二度目の定期審査において、守護聖たちは二人の女王候補のどちらを支持するかを問われたが、試験が始まって二ヶ月しか経過していないこともあってか優劣はつかなかった。
緊張を強いられるのは審査される側だけではない。張り詰めた空気に支配されていた部屋から退出する足取りは、皆一様に軽かった。
「ちょっと興味あるな。ねぇ、それ見せてくれない?」
女王補佐官と並んで歩く夢の守護聖の声はそう大きくはなかったが、柔らかな茶色の髪に飾られた小さな耳に捕らえられた。
おとなしく見えて好奇心旺盛な女王候補は聞き逃さない。
「たいしたものではありませんわよ。というよりも、わたくしや家族以外の方が見ても面白くないものですわ」
「そんなことないよ。少なくともワタシにとってはね」
オリヴィエがロザリアに何かを見せてもらいたがっているようである。それが何かはわからないが、もちろんアンジェリーク・コレットも見てみたい。
とはいえ、補佐官と守護聖が話をしているところに割って入るわけにはいかず、どうしたものかと考えているうちに足が止まっていたようだ。
「おい、なに突っ立ってるんだよ。ぶつかりかけたじゃねーかよ」
「ゼフェルさま」
ちょうどいいところに、と言いそうになるのをこらえて、慌てて頭を下げていると、マルセルが近づいてきた。
「二人で何のお話してるの?」
「マルセルさま。オリヴィエさまとロザリアさまのお話が聞こえてきたんですけど、その内容が少し気になって」
最後まで説明しないうちに、マルセルは二人の元へ飛んでいく。
大人数で立ち話もなんだからと聖殿のカフェに落ち着いた頃には、オスカー、ルヴァ、レイチェル、ジュリアス、そしてなぜかチャーリーまで加わった大所帯になっていた。
オリヴィエが見たがっていたものは、ロザリアの成長を記録したディスクだった。
娘が結婚する時に渡すつもりで両親が準備していたらしい。
「産まれた時から家を出るまでのわたくしの映像がただただ続くだけですのよ。ですから、皆が見たがるようなものではないと言っておりますのに」
呆れ顔で紅茶を飲んだロザリアだったが、周りの反応は彼女の予想とは違っていた。
「ロザリアの子どもの頃か〜絶対かわいいよね!僕も見てみたい!」
「トーゼン私も見たいです!」
「でしょ?じゃあ今度の日の曜日にでもワタシの私邸で皆で見よっか」
「ジュリアスさまをお連れするのだ。オリヴィエ、丹念に掃除をしておくようにな」
盛り上がりを見せる一団から助けを求めるように、ロザリアは黙っている三人を見た。
「チャーリー、ルヴァ、ゼフェル、あなたたちは興味ないでしょう?」
商人は、心得た表情を浮かべて力強く頷いた。
「ここに来るまでは神話に出てくる神さまみたいなもんやった補佐官さまの幼少時代とか、見たいに決まってますやん!ルヴァさまも見たいですよね?」
「そうですね〜私も参加させてもらいたいですね〜。ゼフェルはどうしますか〜?」
「どーせ暇だしな」
彼女の気持ちを汲んでくれる者が一人もいないことを確認した補佐官は、とうとう諦めて頷いた。
「わかりましたわ。でも陛下には内緒にしておいてくださる?」
ロザリアがため息をつきながらそう言ったのと、いつの間に着替えたのか私服姿の女王が笑顔で近づいてきたのは、ほぼ同時だった。
ひどく凝った編集がされたオープニングが終わり、大声で泣く赤ん坊が映し出された。
「猿みてーだな」
壁にもたれながらひとり言のように呟いたゼフェルに、オリヴィエは嫌な顔をした。
「みんな産まれた時は猿だよ。ま、あんたは今も猿っぽいところあるけどね」
「あー!?オレが猿ならおめーは毒キノコだろ」
「毒キノコ!?ちょっと、キノコはひどくない!?せめて動物に例えてよ!」
ジュリアスは驚いたように目をみはっている。
「新生児か…思いのほか小さいものなのだな」
「そうですねー。生後すぐの赤ちゃんを見ることはあまりありませんものねー」
「しかし、この赤ん坊がとびきり美しい女性に成長するとは想像しづらいものだな」
「ちっちゃーい!でもロザリア、産まれた時から声が大きかったのね」
好き勝手なことを言う面々と渋面を作っている補佐官を交互に見て、女王候補たちは思わず吹きだした。
「陛下とロザリアさま、普段とご様子が違って面白い〜」
「レイチェル、ロザリアさまの声って大きいかな?」
「んー、そう感じたことはないけど、どうなんだろ」
写真と動画によって、ロザリアの歴史はどんどん進んでいく。
初めての言葉は”かーたま”。
『母さまって言ったわ!』母親の喜ぶ声も収められている。
「お目目ぱっちり!まだ一歳なのにもうまつ毛長い〜!かわいい〜!」
「先ほどロザリアが持っていた絵本、あれはとても貴重なものなんですよ〜」
「あ、ばあやさんだ!あれ?あの頃のばあやさんとあんまり変わらないな…飛空都市に来た時のばあやさん、何歳だったんだろ」
「マルセル、お前はどこに目をつけているんだ?俺たちが知っているエリザベータさんよりずっと若いじゃないか」
喧騒を無視して懐かしそうに目を細めていたロザリアだったが、オスカーの言葉に表情を変えた。
「オスカー、あなたいつの間にばあやの名前を聞き出していたの?」
「それはもちろん初めて会った時だ。補佐官殿、嫉妬してくれるのか?嬉しいな。」
「…あなたらしいわね」
女王候補たちは、意外そうに顔を見合わせていた。
「守護聖さまたちって結構お喋りなんだね。ビックリしちゃった」
「レイチェル、聞こえちゃうわよ」
そう言ったものの、茶色の髪の女王候補も全く同じ感想を持っていた。
聖地に来て二ヶ月経つが、守護聖たちが大人数で自由に話をしている姿を見るのは今日が初めてだ。日の曜日に誘われて出かけることもあるが、意に沿わない発言をすると突然帰ると言い出すなど、彼らは気難しい。
プライベートではこんなに口数が多いとは思っていなかったが、親しくなると違うのだろう。
「意外と皆さま仲良しなんだね」
「アンジェリーク、それも失礼と言えば失礼」
ヴァイオリンの演奏会でドレスを着ている五歳のロザリアが映し出された。
「あら、素敵なドレスじゃない〜ロザリアにすっごい似合ってる!」
「ほう、これは素晴らしい演奏だな。とても五歳とは思えない技術に驚いたぞ」
「お人形さんみたいやな〜こんなきれいな子やと、親御さん心配やったやろな〜」
「そうですね〜もう今のロザリアの顔立ちをしていますね〜」
その後も、入学式に新入生代表として挨拶をしている様子や、コンクールでの授賞式など、華々しいシーンが次々に映し出される。
「ちょっと、天から何物与えられてんのこの子。偏りすぎじゃない?夏休みは家族で避暑地!白いワンピース!」
「オリヴィエもそう思ってた?神さまって贔屓しすぎだよね!私の夏休みなんて、毎年最終日は宿題の山で地獄だったのに!」
「計画的に宿題をしなかったご自分のせいで地獄を見ることになったのでしょう?」
「ロザリアの意地悪〜!」
今や候補の二人も、出されたオードブルの皿を空にする程度にはリラックスしている。
「ロザリアさまって子どもの頃からパーフェクトだね…」
「きれいで頭も家柄もいいんだもんね。陛下には少し厳しいけどお優しい方だし」
「でもロザリアさま、結構ツッコむよね」
ディスクには、ロザリアが女王候補として選出され、出立するその日までが記録されているようだった。終わりが近いのだろう、両親や友人たちからのメッセージが流れ始めた。
「家のこと思い出しちゃうね」
「ワタシたちも、もう二度と家族や友達に会えなくなるかもしれないんだよね…」
画面に『fin』と表示されたが、しばらくは誰も動こうとしなかった。
うるさかった守護聖たちも、自身の思い出に浸っていたり、涙を堪えているような表情を浮かべているロザリアを気づかわし気に見ていたりと静かになっている。
「これで終わりですわ。オリヴィエ、ディスクを出してくださる?」
重くなった雰囲気を変えようとロザリアが快活な動作で立ち上がったが、オリヴィエは人差し指を立てて口元にあてた。
「まだディスクは動いてる。続きがあるみたい」
「えっ!?」
オリヴィエの言う通り、暗転していた画面が明るくなった。
先ほど涙を流しながら別れの挨拶をしていた友人たちが並んでいる。
『ロザリア、気付いてくれたのね。ここからは私たちが編集した”ロザリア名場面集”!ご両親にお見せしたら驚いてらしたけど、でもすごくウケてくださったわよ!だからロザリアにも楽しんでもらえると思いま〜す!』
「ウケる…?ちょっとオリヴィエ、いったん止めてくださらない?」
もちろんオリヴィエは止めなかった。
中間試験の順位発表が貼りだされ、それを見ているロザリアが映った。一位に自分の名があることを確認し、口の横に手を立て大きく息を吸い込む。
『オーホッホッホ!当然ですわね!』
その姿はあまりにも衝撃的で、二人の女王候補は息を呑んだ。
友人たちとロザリアは、町中で男性に声をかけられているようだった。
『あなた方、わたくしほどの女性に声をかけるからには相応の資格をお持ちなんでしょうね?さあお一人ずつ自己紹介してくださいませ』
目配せし合って無言で立ち去る彼らを、腰に手をあてて仁王立ちで見送ったところでまた画面は切り替わる。
次は友人たちとお茶をしている場面。どんな男性が好みかと聞かれて、しばらく考えて口を開いた。
『完璧なわたくしに見劣りしない方を見つけるだけでも大変だから、あまり贅沢は言わないつもりよ。あなたたちはたくさんの男性から選べて羨ましいですわ』
答えているロザリアは真顔だ。
守護聖たちの笑い声で、呆然としていた女王候補たちは我に返った。
「なつかしー!そうそう、これぞロザリアだよねー!」
「だよなーこんなんだったのにいつの間にかキャラ変えてしれっとしやがってよー」
「そう?わりと今もこんな感じの時あるけどな〜私にだけ?ちょっとロザリア〜?」
「これはこれで魅力的だったがな」
皆笑っている。ジュリアスですら、笑いを堪えきれず肩を震わせている。
「こちらではこの時のロザリアさまからまだそんなに時間は経ってませんの?」
目を丸くしている商人に、ルヴァが頷いた。
「そうですね〜女王候補のロザリアはこんな感じでしたけど、それからは一年ほどですかね〜」
懐かしいですね〜と孫を見るような目でロザリアを見たが、当のロザリアはそれに気づかず怒っている。
「信じられませんわ!あの子たちったら!」
信じられないのは私の方です、と女王候補たちは揃って心の中で呟いた。
アンジェリーク・コレットがレイチェルの耳元で囁いた。
「これ、私たちに向けたドッキリじゃないよね?」
「それはないデショ。でもそう思いたいくらいショック」
二人で頷き合う。顔はロザリアだが、まるで別人だ。
「すごかったね。絶対に友達になれないタイプ…」
どちらからともなく出た言葉だが、”控えめに言っても”と付け足したいくらいだ。
「あんなに素敵な方なのに…憧れの女性だったのに…」
「どっちが本当のロザリアさまなんだろーね」
ひそひそと話していたが、オリヴィエがニヤニヤしながら近づいてきたので、慌てて口を閉じる。
「二人は今のロザリアしか知らないからビックリしたでしょ?初めて会った時なんてすごかったんだから〜」
「オリヴィエ!余計なことは言わないで頂戴!二人とも、驚かせてしまってごめんなさいね。子どもの頃のことですから、笑って忘れてもらえるとありがたいわ」
美しく、優しい笑顔。彼女たちにとってのロザリアだ。
しかし、さすがに子どもの頃というには近すぎる。
「わたくし、そろそろ帰りますわね。来週からも何かあったらいつでも相談にのりますから、遠慮しないでいつでも部屋に来て頂戴ね」
そう言ってオリヴィエに顔を向けた。候補たちからはロザリアの顔が見えなくなる。
「オリヴィエ、ディスクを」
「え〜!まだ終わってないんだけど。…うん、わかったから、返すからそんな目で見ないでよ」
二人が完全に離れるまで待って、レイチェルは口を開いた。
「守護聖さま達笑ってるケド、笑いごとじゃ済まないレベルだよね」
アンジェリークも頷く。
「ナンパしてきた人たち、すごい引いてたよね」
「あのビジュアルであのセリフ言われちゃうとね」
「…たった一年前くらいまであんな感じだったってことなんだよね」
「ねえレイチェル、陛下とロザリアさまって候補時代から親しかったって言ってたよね?」
宇宙の守護者たる女王の器の一端を見た二人は、金の髪を揺らして笑う少女に向けて深く頭を下げた。
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