キーボードから指先を離して、補佐官は深いため息をついた。
職務に集中するための努力は実を結ばず、時間ばかりが過ぎていく。
ロザリアの憂鬱の原因は、産まれてから女王候補として主星を発つ日までの彼女自身の映像を収めたディスクだ。
ひょんなきっかけで守護聖たちや女王候補に見せることになってしまったのだが、ディスクの最後にロザリアも気づいていなかったおまけがついていた。
試験で一位をとって高笑いをする姿。声をかけてきた男性を手ひどく追い返し、仁王立ちで見送る姿…つまり、『女王補佐官』になる前のロザリアが、学友たちの手により、時と場所を超えて披露されてしまったのだった。
今では、かつての自分の常識と世間のそれがかけ離れていたことを理解しているし、世間知らずだった頃を懐かしくも思う。 ただ、補佐官としての自分しか知らなかった女王候補の二人の呆然とした顔を思い出すと、どうしても気分が重くなるのだ。
「このままでは、仕事になりませんわね」
何度目かのため息を飲み込んで、コンピュータの電源を落とした。
商人は、新しく仕入れた商品を並べながら、ああでもない、こうでもないと悩んでいた。
「なーんか、パッとせーへんなあ」
呟いて顔を上げると、聖殿の方向から女王補佐官が姿を現した。
「ロザリアさま〜!」
大声で呼ばれた補佐官はすぐに気づいたが、声が届く距離まで近づいてから応えた。
「チャーリー、ごきげんよう」
「いらっしゃいませ!ロザリアさまが来てくれはったから、見ての通りご機嫌になりました。でも、ロザリアさまは違うんちゃいます?」
「なぜそう思ったのかしら?」
「歩きながら、あんまり元気がないようなお顔をされてたんで」
答えを聞いて、感心したように頷く。
「あんなに距離があったのに、さすがですわね」
短いやり取りの間に椅子を用意されたロザリアは、少し悩んだものの結局座ることにした。
この商人は油断がならないところがあるが、話し上手で聞き上手だ。
良い気分転換になるかもしれない。
「そういえばロザリアさま、先週に見せてもらったあれですけど、ビックリしましたわ〜」
言われたロザリアは、思わず眉を顰めた。
チャーリーの発言は不躾にすら感じられたが、彼は今正に自分がその件で悩んでいることを知らないのだからしかたがないと思いなおす。
落ち着くためにカウンターテーブルの上に出された紅茶を一口飲んだが、期待以上の味に顔がほころんだ。
「とてもおいしいですわ。丁寧に淹れてくださったのね。ありがとう」
ロザリアの表情の変化を驚きと共に見つめていたチャーリーもまた、安心したように笑った。
「とっておきのお茶出させてもらった甲斐がありましたわ〜」
そう言いながら店じまいを始めたチャーリーに、ロザリアは慌てて声をかける。
「わたくし、すぐに帰りますわ」
「もともと、今日はいまいち気分が乗らへんかったんです。ロザリアさまさえよければゆっくり飲んでいってください」
いまいち気分が乗らないのは自分も同じだ。そう思ったロザリアは、わりきって腰を落ち着けることにした。
「先週のこと、気にしてはるんですか?」
カウンターの中で自分用の珈琲を淹れながらそう聞いた商人は、まるでバーのマスターのようだ。
「本当に、なんでもわかるのね」
苦笑して肯定する。
「職業柄、人の心の動きにはわりと敏感なんです。まあ、もともとの性格もあるとは思いますけど」
商人の返事に納得した補佐官は、腹を決めて口を開いた。
「先ほどあなたにも言われたけれど、女王候補の二人も驚いたでしょうね」
驚いたどころか、ショックを受けている様子の二人の顔を思い出したが、落ち込んでいる補佐官にそれを正直に言うのはためらわれた。
「そんなに気にされへんでもいいと思いますけどねえ」
出された菓子に視線を移して、ロザリアは少し表情を和らげた。
「とてもかわいい焼き菓子ですわね」
丸くデフォルメされた、薄いピンクの薔薇の形のクッキーをそっと摘まむ。
「全部形が違うんです。花以外もいろいろあるんで見たってください」
「本当に一つずつ違いますわね。どれも凝っていて、お菓子には見えないほどですわ。これは白いコート、ピアノ、ルビーのついた指輪、この黄色いスカートは民族衣装かしら…あら、はりねずみ!」
候補たちくらいの年齢の女の子に喜ばれるだろうと思ったからこそ仕入れた商品だったが、補佐官がこれほど興味を示すとは想像していなかったので、チャーリーはまた少し驚いた。
そして、同時に補佐官と候補たちの年齢がそう変わらないことに気づく。
立場と見た目がそれを忘れさせるが、彼女はまだ二十歳にもならないのだ。
「新しい商品が入荷したんですけど、ご覧になります?」
そう言ってみると、ロザリアは目を輝かせて頷いた。
「わたくし、雑貨は好きですの。見せていただきたいわ」
ほなさっそく、と仕入れたばかりの商品のいくつかをロザリアの目の前に並べる。
「どれも素敵ですこと!」
楽しそうに、ふちに小鳥のモチーフがついた白いカップを手に取った。
「その小鳥、舐めてみてください」
「え?」
「鳥の部分だけ、砂糖でできてるんです」
「本当に!?とても信じられませんわ!」
砂糖菓子の小鳥をじっと見つめるロザリアは、もう少女にしか見えない。
「今日はいつもと違う感じのロザリアさまを見せてもらえてうれしいですわ〜」
チャーリーの言葉に、補佐官の顔が僅かに曇った。例のディスクのことを思い出したに違いない。
「昔のロザリアさまにはたしかにびっくりしましたけど、面白かったですよ。守護聖さまたちも笑ってはりましたし」
「面白くありませんわよ!女王候補の二人には知られたくありませんでしたのよ。恥ずかしいということもありますけれど、彼女たちが安心して相談ができる存在でないといけませんのに、信頼をなくしてしまったかと思うと笑っていられませんわ!」
やや強い口調で訴えるロザリアの顔が、ディスクに収められていた彼女と重なる。
「こんなことを言うのは失礼かもしれませんけど、まだお若いやないですか。職務にあたられてる時はほんまに完璧な『補佐官さま』ですけど、それは当たり前やなくてすごいことです。年齢を重ねた人でも、『公』の時間だけと限定しても『公』を貫くことはなかなか難しいです。せやのにロザリアさまはさらに『私』の部分まで『公』であろうとしてはる」
チャーリーにとっては、実際に接するまで女王やその補佐官、守護聖たちはおとぎ話に出てくるキャラクターと変わらないほど遠い存在だった。
だから、女王や守護聖たちに先んじて対面した補佐官の第一印象が非の打ちどころのないものであったことも、なんとなく当然のような気がしていた。
良く言えば個性豊か、悪く言えば自己主張が激しい守護聖の面々に幻想が打ち砕かれた後も、補佐官だけは第一印象が崩れることはなく、それに対して疑問も持たなかった。先週末までは、だが。
「でも、わたくしは女王試験の責任者ですのよ」
「試験が進む中で、ロザリアさまですら候補時代は完璧やなかったってことを思い出して、気が楽になったり相談するきっかけになったりするかもしれませんよ。悪いことばっかりとちゃうと思います。それに、ロザリアさまよりもっと長いこと聖地にいらっしゃる守護聖様方なんかもう…おっと、まあ、ここから先は察していただけると助かります」
言わんとするところを理解して、ロザリアは思わず吹き出した。
しばらく二人で笑い合った後、補佐官は改めてチャーリーに向き直った。
「ありがとう。わたくし、元気が出てきましたわ」
「それはなによりです。そうや、そのカップ差し上げます。小鳥がほんまに砂糖かどうか試してみてください」
「そんなわけにはいきませんわ。せめて買わせてくださらないかしら」
「守護聖さまの悪口を、よりによって補佐官さまに言おうとしてたことについての口止め料やと思って」
「あら、悪口を言おうとしていたなんて気づきませんでしたわ。これは大変なことですわよ」
「ちょっと、ロザリアさまずるいですわ〜」
「冗談ですわよ。チャーリー、本当にありがとう。では遠慮なくいただくわね」
目を細めながら、ロザリアはカップをもう一度手に取った。
「わたくし、うれしくってよ!」
屈託のないロザリアの笑顔が、無防備だったチャーリーの胸をダイレクトに打った。
それは、彼にとって長らく縁のなかった感覚だった。戸惑いながら状況を理解しようとしているチャーリーに気づかず、ロザリアは帰り支度を始めた。
「長居をしてしまってごめんなさい。何かお礼をさせてくださいね」
チャーリーとしてはもう少し話をしていたかったが、分の悪い勝負はしない主義だ。
「それでしたら、また近々遊びにきてくれません?しっくりこんと言いますか、納得いくディスプレイができへんのです。若い女の子の視点で見てもらえたら助かるんですけど」
またすぐに来ることを約束して、補佐官はチャーリーの店を後にした。
ロザリアをもてなした茶器を片付けながら、彼女が座っていた光景を思い出すと、自然にひとり言が出てくる。
「は〜、パッとしすぎですわ。華やかすぎますわ〜。もうなんか全然違う店でしたわ〜」
テーブルを拭く作業に移っても、ひとり言は続いていた。
「これやっぱりあれやろか〜それは厳しいで〜ハードル高すぎやん〜」
自宅に戻ってベッドに入っても、ひとり言は終わらなかった。
「…あかんわ。頭から離れへんってこれもうやっぱりあれやわ。恋やわ。恋」
諦めて呟くと、睡魔がそれを待っていたのか、ようやく眠くなってきた。
「女王補佐官への恋て、はなから悲恋になりそうな響きやん…でも、やってみなわからんで」
最後のひとり言を言い終えて、チャーリーは眠りについた。
この夜、彼は目まぐるしい展開の夢を見ることになったが、似たような現実が待ち構えていることはまだ知らない。
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