアを寮まで送ったランディは、息を大きく吸い込んだ後、ありがとう、と言った。
 約束は何も交わされなかったが、ロザリアの胸はその言葉だけでいっぱいになった。




「ありがとう」
 それこそが彼の口癖であることに、ロザリアは気づいた。
 なんでもないことに対しても、彼はその言葉を口にする。

 デートの誘いを受けた時は、心から嬉しそうに。
 物を取って渡してあげた時は、少しすまなさそうに。
 彼のジョークがおかしくて笑った時にまで、照れくさそうに。

 彼は、「ありがとう」を言う。

 ロザリアは、そんな彼を誇らしく思うようになった。
 「ありがとう」と聞くたび、温かい感情が胸に生まれた。
 感謝の気持ちを自然に持ち、それを当たり前のように口に出せる彼を、素晴らしい人だと思った。
 そんな彼を好きになった自分のことも、好きになった。
 ベッドの中で彼の口癖を真似てみると、優しい気持ちになれることも知った。
 そして、彼に向けて同じ言葉を呟いてから眠るようになった。喧嘩をした夜は別にして。




 女王試験に敗れたロザリアは、迷った末主星に戻ることに決めた。
 アンジェリークは泣きながら、ランディは必死な顔で、それぞれ引き止めてくれた。
 嬉しかったけれど、補佐官になるつもりはなかった。
 大好きな人たちと離れるのが辛くて、何度か泣いた。自分で決めたことなのだといくら言い聞かせても、止められなかった。

「優しくて、綺麗で、とっても素敵な君が、俺を好きになってくれたこと、絶対に忘れないよ」
 声を殺して涙を流すロザリアを抱きしめながら、ランディはそう言った。
 耐え切れなくなったように何度も首を振ったロザリアは、身体に廻されている彼の力強い腕が震えていることに気づいて、自分の頬をランディの頬にすりよせた。ロザリアの前髪が、彼女のものではない涙で湿らされていく。
「ロザリア」
 返事を待たずに、普段の彼と変わらない自然さで続ける。
「俺と出会ってくれて、ありがとう」
 その声は、確かに悲しみに彩られていた。しかし、それでも彼が自分に心から感謝をしていることがロザリアにはわかった。それは疑い得ない事実として、ロザリアの前に捧げられた。こんなときに、と思ったが、恋人としてではなく、一人の人間として彼に尊敬の念が生まれた。
 この時は、降りてきた彼の熱い唇が、場にそぐわない気持ちを溶かしてくれた。









 飛空都市での生活は、なにより大切な宝物。
 大学に通うようになった今でも、それは変わらない。


「ロザリアってどんな男の人がタイプなの?」
 講義が休講になると、中庭のカフェでお喋りをするのが最近のお決まりだ。
 恋人と喧嘩をしたらしい友人の一人が、アイツは元々好みのタイプじゃないのよ、と言ってジュースを飲み干した。そして、一息ついた彼女に聞かれたのだった。
「『ありがとう』が言える人、よ」
 わたくしがそう言うと、皆は不思議そうな顔をした。
「知的で、大人で、もちろんお金持ちで、とかそういうのじゃなくて?」
「ロザリアって、すっごく理想高いと思ってた!」
 口々に言う友人達に、あの人を見せてあげられたらいいのに、と思う。
 わたくしの初恋の人。優しい笑顔の人。思い出すだけで、嬉しい気持ちになれる思い出をくれた人。

「あら、『ありがとう』が言える人って、素敵な人なのよ?わたくし、自分の理想が高くないとは決して思わないわ」

 妙に具体的じゃない、とからかう彼女達に、「それは内緒」と片目を瞑って見せた。









end







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