「女王陛下が…陛下がお倒れになりました!」

 恐れていたことが、現実になった。
 がんばる、と女王が笑った日から、わずか一ヶ月。




  −祈りー




 主治医は、過労だと言った。
 ゆっくり休めば、すぐに良くなるだろうと。
 天蓋と、余分に思える飾りで縁取られたベッドに横たわる女王の顔色も、そう悪くはなかった。

 だが、どうして安心などができるだろう。

 主治医は、知らないからこそ呑気なことを言う。
 女王は、心配をかけまいと笑顔を作る。
 今だけであれば、確かにそう大きな問題にはならないだろう。
 だが、炎の守護聖が見つからない限り、女王は心身を休めることなどできないのだ。 

 休めない女王。
 これが続けば、彼女の体は蝕まれ、そして…。
 そして……?

 簡単に思い浮かぶ悪夢を頭の隅に追いやった。
 が、じくじくとまた、侵食してくる。

 女王は、全てのサクリアを持ってはいる。
 しかし、女王だけで宇宙が成り立つのであれば、守護聖など存在しなかっただろう。
 私の体には、光のサクリアが満ちている。
 だが、それだけでは足りない。
 あの男の力が必要なのだ。
 顔を思い出すことすら耐え難いほどに憎いあの男が、陛下の御為にどうしても必要なのだ。
 陛下、それでもあの男を許せとおっしゃるのですか?





「…渋い顔しちゃって、大丈夫だって言ってるのに」
 やーねぇ、とのんびりと言った女王の頬は痩せている。
「申し訳ございません」
「ジュリアスったら謝ってばっかり。そんな顔してたら、早く老けちゃうわよ?」
 明るい笑顔が、尚のこと痛ましく感じられる。

 あの者は、どこに身を隠しているのだろうか。
 足取りが掴めないのは、なぜなのだろう。

 何かを見落としているような気がしてならない。
 決定的な、何かを。
 焦燥が身を焼く。

「これまでに調査した場所を、今一度丹念に調べるべきではないかと思います」
 押されるように口にした言葉は、女王の笑みを消した。
「わたしは、新しい場所を探した方がいいと思うわ。時間を無駄にするだけよ」
「しかし、やってみる価値はあります」
 黙り込んで唇を震わせた女王の姿は、ジュリアスに確信をもたらした。
「何か、ご存知なのでしょう?」
「知らないわ。知っていたら、もうとっくにあなたに言っているもの」
「陛下!」

 己の大声に身を震わせた女王を見て、我に返る。
 謝罪の言葉が形になる前に、女王は毅然として言った。

「わたしは女王です。なんとかします。なんとかしてみせます。あなたは何も心配しないで」
 
 その姿は、私の理想とする女王そのものだった。
 自己の全てを宇宙に捧げ、自己の全てを自己以外の者に惜しみなく与える。
 そして、それを自己の幸福とする女王。

 女王とはかくあるべきだ。
 そう思っていたはずだった。
 しかし、そうあってほしくないと、今、切望している。

 喉の奥が痛み始めた。
 両の目が、熱を持つ。

 どのような事態が起ころうとも、その身を犠牲にしてほしくない。

「今でもあの者を許せとおっしゃるのですか…?」
 抑えきれずに、あの日から何度も繰り返した言葉を口に出した。
 尊敬と、苛立ち。
 喜びと、悲しみ。
 相反する想いが、胸に去来する。
 女王は頷いた。
 予想した通りの答えだ。
 そう思った瞬間、私の目から雫が落ちた。
 それは、ただ悲しみのためだけに生まれた涙だった。

「あなたがお許しになるからこそ、私は許すことができない…」

 膝を着いて、顔を両手で覆った。




――――――――――――――――――――――――




 星は見えなかった。
 体調の乱れのせいだとわかっている。

 わたしは、オスカーの居場所を知っている。
 カタルヘナ邸に、それらしき人物がいると…調査官から報告を受けたから。
 確かめてはいないけれど、間違いないでしょう。

 あなたには、立派な女王だと思われているみたいだけど、違うの。
 期待外れで、ごめんね。
 出来損ないの女王で、ごめんね。
 わたしは、わたし自身の幸せのために、身を削っているだけ。

 思い出す親友の顔は、笑顔であってほしい。
 大好きと言ってくれた笑顔のロザリアを、あの日の喜びを、大切に持っていたい。
 単なる私利私欲のために、信じてくれているあなたを騙している。

 好きな人が流す涙がこんなに痛いだなんて、知らなかった。
 あなたには、泣いてほしくない。
 でも、言えない。

 これが知れたら、きっと皆はわたしを責めるでしょう。
 そして、あの人たちをも責めるでしょう。
 今、わたしが何もかもをあなたに話してしまったら、わたしが泣いて頼んでも、女王命令だと言っても、オスカーを連れ戻してしまうでしょう?
 わたしのために。

 わたしの罪も、大切な人たちの罪も、飲み込むの。
 女王であるわたしが、飲み込んで消してしまうわ。

 命を失くしたとしても、一番の望みだけは叶えられる。
 消してしまえる。

 ああ、だけど、できたらその前にオスカーのサクリアが尽きてくれたらもっと嬉しいんだけどなあ。
 都合良過ぎるって自分でも思うから、できたら、なんだけど…。

 この宇宙の人々は、わたしの名を呼んで祈る。
 だけどわたしには、祈りを捧げるべき存在はない。
 そう思うと、心細くなる。

 でも、今こうやってなんとか立っていられるのは、あなたがいるから。
 全てが上手く行った時に、あなたに叱られることを想像すると、少し気持ちが楽になるの。

「そうなるといいなあ…」




 ――――――――――――――――――――――――



 ただ一筋の儚い願いを胸に、女王は夜空に目を凝らした。
 星が見えれば願いが叶うと信じているかのように、いつまでもそうしていた。
















end





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