彼と彼女の類似点





 彼は、憂鬱と手を繋いで扉の前に立った。ノックをするために手を胸の前に出して、すぐに引っ込める。
 その動作を繰り返すこと十分、前触れもなく扉は開かれた。
 そこに人がいるとは思わずに部屋から出てきた女王補佐官は、驚きの声を上げた。…衝突を避けることができたのは、彼ではなく、彼女の運動神経による。
「ルヴァ!?」
「ロザリア…あの…」
「ごめんなさい!すぐに戻ってまいりますので、中で待っていて下さる?」
 それだけ言うと、ロザリアは急ぎ足で廊下を歩いていった。
 
 ロザリアの背中を見送ってから、おずおずと部屋に入ったルヴァは、ためいきをついた。
「探しても探しても、見つからなかったんです……」
 そう呟いて、もう一度ためいきをついた。

 地の守護聖は、女王補佐官に恋をしていた。
 彼女がまだ女王候補であった頃に恋に落ちているので、何の自慢にもならないが、その片思い歴は長い。

 補佐官の前には、果敢にも彼女を手に入れようと行動を起こした勇者達の屍が積み上げられている。
 ライバルが玉砕するたび、ルヴァは彼女の望みの高さに恐れを抱いた。いったい彼女は、どんな男なら満足するのだろう、と。

 もしも、自分が女性に思いを告げられたとしたら、きっと悩むに違いないし、断るとなったら途方もないエネルギーを必要とするだろう。
 今のところ、そんな心配をする必要が全くないことは、喜ぶべき…なのだろう。
 男である自分が見ても非の打ち所のない者を、顔色ひとつ変えずに袖にするロザリアの精神力もまた、恐れの対象だった。
 もちろん、はっきりとした答えを出さずにいつまでも繋ぎとめようとするよりは良いとは思う。それに、彼にとってなにより最も恐ろしいのは、彼女に恋人ができることだ。

「人は、自分にないものを求めるっていいますからねー」
 部屋の主のことをあれこれ考えながらそう呟いたルヴァは、現実逃避をしていた。
 



 話は半年前に遡る。

 どのような経緯でそうなったのか、ルヴァは忘れてしまっていたが、二人は立ち話をしていた。
 その時に、ロザリアは幼少の頃に読んだという童話の話をルヴァに聞かせた。

 ”かなしみの王女さまは、しあわせな王女さまになりました”という最後の一文と、その話が大好きだったことだけしか覚えていないが、いつかまた読んでみたいと懐かしそうに呟いたロザリアに、思わず言ってしまったのだ。
『その本を、次のあなたの誕生日にプレゼントします』と。
 ロザリアは驚いた顔をして、首を横に振った。
 最後の一文を間違って覚えているかもしれないし、仮に正しかったとしても情報が少なすぎる。無駄な努力になる可能性が高いのだから、気持ちだけありがたくいただくと、ごく当たり前の返答をした。
 だがルヴァは頑として譲らず、楽しみにしていて下さいね、と話を終わらせた。

「それなのに…あの時、私はなぜああも頑なになってしまったのでしょうかー」
 言いながらも、答えはわかっていた。
 頑なに言い張った理由は、ロザリアに好きになってもらいたかったからだ。
 そして、同じように考えているライバル達を出し抜きたかったのだ。

 知を司る守護聖である自分は、一般には開かれていない書庫に出入りすることが可能である。『本の虫』と呼ばれるほど、暇があれば書物を読み耽っているため、人よりも本に関する知識は豊富だと自負もしていた。読書家同士のネットワークもある。
 彼女のためにできることはいくつかあるが、これこそは自分にしかできないことだと過剰な自信を持った結果、今日ルヴァは項垂れている。
 ロザリアの誕生日は明日だというのに、結局、ルヴァはその童話を探し出すことができなかった。その謝罪をするため、この部屋を訪れたのだ。




 自己嫌悪と不安の中で過ごす時間は、遅々として進まないようにも、通常の数倍の速さで流れているようにも感じられた。
 落ち着きなく顔の向きを動かしていると、鏡台に並べられた色とりどりのマニキュアの小瓶が目に入った。
 ルヴァは、普段の彼なら絶対にしなかっただろう行動をとった。惹かれるまま鏡台に近づき、彼女その人のような色の青紫のマニキュアに手を伸ばした。彼がマニキュアを手にとった瞬間と、ロザリアが部屋に戻ったのは同時だった。

「お待たせしてごめんなさい」
 ルヴァの行動を特に気にする様子もなくロザリアは言ったが、ルヴァは慌てふためいてマニキュアを鏡台に置いた。耳障りな音が部屋に響く。
 その一連の流れの全てが恥ずかしく思えて、ルヴァは真っ赤になった。
「あの、勝手にあなたのものを触ってしまって…」
「お気になさらないで。触られて困るようなものは、この部屋に置いてはおりませんから」
「ロザリア…すみません」
 申し訳なさそうに謝るルヴァに、ロザリアは微笑んだ。
「いえ、お待たせしたのはわたくしですから。ところで、どうなさったの?」
「あの…本当にすみません!」
 繰り返すルヴァに、ロザリアは怪訝そうな表情を作った。
「探したのですが……」
 そう言って、ルヴァは沈黙した。しかし、これだけではなにもわからないではないかと自分を叱咤し、その後を続けようと息を吸い込んだが、先に発せられたのは、ロザリアの声だった。
「……童話のことかしら?」
 機先を制されて戸惑いながら、ルヴァは首を縦に振った。
 探した、という言葉だけで童話のことだと理解したロザリアは、よほど楽しみにしてくれていたのだろう。ルヴァは、暗い気持ちでそう考えた。
「期待させるようなことを言っておいて…申し訳ありません…」
 ルヴァが顔を上げると、ロザリアは笑みを浮かべていた。嬉しそうに見えたが、それは自分の気のせいだと判断した。この状況のどこに彼女を嬉しがらせるものがあるだろう。
「ルヴァが探して下さっても見つからなかったということは、やはりわたくしの記憶に間違いがあったのでしょう。わたくしこそ、ごめんなさいね」
 柔らかなロザリアの態度に、ルヴァは胸を撫で下ろしたが、彼にはもうひとつ言わなければならないことがあった。

「…まだ謝らなければならないことがあるんですよ。本を探すのに必死で、明日の誕生日にあなたにお渡しするべきプレゼントを準備できなかったのです。何か欲しいものがあれば、教えてくださるとありがたいんですが」

 本人に欲しいものを聞くのは野暮だとわかってはいたが、今朝まで童話のことで頭がいっぱいだったため、諦めてからも上手く気持ちを切り替えられなかったのだ。たった一日でいいアイデアが浮かぶとも思えなかったし、適当なものでお茶を濁すのは避けたかった。
 せめて、迷惑にならないような、実用的なものを贈ることができれば、と考えたのだ。
 ロザリアは、しばらく沈黙した後に口を開いた。
「ごめんなさい、今は特に浮かびませんわ」
「そうですよねー…急に聞かれても困りますよねー…」
 眉尻を下げ、元気なく呟いたルヴァを気遣って、ロザリアは彼の顔を覗き込むように首をかがめた。
「お気持ちだけで十分でしてよ?一生懸命探してくださったのでしょう?」
「そんな…せっかくのお誕生日なんですよー!?」
 やや大きめの声で言ったルヴァは、自分が童話をプレゼントすると言った時と状況が酷似していることに気がついた。遠慮するロザリアと、押し付ける自分。なにも学んでいない。

「どうしてもと仰るなら、お願いを聞いていただきたいのだけれど…」
 どこまでも落ち込んでいきそうだったところを救われて、ルヴァは即答した。
「私にできることでしたら、なんでもさせていただきますよー」
「先ほどあなたが手にとっていたものを覚えていらっしゃいますか?」
「えー……、青紫色のマニキュアですかー?」
 ロザリアは、ルヴァの返答に微笑んで、続けた。
「ええ。それを、わたくしの爪に塗っていただきたいの」
「え…ええーーー!?」
 驚いて声を張り上げたルヴァに向けて、ロザリアは満足げに微笑んだ。
「では、お願いいたしますわね」
 鏡台に向かって歩を進めたロザリアは、椅子に腰掛けて右手を前に差し出した。
 無理ですよー、という言葉をルヴァは飲み込んだ。なぜだか楽しそうな彼女の笑顔を、もっと見ていたかったのだ。
「マニキュアを塗るのは初めてですが、いいですかー?」
 笑顔のまま頷いたロザリアに、また質問をする。
「仕上がりに責任は持てませんけど、本当にいいんですかー?」
 ロザリアは、困ったように僅かに頬を染めた。
「綺麗に塗っていただけるとは思っておりませんわ。あら、失言ですわね」
 ルヴァは、この日初めての笑顔を浮かべて、マニキュアの蓋を開けた。
「それならいいんですー。では、行きますよ。…覚悟はいいですねー?」
 震える指で、彼は彼女の爪に最初の一刷毛を塗った。

 青紫色のマニキュアは、瓶に入っている時は少し色が強く、濃過ぎるように思えたが、実際に爪に塗ると淡くて優しい色味だった。
「本当に、あなたみたいですねー」
「え?」
「…いえ、あの…とても綺麗な色ですね、と言ったんですよー。ああ、でも…大変なことになってしまいました…」
 マニキュアは、予想以上にはみ出ていた。こんな爪をした女性を見たことはない。  つまり、完全な失敗なのだろうと考えて、ルヴァはそう口にした。
「出来上がりが楽しみですわ」
 ロザリアは、おかしそうに笑った。
 



 補佐官の誕生パーティーは、非公式なものながら、女王陛下主催の元に盛大に執り行われた。
 磨きたてられた大広間の床を鳴らして華麗にステップを踏む紳士淑女。それを助けるオーケストラ。シェフが腕をふるって作った料理。隙間を埋めるように飾られている花、花、花。

 この日の主役であるロザリアは、必要以上の豪華さに困惑していたが、彼女自身も、夢の守護聖の手によって美しく飾られていた。
 ただ、オリヴィエにとっては残念なことに、頭の先から爪の先まで…ではなかった。
 オリヴィエは、ロザリアの爪に目をやってため息をついた。
 今日のロザリアの爪の状態は美への冒涜だ、と彼は呟いた。
 マニキュアはみっともなくはみ出しているし、何度もリムーバーをつけられたらしい爪の周りは、荒れてささくれだってしまっていて、見ているだけで悲しくなってくる。
 彼女がグラスを持っていても、ダンスをしていても、その部分ばかりが気になるのだ。爪以外は、最高の出来栄えなのに!

 歯噛みをしていると、彼女が手を翳して爪を眺め始めた。その笑顔は、オリヴィエを驚かせた。
 もちろん、彼女の笑顔を見るのが初めてだというわけではない。だが、今彼女が浮かべているそれは、見たことのない種類のものだった。ロザリアの表情によって、オリヴィエには”犯人”がわかった。
 完璧な美の化身になりそこなったはずの彼女は、この上なく綺麗だった。胸に秘めた恋心が、匂い立つように彼女を包んでいた。
 
 どんなメイクよりも彼女を美しくするのは、壁に背をもたせかけて彼女ばかりを見ている不届き者なのだと、オリヴィエは多少の悔しさを持って理解した。そして、その男の前まで歩いていき、声をかけた。
「どうしたんですかー?」
 ロザリアを見ていたことを気づかれたくないのか、彼にしては早口で言った。
「女の子は恋をすると美しくなるって言うよね?」
 不機嫌を隠さずに言うオリヴィエに、ルヴァはいつも通りの態度で応じた。
「あー、そうですねー。よく聞きますねー」
「あの笑顔に免じて、爪のことは許してあげる。その代わり、もっともっとあの子を綺麗にしなきゃ許さないからね!わかった!?」
「えー…あの、何の話でしょう?」
「この鈍感!ワタシだって、なんであんたなんだかわかんないよ!」
 オリヴィエは話を一方的に打ち切って、ルヴァに背を向け歩き始めたが、すぐに振り返った。
「こんなにわかりやすい男なのに……。鈍感なのは、お互い様ってやつか」
 彼の視線の先には、ロザリアに視線を戻して幸せそうに目を細めるルヴァがいた。


 









end








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